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平成から令和へ。変わる日本の自衛隊と安全保障

中谷元・元防衛相が語る自衛隊、安全保障の変容と日本の国のあり方

中谷元 自民党衆院議員 元防衛大臣

気掛かりな中国の覇権主義

拡大au_uhoo/shutterstock.com
 その一方で、北朝鮮の核・ミサイル問題や中国の軍事力の拡張など、平成の北東アジアでは、安全保障面での緊張が高まったのも事実です。

 中国については、初当選から1年ほどたった平成3(1991)年、日本の無償資金協力によって北京に建てられた日中青年交流センターの開所式に行ったときの歓迎ぶりが忘れません。平成4(1992)年には天皇陛下も中国に行かれています。基本的に、平成の前半、日中関係は良好だったと思います。

 おかしくなったのは平成の半ばごろからでしょうか。江沢民国家主席が小渕恵三首相との首脳会談で歴史問題を強調したり、教科書に反日的なことを書いたりした。くわえて小泉純一郎首相の靖国神社参拝でギクシャクし、東シナ海の石油や尖閣列島の国有化などを巡り、緊張が高まりました。

 気掛かりなのは、中国に覇権を求める姿勢が見られることです。珊瑚礁を埋め立て基地をつくる南シナ海での振る舞いは、どう見ても謙虚ではない。台湾への強硬姿勢も懸念材料です。

 アメリカは中国に対し、新たな脅威という認識を持って、厳しい態度で臨んでいますが、中国には相手の立場を尊重する行動をとってほしい。そうでないと、国際社会において信頼は得られません。

 朝鮮半島では平成の初め、北朝鮮の核疑惑を巡り緊張が高まりました。1994年にはアメリカの北朝鮮攻撃が現実味を帯び、日本にも多くの要求がきましたが、当時の日本はほとんど対応できませんでした。当時、私は当選2回でしたが、関連する委員会に入り、対米協力がどこまでできるかを考えました。隣国の北朝鮮で紛争が起き、アメリカが介入した場合、日本がどう対応すべきか、初めて「自分事」として考える契機だったかもしれません。

 日本周辺で紛争が起こり、米軍が行動すれば、同盟国である日本は支援をしないといけない。武力の不行使を定める憲法との関係をどうするのか。それが平成の日本にとって最大の課題になりました。

憲法上可能な自衛の範囲を明確にしたことの意義

 こうした課題の解決に向けた第一のステップは、1999年に成立した周辺事態法における「後方地域支援」と、2001年の米国同時多発テロへの対テロ支援特措法案で、「非戦闘地域」という概念をつくったことです。具体的には、「現に戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる」地域のことですが、これにより、憲法の枠内でイラク紛争後の復興支援で自衛隊が活動できる余地ができました。

 第二の画期は、2015年に成立した安保関連法制のなかで、「日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由およぎ幸福追求の権利の権利が根底から覆させられる明白な危険がある」事態、いわゆる存立危機事態に加えて、「他に適当な手段がない」「必要最小限の実力行使」という要件、いわゆる「新三要件」を満たせば、集団的自衛権を行使できるというロジックを作ったことです。

拡大安保関連法案の参院特別委で邦人輸送中の米艦防護について答弁する中谷元・防衛相=2015年8月26日
 それまで私は、集団的自衛権は憲法を改正しないとできないと考え、2001年に防衛庁長官に就任したときは、そう答弁していました。しかし、「あらゆる事態に切れ目のない対応を可能とする平和安全法案」を作成するなかで、考えを変えました。

 パワーバランスの変化や大量破壊兵器の脅威などで我が国の安全保障環境が変化したことを踏まえ、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として、そのための必要最小限度の「武力の行使」は許容されるという昭和47(1972)年の政府見解の基本的な論理を当てはめるかたちで、新三要件に基づく限定的集団的自衛権による対処は憲法上、容認されるべきであると考えるに至ったのです。

 まさか自分が法案を担当する大臣になり、国会で答弁する立場になるとは思ってもいませんでしたが、結局、衆参216時間、2424回、国会答弁に立ちました。批判もありましたが、現状において国の安全保障を確保するうえで、憲法上可能な自衛の範囲を検討して閣議決定し、国会で法律を成立させたことは意義があったと思います。

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筆者

中谷元

中谷元(なかたに・げん) 自民党衆院議員 元防衛大臣

1957年生まれ。防衛大学校卒業。議員秘書を経て、90年衆院選に自民党から立候補して初当選。防衛庁長官、防衛大臣、安全保障法制担当大臣などを歴任。当選10回。高知1区。

※プロフィールは、論座に執筆した当時のものです