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なぜ私は、国民民主党を離党したのか

小沢一郎、細野豪志を支え、決別した階猛。政治塾「新時代いわて」を旗揚げした思い

階猛 衆議院議員

拡大国民民主党と自由党の合同会合で立ち上がり、自由の小沢一郎代表(右から2人目)らの目の前で統一会派結成を批判する階猛氏(左)=2019年1月28日、国会内

小沢一郎の政治スタイルへの疑問

 国民民主党と自由党の合流の背景には、「数こそ力」という小沢一郎氏の政治スタイルがあるのだろう。

 小沢氏は選挙に向けてわかりやすい構図を作り、単純化を進めることで、新たな政局を生み出してきた。そのまとまりが賞味期限を迎えたら、今度は政党の解体に動き、そしてまた新党を作る。目新しさに飛びつく心理を利用したポピュリズムを駆使し、瞬間的な熱狂を生み出す。

 私には、このような政治こそが政治不信を生んできたのではないかという思いがある。

 政治とは、異なる価値観を持った人たちの利害調整を行い、丁寧な合意形成を行うものである。極端なことを言うだけであれば、政治家でなくても誰でもできる。政治は国民の幸福のために、適切な政策を実現する存在である。

 政治家は特権を与えられた存在だ。立法府において法律を作り、与党になると行政のかじ取りを担う。そんな環境のなかで研鑽を積み重ね、責任を果たしていくことこそが、政治家の役割である。

 その仕事を全うするためには、自らの理念と信念が重要になる。情熱をもって相手を説得し、時に相手の言うことに「なるほど」と思う点があれば、その意見を取り入れながら調和点を見いだしていく。これが政治のダイナミズムに他ならない。

 理念なき政党の離合集散は、真の政治のダイナミズムではない。そんな政局に、もう国民はうんざりしている。

 「政治家は次の世代を考えるが、政治屋は次の選挙のことをばかり考える」という格言があるが、私は断固として「次世代を考える政治家」でありたい。政局よりも政策に力を注ぐ政治家でありたい。選挙に勝つためには手段を選ばないという手法に、もう国民は辟易としている。

小沢一郎と私

 私は2007年に初当選し、以降、5期12年、衆議院議員を務めてきた。

 2007年の選挙は、当時民主党の衆議院議員だった達増拓也氏が岩手県知事選挙に立候補したことによる補欠選挙だった。達増氏は小沢氏の側近で、新進党時代から「小沢チルドレン」と呼ばれていた。

 このとき私を政治の道へと導いてくれたのが小沢氏だった。小沢氏の後押しがあり、私は補欠選挙に出馬し、当選することができた。いまでも小沢氏、そして達増氏には感謝の念をもっている。

 私は小沢氏を政治の師として仰ぎ、政治行動を共にした。西松建設疑惑で公設秘書が逮捕され、民主党代表を辞任したときも、小沢氏を信じ、付いていった。

 2009年の衆議院選挙で民主党が勝利をおさめ、政権を担うと、小沢氏は幹事長として鳩山内閣で大きな力を握った。しかし、2010年1月、小沢氏の秘書を務めた石川知裕衆議院議員など側近の関係者が逮捕された。私は現職の総務大臣政務官だったが、「石川知裕代議士の逮捕を考える会」に参加し、「議員の不逮捕特権」を盾に戦った。

 小沢氏は、鳩山内閣の瓦解によって幹事長を辞任した。次の菅内閣では、党内で小沢氏に対する不信感が強くなり、いよいよ剛腕を発揮できる場面がなくなっていった。それでも私は小沢氏を支えようと、仲間達とがんばった。

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筆者

階猛

階猛(しな・たけし) 衆議院議員

衆議院議員(岩手1区)、盛岡一高野球部、東大野球部で投手。勤務先の長銀が経営破たん後、企業内弁護士として活動。2007年補選で初当選、以降小選挙区で5期連続当選。総務大臣政務官、民進党政調会長、国民民主党憲法調査会長などを歴任。

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