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オーラの人、小沢一郎さんが全国行脚でみせた熱情

元参院議員・円より子が見た面白すぎる政治の世界⑬政権交代へ高木剛連合会長とタッグ

円より子 元参議院議員、女性のための政治スクール校長

オーラに圧倒される男性たち

拡大民主党の小沢一郎代表=2006年4月7日
 小沢さんといえば、大抵の男性がそのオーラに圧倒されるのを、私は間近でよく見た。

 先述の09年衆院選。政権交代につながるこの選挙の候補者選びで、私は連日のように小沢さんと打ち合わせをしていた。代表代行で、東京の民主党の実質“ドン”である菅直人さんは、私が小沢さんに「丸め込まれる」と心配し、都連の小川敏夫幹事長と加藤公一選対委員長にもついていくように行った。しかし二人は、小沢さんの前に出ると直立不動で何の意見も言えない。「円会長に来てもらえれば十分だ」と笑われる始末だった。小沢さんは男に強いのだ。

 私を政治の世界に誘い、今も私の政治の師である細川護煕さんは54歳で総理となった。そのときの経緯(いきさつ)、1993年に非自民連立の細川政権ができたときのことは、この連載でも何度か触れた。細川総理の誕生は、小沢さんが野党をまとめて、第1党の自民党に対抗する布陣をつくりあげたうえで、細川さんを口説き落としたからというのは、紛れもない事実である。

 細川さんに目を付けた小沢さんの炯眼(けいがん)は凄いと、いまもつくづく思う。細川さん自身に総理を引き受ける資質があったのは、もちろんだが。

「大したものだよ、細川さんは」

 あのとき連立した8党を見ると、社会党、民社党、公明党、社会民主連合、民主改革連合は既成政党で、新生党、新党さきがけは自民党を離党した議員たちでつくられた政党。日本新党だけが、その前年の1992年に、「自民党政治」とは違う新しい「国民のための政治」を目指して、細川さんがたった一人で旗を掲げて立ち上げた完全なる新党であった。

 細川さんが日本新党を発足した当時、1955年以来続いていた自民党の長期政権のシステムが倒れるとは、誰も考えていなかった。そこで自民党政治を否定する政党を旗揚げすることは、まさしく命がけであった。それを小沢さんは痛いほど理解していたに違いない。だからこそ、8党連立の代表は細川さんしかいないと考えたのだ。

 細川さんと赤坂プリンスホテルで密かに会い、8党連立政権の代表、つまり総理になってほしいと小沢さんが持ちかけたとき、細川さんはためらいもなく了解した。その会合から戻った小沢さんは周囲に、「大したものだよ、細川さんは。一瞬の逡巡もなく引き受けたよ」と感想をもらしたという。ただ、細川さんもまた、小沢さんに会って日本新党に戻ったときの表情は、いったい何があったのかといぶかしく思うほど尋常ではなかった。

 それから10数年、今度は民主党政権を、小沢さんは渾身の力を振り絞ってつくりあげた。

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筆者

円より子

円より子(まどか・よりこ) 元参議院議員、女性のための政治スクール校長

ジャパンタイムズ編集局勤務後、フリージャ―ナリスト、評論家として著書40冊、テレビ・講演で活躍後、1992年日本新党結党に参加。党則にクオータ制採用。「女性のための政治スクール」設立。現在までに100人近い議員を誕生させている。1993年から2010年まで参議院議員。民主党副代表、財政金融委員長等を歴任。盗聴法強行採決時には史上初3時間のフィリバスターを本会議場で行なった。

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