新たな「長征」を覚悟する習近平政権の国内事情
国民の中にある「王朝遺伝子」の発現と民間活力に翻弄され始めた共産主義国家の将来
酒井吉廣 中部大学経営情報学部教授

演説する習近平国家主席=2018年12月18日、北京
異例の教育工作会議
5月31日、中国は教育工作会議を、チャイナ7や全閣僚を含めた中国全土の主たる共産党メンバーが出席する形で開いた。これは、金融工作会議や経済工作会議とは全く異なり、全国民にオープン(ニュースで放映)で、しかも各省、特別市の会場で習近平主席等の話を聞く官僚の姿も全て順に放映された。全人代のように人民大会堂に多くが集う形ではなく、各地の大会議室でビデオを通して習近平主席等の話を聞く形をとったのである。このテレビモニターの画像と声がリアルタイムで映し出されるように、5Gを使ったとの噂もある。ちなみに、王毅外相や劉鶴副首相、三軍のトップらも出席して、真剣にメモを取っていた。
こうしたパフォーマンスに加え、3月の全人代や米中貿易交渉決裂の後で、7月の北戴河会議の前というタイミングもあって、この教育工作会議は非常に異例な位置づけとなった。ここでの習主席の発言は、「全ての共産党員(特に幹部)は、初心を忘れず、(共産主義の下で小康社会<いくらかゆとりある生活をできる社会>を達成するという)使命を達成し、(現在直面している米中貿易摩擦のような)困難な問題の解決に全力を注ぎ、全国民に満足感、幸福感、安心感を与えるために努力する」という主旨のものであった。
習近平主席は、これに先立つ5月20日に1934年の「長征」開始地である瑞金を訪問し、新たな長征の開始を呼びかけていたが、今回の会議での挨拶もその延長線上にあるものと感じられた。
習近平主席が「新長征」と言ったわけ
「長征」は、共産党にとって、新国家建設の第一歩となった歴史的意義を強調する大イベントであるが、実際にはその悲惨さが語られてきたのも事実であり、決して国民にポジティブに受け止められてはいない。従って、米中貿易摩擦の長期化を覚悟するという意思を伝えるために「新長征」という言葉を使うことは、習主席にとって勇気のいる決断だったに違いない。
しかし、その言葉を敢えて使った習政権の意図は、各種報道と実際の工場閉鎖の噂などで国民が不安を募らせるなか、人心を安定させて問題の長期化に備えるための苦肉の策であったと捉えることも可能である。実際、教育工作会議前の5月14日には国立スタジアム(鳥の巣)で盛大なアジア文化カーニバルを開いてその威厳を国民に示したあと、会議翌日の「国際子供の日」には北京近郊の子供たちに接するとともに、マカオの子供からの手紙へも回答するなど、全国民と共にあることを強調した。
「新長征」の意味するところは、挑戦的なものというよりは、中国として様々な反論や報復はしつつも、基本的には米国の挑発に乗らず、落ち着いて、鄧小平・国家中央軍委員会主席のスローガンを発展させた2009年の「堅持韜光養晦、積極有所作為」(才覚を隠して力を蓄える一方で、国際的秩序の維持のためなど必要な役割を果たす戦略)を粛々と進めていこうというものだと理解すべきであろう。
恐らく、現在の中国の実態は、三国志で言えば、勢いに乗じて攻め続けてくる蜀の劉備玄徳軍から逃げ続ける呉の陸遜の戦略に似ているものの、これでは、攻める米国(=蜀)に義があり、逃げる中国(=呉)は関羽を殺すなどの良いイメージがないことと、三国志そのものが帝国の復活を意味する懸念がある、さらに、共産党の歴史を第一に考えるという意図から、「新長征」と呼んだと考えられる。
しかし、三国志の呉の孫権と同様に、この間にも習政権は必要な手を打ち続けている。5月31日はシンガポールでアジア安全保障会議(通称、シャングリラ会議)が開催されたが、そこには魏国防大臣が出席し、米国のシャナハン国防長官代行と会談した際、台湾の防衛についても強く主張している。同日、王岐山国家副主席はドイツでシュタインマイヤー大統領およびメルケル首相と会談し、今後の中独関係の強化について話し合った。また、北京では教育工作会議の傍らで、一帯一路構想のインターナショナル・ボード・ミーティングも開かれた。
では、なぜ教育工作会議という全共産党員、また全国民を対象とするような会議をこの時期に大々的な形で開いたのか。また、その背景には何があるのだろうか。