小沢一郎「憲法や民法の原則論は誰にも負けない」
(11)弁護士を目指して司法試験に挑むが、父の急死で選挙へ
佐藤章 ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

小沢一郎氏=2017年8月10日、東京・永田町
米国保守層にとって邪魔な「小沢一郎」
この連載「小沢一郎戦記」の主人公を語るに際してかなり回り道をした感もあるが、宗主国・属国の「疑似構造」関係はしっかり抑えておく必要がある。なぜなら、小沢一郎こそ、この「疑似構造」を打ち破る、あるいは真に対等な関係を打ち立てる可能性を持った政治家だと私は考えるからだ。
前回の『小沢一郎と鳩山由紀夫、それぞれの「辺野古」』で記したが、小沢は世界の米軍再編計画を踏まえた上で米国と対等に話し合い、辺野古への基地建設を回避しようと考えていた。沖縄県民の生活を第一に考える日本の政治家であれば誰しもが考えることかもしれないが、小沢の場合、その志を担保する知識と構想力、実行力が備わっている。
小沢が対等に話すことのできる外国の首脳は米国だけではない。中国共産党の首脳に対しては、一党独裁の同党の将来を憂えてみせながら、いたずらに感情的な対立に陥ることなく耳を傾けさせている。
現代日本で小沢ほど世界に通用する政治家はいないだろう。同時にそのことは、宗主国・属国関係の「疑似構造」の中で惰眠を貪りたい米国保守層にとっては邪魔な存在であることを意味する。
宗主国の保守層にとっては、属国の国民を管理し、厳しく税を取り立てる「ストロングマン」は、あたかも植民地の総督のようでなければならない。米軍基地についても、余計なことを言わずに、沖縄県民や国民の意思を顔色一つ変えずに潰せるような属国官僚の冷酷さがなければ困る。
ここまで書けば、小沢一郎という存在が米国保守層にとっていかに邪魔な存在であるかがわかるだろう。しかし、そのことは反面、小沢が米国と対等に話すことのできる数少ない「希望の星」であることを意味する。
しかし、とは言ってもただ称賛するわけではない。私はこの連載第2回『小沢一郎「もっと早く政治改革できたのだが…」』の最後にスペインの哲学者オルテガ・イ・ガセットの名著『大衆の反逆』から言葉を引き、小沢は「自己の根をもった生」「真正な生」を生きる類いまれな政治家であると記した。その小沢の政治的な「真正な生」は、政治改革によって日本の政治にしっかりした二大政党制をもたらすことにある。
その運命的な「真正な生」はついに実現するのか。
小沢が三度目の政権交代を目指して国民民主党との合併を模索していたころの4月3日、朝日新聞のオピニオン面に、陶器工場の労働者からオックスフォード大学教授に転じた異色の英政治学者ジェフリー・エバンズのインタビューが掲載された。
エバンズは、英国のEU離脱に関連して二大政党制が機能しなくなっていることを語った。保守党、労働党ともそれぞれの内部に複雑な利害、価値観の対立を抱え込んでおり、離脱か残留かをめぐって党内が分裂してしまっているという。
この政界事情は日本にも共通するところがある。
果たして小沢は「真正な生」「自己の根をもった生」を実現させることができるのか。「真正な生」を生きる小沢は、飾らない言葉で日本政治のあるべき姿や、権力の内外から観察してきた人間模様を語る。私は、あらゆる意味でその言葉に耳を傾けるべきだと思う。