国民の中にある「王朝遺伝子」の発現と民間活力に翻弄され始めた共産主義国家の将来
2019年06月13日
5月31日、中国は教育工作会議を、チャイナ7や全閣僚を含めた中国全土の主たる共産党メンバーが出席する形で開いた。これは、金融工作会議や経済工作会議とは全く異なり、全国民にオープン(ニュースで放映)で、しかも各省、特別市の会場で習近平主席等の話を聞く官僚の姿も全て順に放映された。全人代のように人民大会堂に多くが集う形ではなく、各地の大会議室でビデオを通して習近平主席等の話を聞く形をとったのである。このテレビモニターの画像と声がリアルタイムで映し出されるように、5Gを使ったとの噂もある。ちなみに、王毅外相や劉鶴副首相、三軍のトップらも出席して、真剣にメモを取っていた。
こうしたパフォーマンスに加え、3月の全人代や米中貿易交渉決裂の後で、7月の北戴河会議の前というタイミングもあって、この教育工作会議は非常に異例な位置づけとなった。ここでの習主席の発言は、「全ての共産党員(特に幹部)は、初心を忘れず、(共産主義の下で小康社会<いくらかゆとりある生活をできる社会>を達成するという)使命を達成し、(現在直面している米中貿易摩擦のような)困難な問題の解決に全力を注ぎ、全国民に満足感、幸福感、安心感を与えるために努力する」という主旨のものであった。
習近平主席は、これに先立つ5月20日に1934年の「長征」開始地である瑞金を訪問し、新たな長征の開始を呼びかけていたが、今回の会議での挨拶もその延長線上にあるものと感じられた。
「長征」は、共産党にとって、新国家建設の第一歩となった歴史的意義を強調する大イベントであるが、実際にはその悲惨さが語られてきたのも事実であり、決して国民にポジティブに受け止められてはいない。従って、米中貿易摩擦の長期化を覚悟するという意思を伝えるために「新長征」という言葉を使うことは、習主席にとって勇気のいる決断だったに違いない。
しかし、その言葉を敢えて使った習政権の意図は、各種報道と実際の工場閉鎖の噂などで国民が不安を募らせるなか、人心を安定させて問題の長期化に備えるための苦肉の策であったと捉えることも可能である。実際、教育工作会議前の5月14日には国立スタジアム(鳥の巣)で盛大なアジア文化カーニバルを開いてその威厳を国民に示したあと、会議翌日の「国際子供の日」には北京近郊の子供たちに接するとともに、マカオの子供からの手紙へも回答するなど、全国民と共にあることを強調した。
「新長征」の意味するところは、挑戦的なものというよりは、中国として様々な反論や報復はしつつも、基本的には米国の挑発に乗らず、落ち着いて、鄧小平・国家中央軍委員会主席のスローガンを発展させた2009年の「堅持韜光養晦、積極有所作為」(才覚を隠して力を蓄える一方で、国際的秩序の維持のためなど必要な役割を果たす戦略)を粛々と進めていこうというものだと理解すべきであろう。
恐らく、現在の中国の実態は、三国志で言えば、勢いに乗じて攻め続けてくる蜀の劉備玄徳軍から逃げ続ける呉の陸遜の戦略に似ているものの、これでは、攻める米国(=蜀)に義があり、逃げる中国(=呉)は関羽を殺すなどの良いイメージがないことと、三国志そのものが帝国の復活を意味する懸念がある、さらに、共産党の歴史を第一に考えるという意図から、「新長征」と呼んだと考えられる。
しかし、三国志の呉の孫権と同様に、この間にも習政権は必要な手を打ち続けている。5月31日はシンガポールでアジア安全保障会議(通称、シャングリラ会議)が開催されたが、そこには魏国防大臣が出席し、米国のシャナハン国防長官代行と会談した際、台湾の防衛についても強く主張している。同日、王岐山国家副主席はドイツでシュタインマイヤー大統領およびメルケル首相と会談し、今後の中独関係の強化について話し合った。また、北京では教育工作会議の傍らで、一帯一路構想のインターナショナル・ボード・ミーティングも開かれた。
では、なぜ教育工作会議という全共産党員、また全国民を対象とするような会議をこの時期に大々的な形で開いたのか。また、その背景には何があるのだろうか。
