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危険地・南スーダンで初めての野球教室が始まった

野球人、アフリカをゆく(5)キャッチボールからバッティングへ。次はいよいよ……

友成晋也 一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構 代表理事

◇史上初の南スーダンナイン 初めてグローブ、バットを使った野球の練習に臨んだメンバー。小学生から高校生まで年齢はバラバラ。

<これまでのあらすじ>
野球を心から愛する筆者は、これまで赴任したアフリカのガーナ、タンザニアで、仕事の傍ら野球を教え普及してきた。しかし、危険地である南スーダンへの赴任を命ぜられ、さすがに野球を封印する覚悟で乗り込んだ。ところが、あきらめきれない野球への思いが、次々と奇跡的な出会いを生み出していって……。

野球ばかりの日々ではなく

 私の職場は南スーダンの首都・ジュバにあるJICA事務所だ。役割は所長。

 南スーダンは2016年に権力闘争による大規模衝突が発生し、急激な治安悪化のため、JICAの邦人職員は2年間、退避。2018年8月ようやくにジュバに戻り、事務所の運営が本格的に再開した。2018年9月下旬、着任して1か月足らずの私は、新任所長として関係省庁や協力機関の挨拶周りに忙しい日を送っていた。

 着任以来、本稿では、野球に関連するシーンばかりを書いてきたが、それはもっぱら土日の話で、平日はJICAがあるのだ。こう見えても。

 JICAの所長となると、南スーダンではポジション的に面会相手は大臣、事務次官クラスなので、事前に相手のプロフィールやこれまでの関係などの情報をまとめ、頭に入れてから臨む。通常は初対面の挨拶なので、笑顔で明るく自己紹介し、いい関係を築くことが面会の趣旨なのだが、南スーダンの場合、ちょっと特殊な事情がある。

 JICA事務所に新任所長として着任し、2年ぶりに事業も本格的に再稼働する準備に入ったが、あまり相手に期待を持たせてはいけないという、なんとももどかしい到達目標があるのだ。

 これには説明が必要だ。

南スーダンの治安は世界最悪値

 その国の治安状況を示すために、日本の外務省は「危険度(レベル)」という指標を使って「海外安全情報」を発信している。レベル1は「十分注意してください」、レベル2は「不要不急の渡航は止めてください」、レベル3は「渡航は止めてください(渡航中止勧告)」、そしてレベル4は「退避してください(退避勧告)」である。

 そして、何を隠そう、南スーダンは世界最悪値、全土がレベル4なのだ。首都ジュバだけは、政府が治安をしっかりコントロールしており、平穏な状況が確認されたため、レベル3となっている。ただし、外務省の方に言わせると、レベル4マイナス0.5の3.5が正確な実際の値なのだ、という。

 つまり、JICA事務所は首都ジュバにあるため、本来渡航をお勧めしていない。というより、渡航は止めてください、首都ジュバ以外は退避してください、という地域なのだ。

事業の再開は慎重に

 日本は、国際社会の中で世界の平和安定のための国際協力を担う責務があり、2011年の南スーダンの独立以来、首都ジュバに事務所を設置し、国造りの様々な事業を、地方を含めて立ち上げ、実施してきた。ナイル川に橋を架けたり、ジュバ市内に給水施設を造るなどのインフラ整備から、農業、教育、税関、スポーツなどの人的資源開発など、多岐にわたって意欲的に協力に取り組んできた。しかし、どれも単年で終わるものなどなく、何年もかかるものだ。

Jonathan Melot/shutterstock.com
 2016年の退避、というのは、つまりそういった事業をいったん中断せざるを得なかったことを意味する。

 2年間の邦人スタッフ退避期間中は、南スーダン人のスタッフのみが事務所に残って運営をし、邦人スタッフは隣国ウガンダの首都カンパラにオフィスを構え、遠隔オペレーションを行ってきた。しかし、当然ながら事業の進捗進展には影響が大きく、当初の計画から予定を変更して取り組んできた。

 新たにJICAの所長が赴任し、邦人スタッフも戻ってきた、となれば、当然、退避前に進めていた事業が再開することを南スーダンの政府関係者からは期待される。しかし、危険度は依然高い地域なので、日本からそうそう人を送り込むことはできず、極めて慎重に事を進める必要がある。安全確認を行い、慎重に事業再開の検討を進めていくことになる。

 そんなわけで、南スーダンにやっとこさ帰ってきたJICAであるが、さあ、これからどんどんやっていきまっせ、という調子のいいことは言えないのだ。野球に例えれば、手術を終えようやく戦列復帰した二刀流のエンゼルス大谷翔平選手を、ベンチに入れながら試合に使わないようなものだ。期待するファンからすればブーイングしたくなるだろう。

