大坂なおみ? 父の祖国ハイチで聞いた意外な反応
全仏テニス初戦勝利。「成功したい人はみんなハイチを去って行く」現実があった。
小澤幸子 NGOハイチ友の会代表 医師
「Eske ou konne mademoiselle Naomi Osaka?」(大坂なおみさんを知っている?)
2019年4月末、私はカリブ海にあるハイチ共和国を訪問し、各地でこの質問をしてみた。首都ポルトープランスのスーパーマーケットだったり、地方都市のカソリック教会だったり、海辺の町の小学校だったり……。
日本人の私が、日本とハイチの架け橋として、今一番ホットな人物を話題にしているのだから、私のクレオール語がいかに拙くても、誰のことか察しがつくだろうと思っていたら、予想外の反応が返ってきた。
「大坂なおみってだれ?」というようにみんな首をかしげた。
言わずと知れたWTA世界ランキング1位、ハイチ人の父と日本人の母を持つテニス界のスーパースターだ。5月28日の全仏オープンテニスの1回戦は逆転勝ちし、全米、全豪に続くグランドスラム3制覇に向けてスタートした。

2019年5月2日、南東県ベネにある聖ジェラルド学校に、里親支援制度で就学している生徒たち=ハイチ友の会提供
熱狂し、誇りに思う日本人
日本では毎日、大坂選手のテレビCMが流れ、試合結果はネットニュースの上位にランキングされる。お昼のワイドショー番組でも大きく取り上げられるため、テニスにあまり関心のない人でも知らない人はいないくらいの存在である。そしてその偉業の数々が「日本人初」という言葉で飾られている。

全豪オープンで優勝し、海辺で記念撮影に臨んだ大坂なおみ選手=2019年1月27日、豪メルボルン
大坂選手は、3歳で日本からアメリカに移住し、現在はフロリダに拠点を置く。日本テニス協会に所属し日本人選手として活躍する。日本人は、その姿を誇りに思い、そのチャーミングな人柄と言動を愛し、熱狂で迎えている。
では、もう一つの祖国ハイチではどうだろうか?
私はNGOハイチ友の会の代表として、1995年からほぼ毎年のようにハイチを訪れている。教育支援や植林、結核検診などを通じて市井の人たちと交流してきた。この原稿ではハイチと日本をつなぐ大坂選手という存在を通じて、ハイチの光と影、そして厳しい現状を伝え、一緒に考えてもらえればと思っている。
世界史の教科書程度の知識から始まった
私がハイチに強い関心を持ち始めたのは94年秋だった。当時のハイチは、軍事政権下にあった。91年、初の民主的選挙によって選出されたアリスティド大統領は、就任からわずか7カ月で軍事クーデターによって倒され、国外に亡命を余儀なくされた。大統領支持派を多数殺害するなどした軍事政権に対し、国連は厳しい経済制裁を発動させていた。
経済制裁は、軍部だけでなく一般市民の生活も直撃し、軍事政権の暴虐と圧倒的な貧困から逃れようとして、多くのハイチ人がボートピープルとなってアメリカを目指した。そのハイチ難民の救済にあたった、学生主体の緊急援助ボランティア団体のメンバーだった私(当時大学2年生)は、マイアミで初めてハイチ人に出会い、彼らの祖国について学び始めた。
私がそれまでに得ていたハイチに関する知識といえば、こんな感じだ。
・1492年、コロンブスが現在のハイチの国土であるイスパニョーラ島を「発見」した
・1804年、黒人初の独立共和国を樹立した
こういった世界史の教科書に記載されている数行の情報のみだった。
正直に言おう。田舎の進学校から東京に出たい一心でガリ勉をし、大学生になって初めて海の向こうに広がる「世界」を意識し始めた私にとって、興味の対象がハイチでなければならない理由は何もなかった。