国連人口基金のトップが語る「人口問題」の現実
カイロ会議から25年。いつ誰と子供を産むか産まないか、決める権利を人は持ったか?
ナタリア・カネム 国連事務次長 国連人口基金(UNFPA)事務局長

日本政府の支援によりUNFPAがロヒンギャ難民キャンプに設置したWomen Friendly Space (女性のためのセーフ・スペース)で、難民女性たちの話に耳を傾けるナタリア・カネム=2018年5月23日
※この記事は日本語と英語の2カ国語で公開します。英語版でもご覧ください。
カイロで起きた劇的な変化
四半世紀前、国際開発分野における劇的な変化がカイロで起きた。
1994年、「国際人口開発会議(カイロ会議)」に集まった179カ国の政府は、世界の人口はバランスシートではなく、一人ひとりの人生に色取られた「色彩豊かなタペストリー」であることを確認した。 この会議で、個々の尊厳と家族計画の権利を開発の中心にすえる画期的な「行動計画」が採択されたのだ。
私もこの会議に参加していた。カイロで開かれたこの会議には、各国の政府関係者、公衆衛生分野の指導者、女性の権利を求める提唱者、研究者および若者の活動家などが、使命感と目的を持って集まっていた。
私たち、そして世界の何百万人もの人々にインスピレーションを与えたのは、人口とは単なる数字ではなく、一人ひとりの人生であるという基本的な信念であった。私たちは、女性と少女は開発アジェンダのまさに中心にすえられるべきであり、すべての人間は、いつ、誰と子供を産むか、あるいは産まないかを自由に決める権利を有し、そして誰もがこの基本的人権を行使する手段を持つべきであるとの信念のもとに結集した。
それは実にシンプルだ。あまりにも基本的なものなので、実際に、多くの人が当然の権利だと捉えている。しかし25年前には、世界中の多くの地域で、手の届かないところにある夢のようなものだった。そして今日においても、この基本的人権はいまだに多くの人にとって現実的なものではない。