 自分自身、本来、イエスから入り、ノーとは言わない、ポジティブシンキングで何事にも全力投球を旨とするタイプなので、ストレスが溜まる日々だ。

面会後、マイクを向けられ目が泳ぎ……

◇大臣周りの後のインタビュー 大臣を表敬訪問した後に必ず待ち構えているテレビ局スタッフ。大臣からJICAへの熱い期待を語られたあと、マイクがふられるパターン。
 このつらさに拍車をかけるのが、大臣周りのあとのテレビインタビューだ。大臣と面会すると、必ずと言ってよいほど、取材クルーがカメラを担いで待っており、ディレクターからマイクを突き付けられる。大臣と並んで、ステイトメント(声明)をもとめられるのだ。

 そもそもテレビカメラが苦手な上に、帰ってきたJICAに期待します、みたいなことを大臣が言った後にマイクを向けられる。そりゃあ、目が泳いでしまうってもんで、プロ野球のお立ち台に新人選手が上がったような状態で、「ありがとうございます」「頑張ります」「これからも応援よろしくお願いします」を毎回連呼。しかし、新人ではないので、初々しさがない分を笑顔でカバー。

 こうして挨拶(あいさつ)回りをするたびにテレビに出るので、少なくとも政府関係者には顔ばれしてきて、初めて会う大臣に、「昨日テレビで見ましたよ」などと言われると、同じような答え方はできないなとプレッシャーがかかる。

 最初の1か月の平日は、そんな感じで目まぐるしく過ぎようとしていた。

脳裏をよぎる衝撃の一球

John Wollwerth/shutterstock.com
 そんななか、息が抜けるのは週末。土曜日はマーケットに買い出し。そして、日曜日は毎週ジュバ大学のグラウンドに顔を出してきた。仕事を忘れ、素の自分に戻れる貴重な時間だった。

 ふと、あの衝撃の一球が脳裏をよぎる。

 17歳の青年、エドワード君。185センチはある身長。長い手足。

 初めてやったキャッチボールで魅せた、回転のいい伸びるボール。

 来週もまた来いよ、と声をかけたものの、彼はまたグラウンドにきてくれるだろうか。(「野球を知らぬ南スーダンの若者が投げた衝撃の一球」参照)

 先週のジュバ大学のグラウンドに行ったときは、たまたま木陰で寝ていた若者3人を拿捕するような形で、強引にキャッチボールに誘うことができた。3人とキャッチボールを終えた後、来週はもっとたくさん友達を連れてくれば、投げるだけではなくて、バットでボールを打ったりもできるぞ、もっと楽しいぞ、などと伝えた。

 しかし、野球をやったこともなければ、見たこともない彼らだ。投げて打つ。その先にある、スピードを競うスリル、頭を使う面白さ、チームが一丸となる楽しさと、チームメートとの喜怒哀楽の分かち合い。野球の面白さと深みがどれだけ広がっているのか、きっと想像もつかないだろう。

エドワード君、再び

 午後3時過ぎに、私の乗った防弾車が人けのないグラウンドに着いた。とりあえず、自分のグローブだけをもって降りる。太陽の位置はまだ高く、強い日差しに思わず目を細める。

 サングラスが欲しいところだが、ここはあえてかけないで待った。初対面だった前回となるべく同じような雰囲気を出して、認識してもらいやすくしようと思ったからだ。まあ、ジュバ大学に防弾車で乗り付け、グローブを持っている東洋人が他にいるとは思えないが、ここは気持ちの問題だ。

 ふと、グラウンドの塀の上に、赤いTシャツを着た一人の青年が片膝を折って座っているのが目に入った。どうもこっちを見ているようだ。あの足の長さは、エドワード君かもしれない。

 私はグローブをはめた左手と右手を突き上げ、「カモーン!」と叫んで手を振った。すると、彼は塀の外の方を見てなにやら声をかけた後、軽やかに塀から降り、歩いて向かってきた。

 あれは……やっぱりエドワード君だ! 彼が、また現れた!

 ワクワク感が抑えられずに、こちらからも、2歩、3歩とエドワード君を迎えに足を踏み出したとき、塀の向こうにまた一人、ひょい、と乗り越えた影が見えた。

 おっ!彼も先週きた子かな?目を凝らしてみていると、さらにまた一人、また一人と、塀を乗り越えてくる。気づけばエドワード君の背後に数人の男子が歩いて向かってきた。
「ウエルカム、エドワード!」と手を差し出し、握手する。そして、次々に「ウェルカム!」と言いながら握手を交わした。その数、7人!

 見たところ、エドワード君と同じような年齢の子たちが集ったようだ。

Suzanne Tucker/shutterstock.com

野球教室が始まった

 みな、Tシャツに短パン、サンダルのいでたち。スポーツをする格好ではない。かくいう自分もTシャツに短パン姿。人のことは言えないでたちだ。

 ただ、今回は、キャッチボール以上の展開を予想し、スニーカーシューズを履いてきている。

 エドワード君たちは、キャッチボールを気に入ってくれたのだろう。ちゃんと声をかけて仲間を連れてきてくれたエドワード君に、ボールを見せながら「さっそくやろうか?」と声をかけると、少し照れ笑いを見せながらうなずいた。

