元参院議員・円より子が見た面白すぎる政治の世界⑪ 女には惜しい胆力・度胸にんっ?
2019年05月26日
連載・女性政治家が見た! 聞いた! おもしろすぎる日本の政治
参院選での自民党大敗を受け、橋本龍太郎政権にかわって発足した小渕恵三政権は、組織犯罪を捜査するため、電話やメールなど通信の傍受を捜査機関に認める法律、“盗聴法案”の成立をめざし、99年の通常国会に法案を提出した。法案は衆議院で強行採決され、参議院にまわってきたが、その成立を法務委員会で何としてもくいとめるというのが私の仕事だった。
いま、私は“盗聴法”と書いたが、政府に言わせると、「盗聴法ではありません。組織的通信傍受法と言って下さい」とのこと。そこで、国会で質問するときには、「いわゆる盗聴法は」と呼んでいたが、これがまたおかしな法律なのだ。
たとえば、あなたの息子がたまたまテロ犯ではないかと疑われた人物と付き合っていたとする。すると、あなたの息子はケータイも家の固定電話も、どこに通話をしたり、連絡をとったりしたかが何カ月間、すべてチェックされる。そう、“盗聴”されるのだ。
疑いが晴れると、盗聴も終る。だが、その間、盗聴されていたことも知らされず、プライバシーがすべて他人に知られている。こんな気味の悪いことがあるだろうか?
組織的テロの根元を抑えるに有効な手段だと政府は答弁していたが、参議院の審議の一環としてNTTに視察に行き、技術者の話を聞いたら、ケータイから盗聴する技術はまだないということが判明した。まったくわけが分からなかった。
小渕政権は98年後半から、新進党を解党した小沢一郎さんが率いる自由党や、同じく新進党の解党を受けて結成された新たな公明党との連携を深めていた。自由党とは99年初めに「自自連立政権」を樹立、公明党とも関係を深め、99年の通常国会においては、衆参とも事実上、自自公による「与党」が多数を占める態勢ができあがっていた。具体的には、衆議院では500人中356人、参院では252人中140人を自自公だった。
98年の秋まで、私は参議院法務委員会で児童買春児童ポルノ禁止の法案や指紋押捺の問題について、公明党と協力してやってきた。法務委員会の公明党の理事は私の大学の後輩でもあり、気心が知れていて、一緒に仕事ができて楽しかった。そのときは盗聴法に敢然と反対していた彼女が、公明党が与党に与したとたん、賛成にまわった。野党である私たちの国会運営はかなり厳しかった。
人々のプライバシー侵害の道具になる可能性があり、思想信条の自由さえ侵される危険性もある盗聴法を廃案にと私たちは意気込んでいたが、どう考えても数で負ける。そのうえ、与党に2カ月近くも国会を延長されたのだからたまらない。どういうことか。
憲法59条の中身を知っている人はあまり多いと思えないが、そこに次のような規定がある。
――参議院が、衆議院の可決した法律案を受けとった後、国会休会中の期間を除いて60日以内に議決しないときは、衆議院は、参議院がその法律を否決したものとみなすことができる。
盗聴法は6月1日に衆議院から参議院に送付されている。たとえ参院で私たち野党が強力に抵抗して、成立させない状況に持ち込んでも、6月1日から60日目の7月30日を迎えると、憲法59条の規定により参議院は法案を否決したものとみなされるのである。
衆参で異なった議決になると、法案は再び衆議院に差し戻され、出席議員の3分の2以上の多数で可決したら、法律として成立する。前述のように、衆議院で自自公は3分の2をゆうに超えている。そこで、与党は6月17日の国会閉会日を8月13日まで延長し、参議院で否決されたことにしようと考えたのだ。さて、どうするか。
ここで、国会のしくみを簡単に説明しておきたい。
NHKのテレビ放映ではふだん、せいぜい予算委員会ぐらいしか中継されない。そこできつい一言を放ったり、総理を追いこむような質問をすると、世間から脚光を浴びるが、実際には委員会における質疑によって、野党が法案を廃止に追い込むのは難しい。テレビには映らないところで、理事が地道に法案審議のスケジュールについて戦術を立て、交渉の攻防まで組み立てる必要がある。
盗聴法の場合も例外ではない。採決までに何時間の質疑をするか、NTTなどの必要な視察をいつにするか、参考人質疑や地方や中央での公聴会、総理を入れての総括質議などをどう組み入れて、充実した審議をするのか、理事の駆け引き力がモノを言う。理事会という正式な場のほか、理事懇談会もある。
法務委員会理事会の構成は、委員長が公明党、理事は自民党の2人、公明党1人、自由党1人、それに野党理事1人で構成されている。その野党理事が民主党の私だった。最初の理事会では、社民、共産、無所属の議員をオブザーバーとして入れてもらっていた。
