全仏テニス初戦勝利。「成功したい人はみんなハイチを去って行く」現実があった。
2019年05月29日
「Eske ou konne mademoiselle Naomi Osaka?」(大坂なおみさんを知っている?)
2019年4月末、私はカリブ海にあるハイチ共和国を訪問し、各地でこの質問をしてみた。首都ポルトープランスのスーパーマーケットだったり、地方都市のカソリック教会だったり、海辺の町の小学校だったり……。
日本人の私が、日本とハイチの架け橋として、今一番ホットな人物を話題にしているのだから、私のクレオール語がいかに拙くても、誰のことか察しがつくだろうと思っていたら、予想外の反応が返ってきた。
「大坂なおみってだれ?」というようにみんな首をかしげた。
言わずと知れたWTA世界ランキング1位、ハイチ人の父と日本人の母を持つテニス界のスーパースターだ。5月28日の全仏オープンテニスの1回戦は逆転勝ちし、全米、全豪に続くグランドスラム3制覇に向けてスタートした。
日本では毎日、大坂選手のテレビCMが流れ、試合結果はネットニュースの上位にランキングされる。お昼のワイドショー番組でも大きく取り上げられるため、テニスにあまり関心のない人でも知らない人はいないくらいの存在である。そしてその偉業の数々が「日本人初」という言葉で飾られている。
では、もう一つの祖国ハイチではどうだろうか?
私はNGOハイチ友の会の代表として、1995年からほぼ毎年のようにハイチを訪れている。教育支援や植林、結核検診などを通じて市井の人たちと交流してきた。この原稿ではハイチと日本をつなぐ大坂選手という存在を通じて、ハイチの光と影、そして厳しい現状を伝え、一緒に考えてもらえればと思っている。
私がハイチに強い関心を持ち始めたのは94年秋だった。当時のハイチは、軍事政権下にあった。91年、初の民主的選挙によって選出されたアリスティド大統領は、就任からわずか7カ月で軍事クーデターによって倒され、国外に亡命を余儀なくされた。大統領支持派を多数殺害するなどした軍事政権に対し、国連は厳しい経済制裁を発動させていた。
経済制裁は、軍部だけでなく一般市民の生活も直撃し、軍事政権の暴虐と圧倒的な貧困から逃れようとして、多くのハイチ人がボートピープルとなってアメリカを目指した。そのハイチ難民の救済にあたった、学生主体の緊急援助ボランティア団体のメンバーだった私(当時大学2年生)は、マイアミで初めてハイチ人に出会い、彼らの祖国について学び始めた。
私がそれまでに得ていたハイチに関する知識といえば、こんな感じだ。
・1492年、コロンブスが現在のハイチの国土であるイスパニョーラ島を「発見」した
・1804年、黒人初の独立共和国を樹立した
こういった世界史の教科書に記載されている数行の情報のみだった。
正直に言おう。田舎の進学校から東京に出たい一心でガリ勉をし、大学生になって初めて海の向こうに広がる「世界」を意識し始めた私にとって、興味の対象がハイチでなければならない理由は何もなかった。
アメリカ軍を主体とする多国籍の軍隊による圧力に屈して軍事政権が倒れた。そしてアリスティド大統領の復帰直後のハイチを訪れると、その歴史的な出来事を目の当たりにしてハイチに引き込まれていった。大坂選手がこの世に生を受ける3年前のことである。
最貧国の現状に衝撃を受けた。
当時、数%の富裕層が国の富の8割を所有しており、国民の6割が1日1ドル以下で生活していると言われていた。コンクリートブロックを積み上げただけの小屋のような住まいに大勢の人が暮らしており、汚水は垂れ流しでゴミが町中にあふれていた。
しかし、人びとは笑顔と誇りを忘れず、私たちに容易に可哀想と言わせないエネルギーに満ちていた。そして何より施しよりも強く仕事を求めていたのである。そこで私たちはハイチの雇用機会の創出と教育環境の整備を目的とするNGOハイチ友の会を設立したのである。
現在のハイチは、私が最初に訪れた25年前と比べると大きく変わった。車の数も舗装道路も増え、人々の手には携帯電話が握られるようになった。
しかし、選挙の不正疑惑や食料や燃料価格の高騰から、暴動は絶えず繰り返され、政治的な停滞は国際的な支援を滞らせている。こういう部分はなかなか改善されない。
加えて毎年多数の死傷者を出すハリケーン被害のほか、2010年にはマグニチュード7.0のハイチ大地震が発生した。首都ポルトープランスを中心に死者約31万人を含めた被災者は約370万人(ハイチ政府発表)という甚大な被害を及ぼした。そこに追い打ちをかけるようにコレラが蔓延し、9000人の命が失われたという。
これまでは、メディアでハイチが取り上げられるとしたら、このような悲惨な状況を伝えるニュースばかりだった。
それが18年3月、BNPパリバ・オープン女子テニス大会で大坂なおみ選手が優勝して以来、日本のメディアは、彼女のルーツをたどり、父親の故郷ハイチがにわかに注目され、ポジティブに紹介される機会が大幅に増えた。小さなNGOである当会にまでメディアからの問い合わせが相次いだのだから間違いない。
実際のところ、大坂選手がハイチで暮らしたことはなく、報道によると初訪問は17年という。日本では大注目されたBNPパリバ・オープンの優勝は、ハイチでは小さく報じられたのみだった。しかし、全米オープンはテレビ中継され、セリーナ・ウイリアムズ選手を制して優勝すると、現地のネットメディアでも大きく報じられた。
大坂選手は18年11月にハイチを訪れ、モイーズ大統領から表彰されている。全豪オープンを制すると、現地のネットメディアは「大坂選手は世界ランキング1位になる見通しで、ハイチと日本にルーツがある選手としては史上初だ」と称賛し、ハイチ人のSNSでもその活躍を祝福する声が多数発信された。
しかし、私が今回のハイチ訪問で冒頭の質問をハイチの一般市民に投げかけると、みな首をかしげるばかりだった。
みんな、あの死闘に熱狂したのではなかったのか?
拍子抜けしていると、帰国間際に、父親の出身地であるジャクメルに近い、ラ・モンターニュ出身のシスターが答えをくれた。
「私は大坂なおみを知っているわよ。でもハイチ人みんなが知っているわけではない。ハイチではテニスはマイナーなスポーツだし、日々の生活が苦しくてそれどころじゃないの。成功したい人はみなハイチを去って国外に行く。彼女のお父さんもアメリカに行ったのでしょう?」
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