 防弾車に乗せてきた段ボール箱を取り出す。その中にはグローブをとりあえず十数個入れてきた。一人ひとりにグローブを渡していく。エドワード君は二度目ということもあって、スムーズにグローブをはめたようだが、他の子たちにとっては簡単ではない様子。小指のところに2本の指が入ったり、左利き用の右手にはめるグローブを無理やり左手にはめようとしたり。

 グローブをうまくはめられない、ということは日本ではまず見られない光景だろう。
なんとか全員グローブを無事装着したところで、2人でペアを作らせ、ボールを1個ずつ渡してゆく。

 「アテンションプリーズ!今、みんながはめたのは、グローブというものだ。これはベースボールというスポーツで使う道具だ。サッカーでは足で蹴ってボールをパスするだろ? 野球はボールを蹴ったりしない。足ではなく、手を使う。ボールを投げたり、捕ったりするんだ」

 百聞は一見にしかず。「エドワード。デモンストレーションしよう」と声をかける。エドワード君にとっては、まだ二度目に過ぎないキャッチボールだが、このメンバーの中ではアドバンテージがある。

「ナイスボール!」
「ナイスキャッチ!」

 前回同様、少し大げさに、大きな声をかけながらキャッチボールを始めた。それを見ている子たちは、クスクスと楽しそうに笑い始める。

 「ボールは相手の胸を目標に投げるんだ。相手が捕りやすいようにね。そして、ナイスボール!ナイスキャッチ!と声を掛け合うこと。さあ。始めよう」

 初めての野球教室が始まった。

キャッチボール、そしてバッティング

◇初めてバッティングに挑戦! ボールを打つ、ということ自体が全員初体験の挑戦。
 いつの間にかまた人数が少し増え、10人で5組のペアができていた。しかしなにせ初めてなだけに、捕るのも投げるのもぎこちない。投げる時に右手と右足が同時に出たり、目線よりちょっと高いボールを捕れずにそらしたり。暴投なのに、ナイスボールと言ったり、グローブの網でかろうじてはまっただけなのに、ナイスキャッチ、と言ったり。
このバラバラぶりが何ともほほえましい。

 「よーし、続いてバッティングをやってみよう!」

 赴任時に、日本からもってきた野球道具が入った「開かずの段ボール箱」が早々に開梱(かいこん)され、グローブ、ボールに続いて、三つ目のアイテムがついに南スーダン初登場。この日は1本だけ持ってきていた軟式用の金属バットを車の中から取り出してきた。

◇逆手が普通⁉ 何も教えずにバットを持たせると、右手を下に左手を上にバットを握る子が半分。
 やはり野球の醍醐味はバッティングだ。10人いれば、みんなで守って、一人ずつ打てる。9人にそれぞれのポジションを示して守らせ、一人ずつ順番にバッターボックスに立たせた。ピッチャーは、ソフトボールのスローピッチのように、下手から緩く打ちやすいボールを投げてあげるようにした。

 いざ、バットを持たせてみると、半分以上の選手が、バットの握り手を間違える。軟式用の金属バットはとても軽いにも関わらず、スムーズに振りきれる子はいない。それでも、ゆっくり下手から投げられたボールは打てる。

 とにかく前に飛んだら、「ナイスバッティング!」と声を上げる。一人10球ずつのバッティングだったが、空振りは数えずに、バットに当たってはじめて1球カウントとし、全員「ナイスバッティング」ができた。

彼らは、きっとまた来る

 日差しが斜めになってきた4時過ぎ。グラウンドにサッカー選手たちが入ってきた。ジュバ大学のグラウンドはそもそもはサッカー場なので、彼らに優先権がある。

「よーし、終わりにしよう!」

やむなく、実質的に初めての練習を終えた。たった1時間というのはあまりに短かったが、基本的な野球体験をさせてあげることができた。

 彼ら10人をグラウンドの片隅に集め、感想を聞くと、口々に「Amazing!」(すごい!)、Enjoy!(楽しかった!)などの回答が返ってくる。

◇練習を終えて 初めての野球らしい練習を終えたメンバー。充実感が伝わってくる表情が嬉しい。
 中高生と思われる彼らの本来の母語はジュバアラビック。アラビア語のジュバ周辺の方言のようなもので、英語は彼らにとっても外国語。語彙(ごい)が少ないのはしょうがない。

 「今日やったのは、野球の基本的な動作だけなんだ。ほんとはもっとエキサイティングで面白いスポーツなんだ。もっとたくさん集まればゲームができる。また来週の日曜日、同じ時間にここで集まろう!」

 つとめてゆっくり話す私の英語を、うなずきながら聴いている彼ら。その一人一人の充実感あふれる表情に手ごたえを感じた。

 彼らは、きっとまた来る。

 もう少し人数が集まれば、ゲームがしたい。野球の真の楽しさは試合をやらなければわからない。しかし、まったくのど素人が十数人も集まって、みたこともやったこともない複雑なルールの野球の試合をするのは、相当困難だ。しかし、これまでアフリカで野球を伝えてきた経験から、困ったときに野球の神様は必ず手を差し伸べてくださる。

 人数が増えたらどうやって教えようか。そんな不安と悩みは、翌週の練習で、思いがけない形で救われることになる。(続く)