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大坂なおみ? 父の祖国ハイチで聞いた意外な反応

全仏テニス初戦勝利。「成功したい人はみんなハイチを去って行く」現実があった。

小澤幸子 NGOハイチ友の会代表 医師

最貧国でも可哀想と言わせないエネルギーがあった

 アメリカ軍を主体とする多国籍の軍隊による圧力に屈して軍事政権が倒れた。そしてアリスティド大統領の復帰直後のハイチを訪れると、その歴史的な出来事を目の当たりにしてハイチに引き込まれていった。大坂選手がこの世に生を受ける3年前のことである。

 最貧国の現状に衝撃を受けた。

大坂なおみ1拡大1994年11月 民主政権復帰直後のハイチ。経済制裁のため地下資源のないハイチでは生活燃料を木炭に頼り森林伐採が進んだ。国土のうち森林の占める割合は3%しかない。日本は約7割=ハイチ友の会提供

 当時、数%の富裕層が国の富の8割を所有しており、国民の6割が1日1ドル以下で生活していると言われていた。コンクリートブロックを積み上げただけの小屋のような住まいに大勢の人が暮らしており、汚水は垂れ流しでゴミが町中にあふれていた。

 しかし、人びとは笑顔と誇りを忘れず、私たちに容易に可哀想と言わせないエネルギーに満ちていた。そして何より施しよりも強く仕事を求めていたのである。そこで私たちはハイチの雇用機会の創出と教育環境の整備を目的とするNGOハイチ友の会を設立したのである。

メディアからは悲惨な状況しか伝わってこない

 現在のハイチは、私が最初に訪れた25年前と比べると大きく変わった。車の数も舗装道路も増え、人々の手には携帯電話が握られるようになった。

 しかし、選挙の不正疑惑や食料や燃料価格の高騰から、暴動は絶えず繰り返され、政治的な停滞は国際的な支援を滞らせている。こういう部分はなかなか改善されない。

 加えて毎年多数の死傷者を出すハリケーン被害のほか、2010年にはマグニチュード7.0のハイチ大地震が発生した。首都ポルトープランスを中心に死者約31万人を含めた被災者は約370万人(ハイチ政府発表)という甚大な被害を及ぼした。そこに追い打ちをかけるようにコレラが蔓延し、9000人の命が失われたという。

大坂なおみ1拡大ハイチ大地震の後、新しくできたスラム街で、屋根のない「家」で休む家族。この場所も警察から立ち退きを迫られていた=2010年5月18日、ハイチ・ポルトープランス

 これまでは、メディアでハイチが取り上げられるとしたら、このような悲惨な状況を伝えるニュースばかりだった。

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筆者

小澤幸子

小澤幸子(おざわ・さちこ) NGOハイチ友の会代表 医師

慶応義塾大学文学部の学生時代にハイチ共和国の貧困を知り、1995年ハイチにおける雇用機会の創出と子どもたちの教育環境の整備を目的とするNGOハイチ友の会を設立。この活動を経て医療分野で貢献したいと考え、山梨医大(現在の山梨大学医学部)を経て医師になる。現在は山梨市立牧丘病院で内科医師として地域医療に携わるとともに、ハイチ支援活動を継続している。2010年ハイチ大地震の際は日本赤十字社の緊急医療支援チームのメンバーとして現地に派遣された。

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