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通貨戦争を避けたい習政権と売れない⽶国債の価値

通貨戦争を含む経済冷戦に突入できない米中の実情 長期戦略に短期戦術も必要な中国

酒井吉廣 中部大学経営情報学部教授

Ink Drop/shutterstock.com

「G20」サミットでなにがしかの行動にでたい?中国

 6月28日には大阪で「G20」サミットが開催される。5月に貿易交渉が決裂した後、アメリカから全輸入品目に対する報復関税、およびファーウェイへの禁輸措置の発動と一方的な攻撃を受けている中国は、20日の中朝首脳会談で非核化と朝鮮半島の平和を確認したこともあり(第3回米朝会談の支援を意識したとの見方もあった)、このタイミングでなにがしかの行動に出たいとの憶測も出始めた。

 アメリカの対中戦略の転換は、昨年10月のペンス副大統領のスピーチで明確になったが、5月の貿易交渉の決裂は、欧米誌報道によれば、中国が妥結の直前で翻意したためとのことであった。しかし、中国側の報道では、約束を破ったのはアメリカだったと反論している。いずれにせよ、メディアでは諸々の理由が取り沙汰されているものの、中国が貿易交渉を中国企業への補助金の低減や中国企業優先の国内取引の縮小など、内政に絡む交渉まで踏まえたアンカーとしない、という覚悟をしたのは確かだろう。

短期戦術、長期戦略の両方が迫られる中国

 ただし、今後を展望すると、アメリカは来年11月の大統領選挙が次の節目であるが、中国にはこの7月に北戴河会議(現幹部と長老との秘密会議)、年末には中央経済工作会議(マクロ経済政策の基本方針策定会議)がある。来年は5年に一度の共産党大会の中間点であり、2020年まで続く現5カ年計画の次の策定準備も始まっている。アメリカより中国のほうがより多くのイベントが目白押しなのである。

 国内でアメリカを批判する多くの報道がなされているため、中国国民の不安も高まっており、中国政府はこれへの配慮も必要だ。短期的志向のアメリカと違い長期的戦略を立てると言われる中国だが、実はアメリカ以上に短期的視点での行動が要求され、双方のバランスのとれた対策を作る必要に迫られている。

 中国としては、輸入増により単純な貿易黒字の削減にフォーカスして、目の前の合意を取り付けることが最適解のはずである。なぜなら、他のことについては、グローバル・スタンダードとしての市場開放等の理屈を踏まえれば、今の中国には国内事情等から対応が容易なものが少ないからだ。しかも、これは覇権国家への挑戦が早すぎたといわれる所以(ゆえん)でもあるが、現段階ではどの材料をとっても、対米交渉に強力な実弾を持ち合わせていない。

 こうしたなかで唯一、中国が優位なポジションをとるのは、対外金融資産、なかでも巨額に保有する米国債である。中国はレアアースをちらつかせたものの、これは種類によっては中国以外で取得可能なものもあるうえ、自国を自らの手で世界経済の連環から外すことに繋がりかねないため、中国にとってあまり得な交渉材料とはいえない。

中国が巨額な米国債を売却できない理由

習近平国家主席=2019年3月5日
トランプ大統領=2019年6月18日

 米中が新冷戦に至らない最大の理由は、両国の経済的な連環の強さにある。貿易、投資、人材の往来等々だが、その結果が、中国が保有する多額の米国債だ。

 中国の米国債保有残高は、2018年末で1兆1235億ドル(除く香港)。日本(1兆741億ドル)を上回り、保有主体別のトップであり、米国債発行総額(米国政府外に発行されたもの)の7%、うち外国保有総額の18%を占める。なお、香港を含めば、それぞれ8%、21%となる。

 2000年末からの増加率は18.6倍で、発行額全体の増加率(4.8倍)、外国保有額の増加率(6.2倍)を大きく上回る。なお、この間の日本の保有額増加率は3.3倍だ。

 中国がアメリカとの貿易交渉等で使える交渉材料に、大量に保有する米国債があるというのは衆目の一致するところである。実際、その可否を分析する専門家がいるほか、直近では、米中貿易交渉の決裂後に発表された3月からの2ヶ月連続の米国債保有額の減少もあって(実際には2015年の上海株式市場急落時、また昨年7月からの5ヶ月連続減少時に似て、株式相場不安定な中での買支え準備等のために売却したのと同様、本格的な大量売却の兆しとは異なる意図があったにもかかわらず)、中国が大量に保有する米国債をアメリカとの交渉材料に使うのではないかとの憶測が増えているのも事実だ。

 とはいえ、中国が持つ大量の米国債を売却すると考えるのは、まったく現実的ではない。なぜなら、米大統領は「国家緊急事態法」とその下にある「国際緊急経済権限法」に基づいて、アメリカにとって「異例かつ非常に大きな脅威」がある場合には国家緊急事態を宣言し、最終的には資産の凍結から没収まですることが可能だからだ。同法は米国債を保護預かりするアメリカの受託機関にも及ぶため、ひとつ間違えば、中国は1兆ドルを超える優良な金融資産を失いかねない。

 金融工学が進み、コンピューターを利用した高速取引が可能な現在、中国がこれらを駆使した対応をとることは不可能ではないほか、実際に検討したこともあるらしい。しかし、それはあくまで計算上(または電子帳簿上)のことであり、現金を動かすことは不可能である。これは、経済制裁に苦しむベネズエラがどんなに自国の原油を売ろうと、その販売代金が振り込まれる口座が凍結されている限り、自由に使えないのと似ている。

 国家緊急事態法はアメリカの安全保障、外交政策、経済などを対象とするため、外交交渉のこじれは中国にとっては戦争の開始を意味することに繋(つな)がりかねず、極めて要注意である。習近平政権はこの事実を理解しているからこそ、安易に動けないのだ。

