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野球を知らぬ南スーダンの若者が投げた衝撃の一球

野球人、アフリカをゆく(4)大学のグラウンド使用はOK。そこで出会ったのは……

友成晋也 一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構 代表理事

長身から腕を振り下ろして投げるエドワード君。リリースポイントがすごく高い!

野球への気持ちを込めたレターを手に

 ジュバ大学の学長から、野球クラブの設立とグラウンドの使用を許可され、具体的な手続きをするために、さっそく翌週の月曜日にジュバ大学の事務棟を訪問した。平日なのだが、たまたまこの日は自分の職場がお休みの日。年間休日数調整で、たまに日本の祭日(敬老の日)に合わせて休業にすることがある。

 事務棟の学生部を訪問すると、係の人が学生部のアダム部長の執務する部屋に通してくれた。

 「ミスター・アダム。突然申し訳ない。先週、グラウンドの件で手続きをするように学長から指示いただいた件でやってきました」

 デスクワークをしていた長身のアダム部長は、机から立ち上がって手を差し伸べながら「ようこそ!」と笑顔を見せた。

 「先日のジャパンフェスティバルは、JICAの立場で招待されましたが、今日は、NGOの立場でやってきました」と言いながら、アフリカ野球友の会のレターヘッドが入った手紙を取り出す。書いたのは、もちろん私自身だ。

アダム部長にタンザニア野球のゼロからの成り立ちをパワーポイントを使って紹介する筆者
アダム部長は「どうぞそちらにおかけください」と椅子をすすめながら、横並びの椅子に自らも腰を落とした。

 「ジュバ大学野球クラブの設立について」とタイトル書きされたレターには、野球がどんなスポーツかという紹介から始まり、ユニークな点として、野球は民主的で平和なスポーツであり、「規律」や「人を敬う心」、「正義」を学ぶことなど、人材育成に適している、と書かれている。(これがどういうことなのかは、本連載の別の機会に紹介する)

 そして、「だからこそ、この国、南スーダンには必要なスポーツであり、この国を代表する大学であるジュバ大学に野球クラブを設立し、ひいてはこの国の平和構築に貢献するものである」と続く。

 ずいぶんと大上段に構えたレターだが、書いた本人(私)が心からの気持ちを込めて綴っており、大真面目なのだ。

「経済成長している国には野球があります」

「ジュバ大学野球部設立の提案」と題したアフリカ野球友の会からジュバ大学学長宛てのレター
 アダム部長が真剣なまなざしで途中まで読み進めたのを見届けたところで、「ところで」と切り出した。

 「アダム部長は、野球をご存知ですか?」

 「聞いたことはあるけど、見たことはないなあ」と少し照れ笑いをしながら答える。

 「いや、しょうがないですよ。南スーダンには野球がありませんから。でも、野球があるアフリカの国は、みんな発展しているんですよ」

 ほお、と、興味深そうな表情を見せるアダム部長。

 「私が過去、立ち上げて指導した、ガーナ、タンザニアの他、南アフリカ、ナイジェリア、ケニアなど、アフリカで大国といわれ、経済成長している国には野球があります」

 正確に言うと、経済成長は野球があったことが原因ではもちろんない。ただ、野球を受け入れるに十分な平和と安定した社会であることは、経済成長にとって大事な要素だ。

 「そして、経済が発展しているお隣のウガンダは、南スーダンの難民を多く受け入れてますね。そのウガンダも野球が盛んなんですよ。今や、アフリカナンバーワンを目指せるくらいレベルが高いのです」

アフリカ野球24年間の信念

 少し目を見開いた部長。ウガンダの話は意外だった様子だ。私は前のめりになりがちな性格だが、ここで畳み込むとひかれてしまうと直感し、極力落ち着いた口調を維持しながら説明を続けた。

 「野球はルールが複雑で、サッカーのようにわかりやすくないですし、道具も必要になりますから、アフリカでは、なかなか普及に至っていないのは現実です。しかし、野球を知る機会さえあれば、若者たちは野球の虜(とりこ)になります。そして、先ほどの三つ、『規律』、『尊敬』、『正義』の心が野球を通じて育まれ、社会のリーダー人材として期待される人間に育てることができます」

 これは24年もの間、アフリカ野球に携わってきた私の信念なので、これまで何度もいろんなところで語ってきたことだ。だから、下手な英語にもかかわらず、ものすごく流暢にしゃべることができる。だが、アダム部長にすれば初めて聞くであろう話で、ちょっと気おされているようだ。