オブザーバーは理事会での議決権はないが、意見は言える。与党の5人を相手に、私がどんなに頑張っても、多勢に無勢だからだ。対決法案でなければ、週に1度、理事懇が開かれる程度だが、盗聴法の時は連日開催。それも、1日に3回も4回もという具合だった。
採決日を決められないよう、ああでもない、こうでもないと理屈をひねり出すのだが、妙案が浮かばなかったり、ゴリ押しされそうになると、休憩をせざるをえない状況にもっていき、私は国対委員長室に飛んでいく。そこで対策を練るのだが、毎日がその繰り返しだった。その頃、国会の廊下で自民党議員とすれ違うと、「円さんって、もっと素直な人かと思っていたよ」などと、ずいぶん嫌味を言われたものだ。
ある日の理事懇で、隣席にいた自由党理事の平野貞夫さん(小沢一郎さんの懐刀と当時言われていた)がテーブルをドンと叩いて立ち上がり、「あんた、それでも国民の負託を受けている国会議員か。国民にとってこんな大事な法案をなぜ早く通さないのか」と叫んだことがある。「おおっ、芝居じみている」と思いつつ、私は言った。
「先生、お言葉ですが、私の知っている国民はこの法案を絶対通してはいけないと思っています。そちらはどこのお国の国民ですか。それにそんな大声を出されなくとも、私、耳は遠くありませんわ」
「いやいや、ちょっと地声が大きいものでね、ワッハッハ」と平野さん。
こんなことはしょっちゅうだった。
ねちねちとセクハラ発言を繰り返すのは、自民党筆頭理事の服部三男雄さんだった。
「円さんのご主人ってどんな人?あなたと一緒に暮らすのは大変だろうね」
「盗聴法に関係ありますか。余計なお世話です」
7月末近く、平野さんから憲法59条が持ち出された。「みなし否決」なんてされたら、参議院としても面子が立たない。火木の定例日といわず、毎日でも審議しようじゃないかというわけだ。審議時間が足りないと訴えている私へのあてつけだった。
しかし調べてみると、過去に59条でみなし否決されたのは公務員の給与法のような、重要法案とはいえない3例だけしかない。
私は「盗聴法のような国民もマスコミも注目している重要法案をみなし否決などしたら、それこそ国会は国民の笑いものとなる。59条にとらわれず粛々と審議することこそ参議院の使命ではないですか」と与党の要求を押し返した。
とにかく数では負けるから、孫氏の兵法に言う「闘いとは大道に基づき、不敗の備えをして、敵と相対し、智嚢を用いて勝利を得る」を噛みしめて闘うしかない。毎日、頭の中では、どうすれば採決をさせないようにするか、盗聴法成立をいかにして阻止するか、考え続けた。理事懇でやりあっている夢も、毎晩のように見た。
国会外で反対集会を盛大に行うようにしてもらったり、新聞記者からも与党の情報を聞いたり、あの手この手で抵抗した結果、焦った与党は自民党の理事の一人を交代させて体制を強化。さらに法務委員会理事に指示を出している国対委員長をとびこえ、参院自民党の青木幹夫・幹事長が我が党の幹事長と内密の会談をした。盗聴法の審議の途中に、成年後見法と商法改正の審議を入れるという約束をしたという。
確かに成年後見法も大事だ。しかし、一つの法案の審議の途中で別法案の審議をするというイレギュラーな禁じ手を使うのには、何か思惑がある、盗聴法を強行採決することを決めたに違いないと私は感じた。
国会の閉会間際に法案の強行採決が行われると、まだ審議されていない法案はみなぶっ飛んでしまう。要するに、成年後後見法と商法改正の2法が成立しなくなるから、盗聴法の審議をいったん棚上げし、2法の審議と採決を先にするのだろう……。
もしそうなら、どう考えても、我が党も盗聴法の強行採決に同意したということになる。廃案にするというのは表向きなのだ。これは国民への裏切りではないか。
ある日、私は国対委員長室に呼ばれた。国対委員長代理がいて、「2法案の採決を先にやっていいと、理事懇で円さんから提案してくれ」と言った。以下、代理と私のやりとりを記す。
虚しさと怒りで、急に空腹を感じた。時計を見ると19時過ぎ。お昼を食べていなかったことに気づいた。私は20数年、1日2食の生活だから、朝から何も食べていないということだ。
この時期、私は約70日で5キロも体重を減らしていた。
盗聴法をめぐる参議院での攻防について述べると、それこそ一冊の本になってしまう。実際、『一人でも変えられる』(日本評論社、2004年)に書いているから、本稿では詳述しないが、史上初となる3時間の大演説を、閉会まぎわの本会議場で私がやることになったことは書いておきたい。本会議での採決を阻止するため、
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