 ちなみに、非常事態宣言が出ないという前提に立てば、中国が米国債を売り(人民元に変換して)、人民元高になることを避けるため、その売却代金でアメリカの優良株や地方債等のドル資産を買うことや金や銀などの貴金属の購入、日本国債等の他通貨資産を買うことも可能なので、米国債の売却は十分考えられる選択肢だ。それは貿易戦争等における報復措置というものではなく、むしろ運用資産の分散化や将来のキャピタルゲインの期待が大きい銘柄への投資変更といった、別の要因からの、かつ穏やかな対応となるのだろう。

 この間、米国債の保有額を減少させた国にロシアがある。2017年末の1025億ドルから、2018年末には132憶ドルと9割弱の急減となっている。ただ、アメリカにすれば、保有額がそもそも小さいうえ、他の新興国による保有がそれ以上に増えているから、あえて放置したとみることも可能である。しかもアメリカには、仮にこの程度の金額でロシアに国際緊急事態権限法を適用した場合、①その妥当性についての議論で議会などワシントンが揺れる、②実際の適用を見て米国債保有を減らす国が現れることに繋がる――などのリスクもあった。

中国の経済発展とアメリカ

esfera/shutterstock.com

 中国の経済発展は、1992年の鄧小平・国家中央軍委員会主席による「南巡講話」と改革放路線によって本格化するが、なかでも2001年にアメリカから恒久的最恵国待遇の付与を獲得して以来の輸出の伸長が大きく寄与している。具体的には、中国の対米輸出は、ブッシュ大統領が就任する直前の2000年の1千億ドル(輸入は161億ドル)から、2018年には5倍強の5291億ドル(輸入は7.4倍の1203億ドル)にまで急増している。

 この間、毎年の貿易黒字額を米国債に運用していたものが累積し、現在の巨額な保有に繋がったわけだ。つまり、この20年弱の貿易黒字の拡大と米国債保有額の増加の間には、強い相関関係がある。

 中国は2002年、江沢民主席と胡錦涛副主席がそれぞれ訪米するなど、アメリカとの関係強化を進めた。アメリカから恒久的最恵国待遇を付与したことについて、アメリカには今、「痛恨のミス」と振り返る議員もいるが、WTO加盟で中国市場も解放されたこと、9・11テロ後のアメリカの「テロとの戦い」で中国がアフガニスタン北部からの道路・鉄道建設などでプレッシャーをかけ、タリバンとアルカイーダの分断に寄与したことを考えれば、十分な見返りを得たとも解釈できるあろう。

 もっと言えば、その後、中国の三大銀行(中国銀行、中国工商銀行、中国建設銀行)の上場にからむ利益を米系の金融機関等が得たことから、中国国内にはむしろアメリカに利益を供与しすぎとの意見さえあった。この利益は、リーマン・ショックに際し、バンク・オブ・アメリカなどを救ったのだ。

 こうしたなか、鄧小平委員長の遺訓である「韜光養晦、有所作為」(才覚を隠して力を蓄え、少しのことをしつつ、時期を待つ戦略)のスローガンは、胡錦涛主席の平和的で共同繁栄的な「和階世界」の建設の発想に合致し、アジア太平洋地域の経済プラットフォームとしての「ボアオ・アジア・フォーラム」や上海協力機構の立ち上げへと続いた。

 全体としてみれば、中国は、アメリカが管理する国際経済秩序とアメリカが支配するグローバル安全保障の中で、アメリカからの最恵国待遇を十二分に活用して現在に至ったとも言える。換言すれば、中国経済の急成長は、背後にアメリカがあればこそだった。

「韜光養晦」からの脱皮と中国の誤算

 しかし、テロとの戦いにおいて、タリバン政権を後方から撹乱(かくらん)するという形でアメリカを支援した中国は、リーマン・ショックのあった2008年には、国連のもとで人民解放軍をアデン湾やソマリア海の海賊掃討に派遣するなど、軍事的にも国際貢献をはじめた。当時、中国国内で言われた「自らの実力に対する正しい認識」と「経済力に相応(ふさわ)しい外交」のスタートであり、これこそが現在の米中対立の原点だと言える。

 ただ、その後も世界の非核化やテロとの戦いの遂行、気候温暖化問題などのグローバル戦略に中国を取り込みたいオバマ政権は、2012年の習近平副主席の訪米を歓待するなど両国の友好関係を続け(「世界で最重要な二国間関係、<G2、またはChimerica>の発想も生まれた」)、貿易量も中国の黒字拡大を後押しする形で増加し、米国債保有額も増えた。

 ところが、ここで中国の読み間違いが生じた。

 中国は2009年、鄧小平以来のスローガンを「堅持韜光養晦、積極有所作為」へと変化させた。「堅持・積極」の追加は、大国(筆者注:中国の正式文書では「大国」との表現が使われるが、これは中国専門家やメディアでは「覇権国家」と理解されることが多い)としての中国が、国際秩序をより公正で合理的な方向に発展させるために、各国と協力を行うことを意味し、覇を唱えるものではない、としている。

 しかし、その一方で、目的達成のため、議論の主導権を握るという発想を持ったのも事実である。そして、この発想を明確にしたのが、習近平政権だった。

 これに対し、トランプ政権下で2018年10月、ペンス副大統領が示した「Engagement Strategy」の終結宣言、その後の米中貿易戦争やファーウェイに代表される問題で、両国関係は急速に悪化した。大らかだったアメリカも、中国の内なる変化が次々に表面化するなかで、ついに反応したのである。

 中国にとって深刻なのは、

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