野球の魅力に心を奪われたアダム部長

 前置きが長くなったが、いよいよ本題へ。「で、肝心なことは箇条書きにしてあります」と、以下の五つのポイントを説明した。

1、コーチはガーナ及びタンザニアの元ナショナルチーム監督のトモナリが務める。
2、野球道具はトモナリが用意してある
3、場所はジュバ大学のグラウンド
4、グラウンド使用日は土曜日もしくは日曜日
5、学生のリクルートは学生部の協力が必要

 そして、まったくゼロから野球を普及したタンザニアの全国野球大会の映像を、パソコンで再生して見せると、アダム部長は、タンザニアのセカンダリースクールの生徒たちが野球大会で生き生きと躍動する姿を、食い入るように見つめた。

百聞は一見に如かず。タンザニア野球の動画映像にアダム部長は目が釘づけ
 「ミスター・トモナリ。よくわかりました。タンザニアのベースボール大会は、一体感があって、みているだけでワクワクしますね。グラウンド使用の件は、学長の指示ですから問題ないと思いますが、決定がありましたら、連絡します」と言いながら、「しかし」と言って付け加えた。

 「我が大学のグラウンドはキャンパスから少し離れたところにもあります。そちらも見てみますか?」

 自衛隊が整備したあのグラウンド以外にも場所があるらしい。好意に甘えて、その場所まで連れて行ってもらうことにした。

もう一つの候補地の落とし穴

 ジュバ大学を出て、徒歩5、6分のところにだだっ広い広場があった。サッカーができるようにゴールポストが2つある。しかし、そのグラウンドには野球をやるには致命的な欠点があった。地表は石ころが多く、かつなだらかな斜面。これだと、ゴロは不規則にはね、抜けた打球は果てしなく坂を転がり落ちていって、みんなランニングホームランになってしまう。

アダム部長に案内してもらった大学所有の大きな広場。石ころの多さと緩やかな斜面になっている状態はどうみても野球に不適切
 もっともまずいのは、そのグラウンドが、柵もなにもない街中にあるということだ。今は平穏なジュバ市内とはいえ、セキュリティには細心の注意を払わなければならないので、このグラウンドで野球をやるとなると、学生たちはよくても、肝心の指導役の自分が参加できない。ジュバ大学構内の、自衛隊が整備したグラウンドの質と環境の良さが、あらためて際立った。

 どこまでも親身になってくれるアダム部長のやさしさに感激しつつも、丁重にお礼を言い、大学を後にした。

 ここまでは順調だった。問題は、大学内の決裁がいつ降りて、いつそれを知らせてくれるか、だ。

 南スーダンには来てから2週間ちょっとしか経ってないが、アフリカはたいていどこでも、こうした事務手続きは遅れる。さらに、その連絡も遅くなる。じっくり待つしかない。時間がかかることはある程度覚悟しておいた方がいいな、と自分に言い聞かせた。

再びジュバ大学のグラウンドへ

 予想どおり、ジュバ大学からはなんの連絡もないまま、週末を迎えた。まだ正式に許可が下りたわけではないが、あのグラウンドにいってみたい、という思いが募り、日曜日の午後、再びジュバ大学のグラウンドに足を運んでみた。

 暑い日差しに照らされたグラウンドは今日もガランとしてひとけがない。週末は利用されていないのであれば、それは好都合だ。午後3時頃の時間帯の気温は30度台の後半だろうと思われ、グラウンドの表面が強い日差しで真っ白にまぶしく光ってみえる。

 その時、ふとグラウンドの端の大きな木の下に、人影が見えた。木陰に崩れかけた鉄パイプの四脚に、いまにも朽ち果てそうな木製の板が載っているだけのような簡素なベンチが3つ、4つあり、その上に人が寝転がっているようだ。近づいてみると、若者たちが3人、だらんとベンチの上で脱力している。

 体格は大人並みだが、顔立ちが幼いようにも見えた。声をかけやすい雰囲気だった。

3人の若者に声をかけて 

 「エックスキューズミー。君たちは大学生?」

 突然、謎の東洋人が現れ、声をかけてきたら、ギョッとするところだろうが、意外にも想定したような反応ではなかった。手足がやたら長そうな大柄な青年がこちらに顔を向け、「違うよ」と一言発する。「こんなところで何してるの?」と重ねて聞くと、応えてくれた青年が「休んでいるんだよ」と割と真面目に返してくれた。