昨年、国家主席の任期制限撤廃などを決めるなど内政を固めたことに対して、「習王朝」との揶揄(やゆ)もあったが、今年の全人代では、社会主義市場経済に軸足を置いた大国建設の柱を見せたのだ。背景には、そのための様々な施策が成果を上げ始めたことがある。
習近平主席は、2017年の第十九回党大会で「中華民族の偉大なる復興という中国の夢を実現するために奮闘を惜しまない」との意見を述べた。そのうえで、共産党建党百年の2021年と中華人民共和国建国百年の2049年の間の約30年間を、「小康社会」を完成させる2035年までの第一段階と、その後それを強化する第二段階とに分け、現代化した社会主義の強国を実現するとしている。
習政権は、2010年のGDPの2倍という目標を余裕で達成し、本格的な成長路線下での政権運営に移行した訳だが、その勢いに乗って国際的な役割を一段と担っていくとしたのだ。社会主義を世界に広めるとまでは言っていないものの、民主主義との平和的な共存とも言っていないところがミソで、彼のパワー志向が垣間見られたのは事実である。
中国では、新王朝は前王朝の良いところは踏襲しつつも、それ以外は独自の統治機構など新たなものとする(自分たちのものを導入する)歴史がある。かつ、自分達の正当化のために前王朝の史書を表すことも踏襲されてきた。
現在の中華人民共和国の場合、1912年に清が滅んだ後の混乱を経て、1949年に成立してから現在までの70年間に、表舞台としての経済発展や軍備増強、海外展開を進めた一方で、舞台裏ではそれを支える様々な仕組み作りに着手してきた。それは、大国に生きる中国人の身体に染み付いた基本的な考え方であり、この観点で考えれば、習近平政権によるこれまでの開発を今更止めることは、国民感情的にも出来ない。
日本で言えば、明治維新がこれに似ているが、アジア進出のために欧米の協力が必要だったこともあり、当時の日本は、欧米列強による植民地体制に挑戦するのではなく、それを自分達も真似ることを選んだ。また、第2次大戦後のGHQの占領下では、従来からの官僚制度や通貨制度など根本的な変化には繋がらなかった。このような日本人には、中国人の大国建設の背景にある発想を理解するのは難しい。
まだGDPなどのマクロデータには反映してきていないものの、多くの都市で消費が落ちているとの話が出始めており、北京の中心街でも、これまでの高度成長と観光客の増加で大混雑であったレストランの多くで、混雑さが和らいできているなど、マイナスの意味で変化の兆しが見えている。
かつ、トランプ政権による対中攻勢は、表面的には、多くの中国人にも80年代の日中貿易摩擦の時と同様に、貿易収支のみに関する対策をしても解決策にはならないとわかるものである。また、国営企業等への補助金の縮小や、国内企業優先の発注を義務付ける法律の改正などは、見方によっては内政干渉であり、また中国虐(いじ)めとも受け取れるようなものである。つまり、中国に義があると主張できるのだ。
くわえて、中国側の報道をみると、歴史を辿(たど)れば、アヘン戦争以降の中国侵略、日本による「人種による差のない平等」要求を拒否したパリ講和会議、日本への原爆投下、日本の経済成長に対する批判など、黄渦に対する差別、という主張にまで至っている。
しかし、習政権が心配しているのは、中国国民は、この事実を中国メディアの批判的な報道を通して知ったとしても、その背景にあるのは両国の価値観の違い(すなわち、共産主義と資本主義、社会主義と民主主義<特に、大統領のトランプをどんなに馬鹿にしても逮捕されない米国の自由さ>など)というものであり、中国もこれを機に米国側に加わった方が得なのではないかと考え始めるリスクである。
国民からすれば、トランプ政権が中国をグローバル・サプライ・チェーンから外そうとしているなかで、片意地を張って突っ張ることよりも、アメリカの主張を受け入れた方が良いという判断も可能だからである。しかし、米国と違う風土でこれを受け入れることは、東欧やリビアなど、アメリカによる開放の流れが政権転覆にまで繫がるほど大きな変化をもたらしたという事実もある。
