牧野愛博(まきの・よしひろ) 朝日新聞記者(朝鮮半島・日米関係担当)
1965年生まれ。早稲田大学法学部卒。大阪商船三井船舶(現・商船三井)勤務を経て1991年、朝日新聞入社。瀬戸通信局、政治部、販売局、機動特派員兼国際報道部次長、全米民主主義基金(NED)客員研究員、ソウル支局長などを経験。著書に「絶望の韓国」(文春新書)、「金正恩の核が北朝鮮を滅ぼす日」(講談社+α新書)、「ルポ金正恩とトランプ」(朝日新聞出版)など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
悪化の一途をたどる日韓関係を好転させるヒントが元米大統領の訪韓にある
5月23日、韓国南東部にある烽下村をジョージ・w・ブッシュ元米大統領が訪れた。現職時代に同じ大統領として何度も顔を合わせた、故盧武鉉元韓国大統領の10周忌に出席するためだった。
韓国メディアによれば、ブッシュ氏は追悼式への出席に際し、自ら描いた盧氏の肖像画を持参した。23日午前に面会した文在寅大統領に対し、ブッシュ氏と盧氏の夫婦だけが出席した昼食会の思い出と友情について触れた。「盧氏と私の間には素晴らしい記憶が多い」とも語ったという。その後の追悼式では「追悼の席を共にできて光栄です。盧武鉉氏の肖像画を描きながら、人権に献身し、親切で温かだった盧氏のことを考えました」などと語った。
「なかなかできることではない」。盧武鉉政権時代、韓国大統領府で働いた知人は私にこう語った。確かに、ブッシュ政権と盧武鉉政権は衝突を繰り返した間柄だった。
盧武鉉氏が大統領選を争っていた2002年6月、韓国の女子中学生2人が米軍の装甲車にひかれて死亡した。反米世論が盛り上がったことも、02年12月の盧武鉉氏当選の一つの背景と言われた。
盧武鉉政権は、米韓同盟に頼りすぎない安全保障を目指す「自主国防」路線も掲げた。米政府関係者によれば、ブッシュ政権内では、盧政権が米韓同盟を重視しない考えなのではないかという疑いの目が広がっていた。
ただ、ブッシュ氏個人は、政治家としての盧武鉉氏に関心を持っていたという。米大統領を父親に持つ自分と比べ、盧武鉉氏は釜山商業高校を卒業した後、苦学して弁護士になり、政界に進出したという対照的な過去を持っていたからだ。
ブッシュ氏は盧武鉉氏の人となりを知りたいと考え、首脳会談の際、家族ぐるみの交際を重ねて求めたという。
ただ、盧氏には、米国と距離を置く政治的ポリシーや支持者との関係があったのだろう。終始、緊張した様子を崩さない場面が目立ったという。
あるとき、第三国で開かれた国際会議の際に行われた米韓朝食会談では、ブッシュ氏が気軽に「コーヒーにしますか?」と聞いても、「記者団にはどちらが先に受け答えしますか?」と声をかけても、盧武鉉氏は何を米国に訴えるべきかを考えているのか、終始難しい顔で、生返事を続けたという。
一方、盧氏の情熱が、ブッシュ氏の気持ちを揺さぶったこともあった。
あるとき、ランチを共にしながらの首脳会談の際、盧武鉉氏は原稿も読まず、北東アジアの情勢や未来について自分の言葉で語った。ブッシュ氏は感動した様子で話を聞いていたが、やがて口を開いた。それが「北朝鮮版マーシャルプラン」の話だった。当時の陪席者は「ブッシュ氏の発言は、盧武鉉大統領の熱意への評価だったように感じた」と振り返る。
盧武鉉氏は確かに米国と距離を置く政策を取ったが、半面、イラクへの韓国軍派遣や米韓自由貿易協定(FTA)の推進など、自らの支持勢力が嫌がる政策にも果敢に取り組んだ。ブッシュ政権も、全面的に盧武鉉政権に北朝鮮情報を開示することはなかったが、こうした姿勢も、ブッシュ氏が盧氏を個人的に評価する背景になったようだ。