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児童養護施設を巣立つ若者へ奨学金 世田谷の挑戦

「奨学基金」で広がる寄付文化。「フェアスタート事業」に予想を超える反響

保坂展人 東京都世田谷区長 ジャーナリスト

拡大写真と本文は関係ありません。

「フェアスタート事業」が始まる背景

 2011年3月11日、東日本大震災の大きな揺れの瞬間、私は児童養護施設の出身者でつくる「日向ぼっこ」の事務所(東京都文京区)にいました。「日向ぼっこ」は、これまでバラバラになっていた児童養護施設の出身者たちが互いに連絡を取り合い、共に語らったり食事をしたりという活動を続けていました。このNPOは、当事者が声をあげ仲間を集めて運営する画期的なものでした。

 午後2時46分、目の前の屋根の瓦がパチンパチンと音を立てて飛び、冷蔵庫が2~3メートルずれる中で、私はしばらく不安定なテレビを押さえていました。

 2009年の民主党への「政権交代選挙」で、私は11万6723票を東京8区で獲得するも落選しています。浪人中は政治家として事務所を維持しながら、ジャーナリストとしてルポルータージュ記事を週刊誌等に書いていました。

 2011年3月11日の東日本大震災と原発事故で記憶が遠のいた方も多いのですが、2010年の暮れから児童養護施設に新品のランドセルを置いて立ち去る「タイガーマスク現象」が。話題になっていました。ランドセルは、児童養護施設から小学校に入る子どもたちへのプレゼントでした。

 何らかの理由で親のもとで暮らすことのできない子どもたちを、親に代わって養育をする「社会的養護」の仕組みの入口にスポットライトが当たったのなら、出口を照らしだすキャンペーンをやろうと考えていました。

 2011年3月11日、「日向ぼっこ」に集う若者たちに、どのような経過で親元を離れて施設に入所したのか、施設での処遇はどうだったのか、施設を出てどんな生活を送ったのか等についてインタビューを終えたところだったのです。

 この日、夕方にはこのテーマで、NHKの特集番組をつくるために意見交換をしようという予定になっていて、同時に週刊誌でのキャンペーン企画も始める予定でした。東日本大震災と原発事故が、これらすべての予定を白紙にしました。

 私自身も、原発事故の影響で孤立化した南相馬市に対しての支援物資を届けるプロジェクトを杉並区役所と一緒に取り組み、これらの激動の渦中で世田谷区長に転身することを決意して、この年の4月上旬に出馬表明して、短期間で当選しました。

 区長となって、改めて「児童虐待防止法」に書き込んだ「自治体の責務」を果たす役割となったことに気がつきました。さらに、23区の区長で構成する特別区長会では、東京都と「児童相談所の移管」を巡って厳しい交渉の渦中にありました。私は、地域に密着した基礎自治体にこそ児童相談所の運営主体になるべきだという議論の先頭に経ちました。

 しばらくして、日本青年会議所世田谷区委員会のメンバーが継続して児童養護施設「福音寮」を支援したいという企画が持ち込まれ、2013年から5年にわたって「夢をかなえる力」という事業名で継続した支援と社会的課題を議論するシンポジウムを開催しました。(こちら参照)

 5年にわたって児童養護施設を支援したJCのメンバーも、18歳の高校卒業後に施設を退所していく若者たちの進路が限られていることに関心を持っていました。「フェアスタート事業」が始まる背景にはこうした動きがありました。

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筆者

保坂展人

保坂展人(ほさか・のぶと) 東京都世田谷区長 ジャーナリスト

宮城県仙台市生まれ。教育問題などを中心にジャーナリストとして活躍し、1996年から2009年まで(2003年から2005年を除く)衆議院議員を3期11年務める。2009年10月から2010年3月まで総務省顧問。2011年4月より世田谷区長(現在3期目)。 著書:「相模原事件とヘイトクライム」(岩波ブックレット)、「脱原発区長はなぜ得票率67%で再選されたのか?」(ロッキング・オン)、「88万人のコミュニティデザイン 希望の地図の描き方」(ほんの木) 近著に「〈暮らしやすさ〉の都市戦略 ポートランドと世田谷をつなぐ」(岩波書店2018年8月)、「子どもの学び大革命」(ほんの木2018年9月)他

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