先日、劉鶴副首相らが米国のライトハイザー補佐官達と準備した150ページに及ぶ合意内容を、100ページ程度まで削除した中国の官僚たちの行動は、単純な経済問題というよりも、イデオロギー的対立を背景にした色彩がある。ここで中国が折れることは、プライドが許さないとかいうものではなく、内部に敵を抱えることになり、習政権の存亡に影響するリスクがあるのだ。
特に、この一年の報道の中で、習近平主席は表に出る機会が増えた。同時に、権力の集中とともに、いざという時には責任を取るという強いリーダーシップを示唆する記事も増えている。これは彼の強さを示すものである一方、これが失敗した暁には、その責任が集中することも示唆しているとも考えられ、ポスト習近平の動きになりかねないリスクを内包している。
こうした状況下、習政権は、天安門事件から30周年の6月4日を前に、困難化した対米関係を正直に受け入れつつも、それに翻弄されることなく、これまでの国家発展の努力を続けるということを示したのである。
なかでも、グーグルによるアンドロイドの供給停止や、アーム社による半導体供給の停止は、同社にとって大きな痛手であろう。ただ、アーム社の半導体を実際に供給しているのは、アーム社の子会社が委託生産している台湾のTSMC社であり、ここは従来通りの供給を続けるとしている。
中国にとってこの問題は、台湾には他にも部品を供給する会社が存在していることだ。中国は、台湾を中国・台湾省として自国の一部としてきたわけだが、ファーウェイの問題は、経済面で見ても、台湾を自国側につかせる必要があることを意味している。既述の魏国防大臣による台湾に関する発言は、ファーウェイ社のことも含んでいると見るべきである。
一方、ファーウェイ社は、99%を社員株主が占め、融資の多くを中国国家開発銀行から受け入れて、中国内で生産を拡大してきた企業である。しかし、もしアメリカの指摘が間違いで、中国政府とは無関係の会社であるとすれば、同社には欧米の投資家や銀行からの資金を受け入れ、またアメリカに工場進出するという選択肢がある。
ところが、これも中国にとって問題なのだ。仮にこれが現実のものとなると、中国国民は、習政権は国営企業でないファーウェイを守れなかった、と受け取る可能性がある。従って、中国は、通信覇権という問題とは別に、自国で頑張る民間企業のファーウェイ社を守らなければならないのである。また、中国の国内優先の発注を求める法律等の改正についても、アメリカが指摘するような国家資本主義の問題とは別に、同社の技術流出の可能性を防ぐという必要性も国の役割として出てくるため、この点でも安易にはアメリカの主張を飲むわけにはいかない。実際、中国は技術流出を防ぐための法整備を始めている。
この間、王岐山副主席が訪問したドイツは、ファーウェイが研究所を設立する場所であるとともに、中国にとってはアメリカの同盟国でありながら、アヘン戦争時に唯一中国に大砲を売るなど支援してくれた国でもある。そのドイツがファーウェイ社や中国との関係を維持しようとしているのだから、中国としても、この関係を大切にしたいところだ。それゆえ、王岐山副主席を敢えて教育工作会議を休ませてまで訪独させたのだろう。
アリババやテンセント、バイドゥなどの拡大は、従来からの全人代や共産党大会で目指してきた民間企業の育成が成功した証であり、中国としてはこれをさらに進めて生きたいと考えている。インターネットの利用は、一般商品の売買や検索機能の提供のみならず、金融・保険商品の販売のほか、国内外への投資などにも使われるようになった。この利用件数は中国国内だけで、もはや米国など他国には追随することが出来ないレベルとなっている。
このようなインターネット取引の拡大に付随して、アリペイ(アリババの金融子会社)などを使ったインターネットでの代金決済も普通となった。これは、アメリカとほぼ等しい国土に5倍近い人口を抱え、電線の敷設などインフラ整備面の遅れた中国が、地方の隅々まで小康社会を提供するための重要なツールの一つとなり、中国政府も金融支援などで拡大を後押ししてきている。だから、習政権はアリババやテンセントの会長を全人代に特別ゲストとして迎えたのだ。
そのアリババは今、アリペイを使って国際送金を拡大しようとしている。
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