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危険地・南スーダンで初めての野球教室が始まった

野球人、アフリカをゆく(5)キャッチボールからバッティングへ。次はいよいよ……

友成晋也 認定NPO法人アフリカ野球友の会 代表理事

事業の再開は慎重に

 日本は、国際社会の中で世界の平和安定のための国際協力を担う責務があり、2011年の南スーダンの独立以来、首都ジュバに事務所を設置し、国造りの様々な事業を、地方を含めて立ち上げ、実施してきた。ナイル川に橋を架けたり、ジュバ市内に給水施設を造るなどのインフラ整備から、農業、教育、税関、スポーツなどの人的資源開発など、多岐にわたって意欲的に協力に取り組んできた。しかし、どれも単年で終わるものなどなく、何年もかかるものだ。

拡大Jonathan Melot/shutterstock.com
 2016年の退避、というのは、つまりそういった事業をいったん中断せざるを得なかったことを意味する。

 2年間の邦人スタッフ退避期間中は、南スーダン人のスタッフのみが事務所に残って運営をし、邦人スタッフは隣国ウガンダの首都カンパラにオフィスを構え、遠隔オペレーションを行ってきた。しかし、当然ながら事業の進捗進展には影響が大きく、当初の計画から予定を変更して取り組んできた。

 新たにJICAの所長が赴任し、邦人スタッフも戻ってきた、となれば、当然、退避前に進めていた事業が再開することを南スーダンの政府関係者からは期待される。しかし、危険度は依然高い地域なので、日本からそうそう人を送り込むことはできず、極めて慎重に事を進める必要がある。安全確認を行い、慎重に事業再開の検討を進めていくことになる。

 そんなわけで、南スーダンにやっとこさ帰ってきたJICAであるが、さあ、これからどんどんやっていきまっせ、という調子のいいことは言えないのだ。野球に例えれば、手術を終えようやく戦列復帰した二刀流のエンゼルス大谷翔平選手を、ベンチに入れながら試合に使わないようなものだ。期待するファンからすればブーイングしたくなるだろう。

 自分自身、本来、イエスから入り、ノーとは言わない、ポジティブシンキングで何事にも全力投球を旨とするタイプなので、ストレスが溜まる日々だ。

面会後、マイクを向けられ目が泳ぎ……

拡大◇大臣周りの後のインタビュー 大臣を表敬訪問した後に必ず待ち構えているテレビ局スタッフ。大臣からJICAへの熱い期待を語られたあと、マイクがふられるパターン。
 このつらさに拍車をかけるのが、大臣周りのあとのテレビインタビューだ。大臣と面会すると、必ずと言ってよいほど、取材クルーがカメラを担いで待っており、ディレクターからマイクを突き付けられる。大臣と並んで、ステイトメント(声明)をもとめられるのだ。

 そもそもテレビカメラが苦手な上に、帰ってきたJICAに期待します、みたいなことを大臣が言った後にマイクを向けられる。そりゃあ、目が泳いでしまうってもんで、プロ野球のお立ち台に新人選手が上がったような状態で、「ありがとうございます」「頑張ります」「これからも応援よろしくお願いします」を毎回連呼。しかし、新人ではないので、初々しさがない分を笑顔でカバー。

 こうして挨拶(あいさつ)回りをするたびにテレビに出るので、少なくとも政府関係者には顔ばれしてきて、初めて会う大臣に、「昨日テレビで見ましたよ」などと言われると、同じような答え方はできないなとプレッシャーがかかる。

 最初の1か月の平日は、そんな感じで目まぐるしく過ぎようとしていた。

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筆者

友成晋也

友成晋也(ともなり・しんや) 認定NPO法人アフリカ野球友の会 代表理事

中学、高校、大学と野球一筋。慶應義塾大学卒業後、リクルートコスモス社勤務を経てJICA(独立行政法人国際協力機構)に転職。1996年からのJICAガーナ事務所在勤時代に、仕事の傍らガーナ野球代表チーム監督に就任し、オリンピックを目指す。帰国後、2003年にNPO法人アフリカ野球友の会を立ち上げ、以来17年にわたり野球を通じた国際交流、協力をアフリカ8か国で展開。2014年には、タンザニアで二度目の代表監督に就任。2018年からJICA南スーダン事務所に勤務の傍ら、青少年野球チームを立ち上げ、指導を行っている。著書に『アフリカと白球』(文芸社)。

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