 南スーダン人の肌の色は漆黒だ。「アフリカ人は黒人」とセットでイメージしがちだが、実は黒人といってもその肌のオリジナルの黒さは多様だ。南スーダン人は、特に顔の色が濃く、表情が見分けられないことがあるが、日差しの明るさのおかげで表情はよく見えた。3人とも中学生から高校生のような顔をしている。

 「若いもんが休みの日に昼寝なんてもったいない。ちょっと面白いことやらないか? ボールスポーツだ。さあ、立ち上がって!」

 日本だと、「なんだよ、いきなりうぜえな、このおやじ!」なんて反発されそうだが、私自身のそれまでのアフリカ経験では、学校の生徒たちの年代というのは、年長者を敬い、素直に言うことを聞くというイメージが強い。ガーナでも、タンザニアでもそうだった。初めて接した彼らも、素直にベンチの上で体を起した。

 「道具を取りに行こう。カモン!」と言いながら、私はグラウンドの反対側に停めてある防弾車に小走りで向かった。すると、ベンチから起き上がった若者たち3人がのそのそとついてきた。

 南スーダンの若者たちも、素直だな。これはいけそうだ。何がいけそうかというと……

 いきなり見知らぬ人にキャッチボールを強引に紹介する活動を、私は「ゲリラキャッチボール」と呼んでいる。ルーツは3年前までいたタンザニア在勤時代だ。休日に海岸に行くと若者たちが多くいる。グローブとボールをもってその海岸に乗り込み、キャッチボールのやり方を教えて、楽しんでもらった。私としては野球紹介の草の根活動なのだが、自分自身も楽しい。たまにいいボールを投げる若者と出会えると、心が躍った。

世界的に知名度が低い野球

 防弾車に置いておいた自分のリュックから、グローブ2つとボールを取り出した。このセットは、もうすでに外出時の常備品になっている。

Danny E Hooks/shutterstock.com
 「これはグローブっていうんだ。ベースボールって知ってるかい?」
と一応は聞きながら、どうせ知らないだろうし、グローブもはめたことはもちろん、見たこともないだろうと思っていた私は、回答を待たずにグローブをはめてあげようと、一番背の高い子の手を取った。

 日本で最もメジャーなスポーツの野球は、世界では「超どマイナー」なスポーツだ。アフリカ55か国のうち、野球が普及しているといえる国はない。そもそも全スポーツの中で、世界における野球の知名度は72位、0.08%という調査結果もある(ロンドン大学ユニバーシティカレッジ調査)。これはすなわち、世界の1万人のうち9992人が野球を知らない、あるいは聞いたことがない、ということを意味する。

 普及とはどういう状態を指すのか。1962年にスタンフォード大学のロジャース教授が提唱したイノベーション理論によれば、「普及率16%の理論」というのがある。「新しいもの」が普及する過程では、2.5%のイノベーター(新しいものを取り入れようとする人)がいて、アーリーアダプター(初期採用者)が13.5%、合わせて16%まで到達すると、一気に加速的に普及が進む、ということらしい。

 現在の野球の世界の知名度が0.08%だとすると、最初の2.5%に到達するにも、まだまだ道は果てしなく遠いと言わざるを得ない。

身長185センチ以上、16歳のエドワード

初めての南スーダン一般市民とのキャッチボール。左から二人目の赤いシャツがエドワード君
 「君の名前はなんていうの?」

 背の高い子に問いかけながら、あらためて見上げてみると、彼の身長は私よりも頭ひとつ以上は高く、185センチ以上はありそうだ。手足も長い。そして、手も大きかった。大きめの外野手用のグローブなのに、なかなかスムーズに指が入らず、文字通り、手がかかる。

 「エドワード」

 ちょっとはにかみながら、ぶっきらぼうに名乗った彼に年齢を聞くと「16歳」と言う。やっと手にはまったグローブをちょっと不思議そうに眺めている。

 「よし、まずはエドワード君、やってみよう。野球はこんな小さなボールを使う。その基本的なスキルがキャッチボールだ。捕るときはグローブの中心で捕るんだ」

 簡単に説明したものの、技術的なことはこの際どうでもいい。まずはやってみて、楽しい、と感じてもらうことだ。

 そのための秘策がある。

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