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天安門事件30年 かつての香港はもう存在しない

中国人ジャーナリストが見た「強権社会」への変容

李怡 ジャーナリスト

香港の「逃亡犯条例」改正案に反対する民主派のデモ。警官役がオリの中を監視するパフォーマンス=2019年4月28日

香港はもはや政治難民を生み出す場所になった

 1989年6月4日の天安門事件(六四)から30周年、香港では誰もがあの年の〈黄雀(イエローバード)作戦〉を思い出すだろう。天安門事件で暴政により指名手配された政治難民は、香港をシェルター港として、そこから他の国々に出ていった。香港は人権擁護という文明の典型として国際的に評価された。

 30年後の今日、香港特区政府は刑事事件の容疑者を中国本土に引き渡すことを可能にする〈逃亡犯条例〉改悪を推進する。香港はもはや政治的圧迫を受ける人たちの避難所ではなく、政治難民を生み出す場所に様変わりしようとしている。30年で政治難民の受け入れから、その産出というこの大転換は、人類史上、社会文明の急激な凋落の典型となるのだ。

 海外メディアの報道によれば、民主活動家の黄台仰と李東昇は今年5月、ドイツ政府に難民としての保護が認められた(注1)。ドイツ政府はその理由を明らかにしていないが、黄と李の二人は香港での政治逮捕を難民申請の理由としている。ドイツが政治難民を認定する理由は法律で明文化されている。「もし申請者が国籍、宗教、政治的主張あるいは何れかの体制で迫害を受ける場合、ドイツは難民として保護を提供する」。

 黄台仰は昨年、ドイツメディアのインタビューに対して「もしドイツ政府が香港の司法独立を認定していれば、ドイツは自分たちに難民資格を与えないだろう」と語っていた。ドイツ政府の決定は香港特別行政区の〈特別〉がすでに存在せず、返還時に「五十年間不変」とされた「黄雀作戦の香港」が、すでに政治難民を生み出す香港に変わってしまったことを明らかにしている。

いまや海外も人権侵害に目をつむる

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