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三島由紀夫拡大三島由紀夫=1969年

三島由紀夫の天皇論は「劇薬」

5月15日(水) 沖縄本土返還の日。今日は岸井成格さんの命日だった。話のできるジャーナリストがどんどんいなくなっていく。TBSのKから、「三島由紀夫VS東大全共闘」のTBS所蔵フィルムのことで電話が入る。電話の趣旨がよく理解できなかったが、要するに「NEWS23」で、そのフィルムを特集でKが扱うとの事前通告だったのかな。僕自身も日本人にとって天皇制とは何かを考えていることもあり、こちらから、どうのこうのと言うべき筋合いはない。好きにやればいいのだ。「三島由紀夫VS東大全共闘」については、僕自身もう33年前に特集をつくったことがあり、その後も2回ほどこのフィルムを使って特集を組んだことがあった。あの映像が広く市民に共有されること自体はいいことだと思っている。歴史的な出来事なのだから。三島の天皇論は、今現在のふやけた天皇制に関する言論状況においては、一種の「劇薬」であり、生半可な扱いを許さない部分がある。それを超えることができるのか。問われるのは僕らだ。

 夕方の便で旭川へと向かう。駅前のホテルに家人と投宿。あしたの朝が義母の法事のもろもろで忙しいので、夜のうちに中学以来の親友Mと会う。お互いに歳をとったなどという世間話を2時間ほどしてホテルに引き上げる。本当に気のおけない友達の数はどんどん減ってきた。人と敵対し続けるのは相当なエネルギーが必要だ。また逆に、人から敵対され続けるのに耐えるのにも相当な気力が必要だ。憎悪の根源に遡れば遡るほど、その憎悪が強まるということがあることを知る。こういう時は泳ぐに限る。横浜に戻ってから泳ごう。

5月16日(木) 早起きして、ホテルの大浴場に行き、まずアルコールを抜く。旭川市内の高台にある墓地で義母の遺骨を墓に入れる納骨式。義父を迎えに行き、車で分乗してお墓を水で清め、お坊さんに読経をしてもらい、納骨。義母の骨を初めてみた。亡くなった時は仕事で葬儀に立ち会うことができなかった。墓地は旭川の街を一望できる高台にあって、とても環境がいいが、冬は雪の下にすっぽりと入り込んでお参りも難しいのではないか。この墓地には三浦綾子の墓もある。その後、ホテルに戻って雑件を片づけ、19時30分発の最終便で東京に戻る。あしたの朝の取材に間に合わせるためだ。

5月17日(金) 午前中、江東区東雲のオートバックスに行き、そこで、アクセル、ブレーキ踏み間違い防止装置のトライアル運転。何で自分がこういう役回りをするのか、自分でも納得がいかないまま「取材」と称して撮影されることになる。恩師の筑紫哲也が44歳の時に出した本で『猿になりたくなかった猿――体験的メディア論』(1979年、日本ブリタニカ)という本がある。今の時代でも優れたテレビ論だが、そこに記されている文章を引用する。

 <……テレビという私にとって新奇な世界で仕事をすることになってから、「テレビ・マンは番組の出演者を“猿回しの猿”だと思っているのか」と私がテレビ側の仕事仲間にカミついたら、

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筆者

金平茂紀

金平茂紀(かねひら・しげのり) TBS報道局記者、キャスター、ディレクター

TBS報道局記者・キャスター・ディレクター。1953年、北海道生まれ。東京大学文学部卒。1977年、TBSに入社、報道局社会部記者を経て、モスクワ支局長、「筑紫哲也NEWS23」担当デスク、ワシントン支局長、報道局長、アメリカ総局長、コロンビア大学客員研究員などを経て、2010年より「報道特集」キャスター。2004年、ボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『沖縄ワジワジー通信』(七つ森書館)、『抗うニュースキャスター』(かもがわ出版)、『漂流キャスター日誌』(七つ森書館)、『筑紫哲也『NEWS23』とその時代』(講談社)など多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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