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通貨戦争を避けたい習政権と売れない⽶国債の価値

通貨戦争を含む経済冷戦に突入できない米中の実情 長期戦略に短期戦術も必要な中国

酒井吉廣 中部大学経営情報学部教授

中国が巨額な米国債を売却できない理由

拡大習近平国家主席=2019年3月5日
拡大トランプ大統領=2019年6月18日

 米中が新冷戦に至らない最大の理由は、両国の経済的な連環の強さにある。貿易、投資、人材の往来等々だが、その結果が、中国が保有する多額の米国債だ。

 中国の米国債保有残高は、2018年末で1兆1235億ドル(除く香港)。日本(1兆741億ドル)を上回り、保有主体別のトップであり、米国債発行総額(米国政府外に発行されたもの)の7%、うち外国保有総額の18%を占める。なお、香港を含めば、それぞれ8%、21%となる。

 2000年末からの増加率は18.6倍で、発行額全体の増加率(4.8倍)、外国保有額の増加率(6.2倍)を大きく上回る。なお、この間の日本の保有額増加率は3.3倍だ。

 中国がアメリカとの貿易交渉等で使える交渉材料に、大量に保有する米国債があるというのは衆目の一致するところである。実際、その可否を分析する専門家がいるほか、直近では、米中貿易交渉の決裂後に発表された3月からの2ヶ月連続の米国債保有額の減少もあって(実際には2015年の上海株式市場急落時、また昨年7月からの5ヶ月連続減少時に似て、株式相場不安定な中での買支え準備等のために売却したのと同様、本格的な大量売却の兆しとは異なる意図があったにもかかわらず)、中国が大量に保有する米国債をアメリカとの交渉材料に使うのではないかとの憶測が増えているのも事実だ。

 とはいえ、中国が持つ大量の米国債を売却すると考えるのは、まったく現実的ではない。なぜなら、米大統領は「国家緊急事態法」とその下にある「国際緊急経済権限法」に基づいて、アメリカにとって「異例かつ非常に大きな脅威」がある場合には国家緊急事態を宣言し、最終的には資産の凍結から没収まですることが可能だからだ。同法は米国債を保護預かりするアメリカの受託機関にも及ぶため、ひとつ間違えば、中国は1兆ドルを超える優良な金融資産を失いかねない。

 金融工学が進み、コンピューターを利用した高速取引が可能な現在、中国がこれらを駆使した対応をとることは不可能ではないほか、実際に検討したこともあるらしい。しかし、それはあくまで計算上(または電子帳簿上)のことであり、現金を動かすことは不可能である。これは、経済制裁に苦しむベネズエラがどんなに自国の原油を売ろうと、その販売代金が振り込まれる口座が凍結されている限り、自由に使えないのと似ている。

 国家緊急事態法はアメリカの安全保障、外交政策、経済などを対象とするため、外交交渉のこじれは中国にとっては戦争の開始を意味することに繋(つな)がりかねず、極めて要注意である。習近平政権はこの事実を理解しているからこそ、安易に動けないのだ。

 ちなみに、非常事態宣言が出ないという前提に立てば、中国が米国債を売り(人民元に変換して)、人民元高になることを避けるため、その売却代金でアメリカの優良株や地方債等のドル資産を買うことや金や銀などの貴金属の購入、日本国債等の他通貨資産を買うことも可能なので、米国債の売却は十分考えられる選択肢だ。それは貿易戦争等における報復措置というものではなく、むしろ運用資産の分散化や将来のキャピタルゲインの期待が大きい銘柄への投資変更といった、別の要因からの、かつ穏やかな対応となるのだろう。

 この間、米国債の保有額を減少させた国にロシアがある。2017年末の1025億ドルから、2018年末には132憶ドルと9割弱の急減となっている。ただ、アメリカにすれば、保有額がそもそも小さいうえ、他の新興国による保有がそれ以上に増えているから、あえて放置したとみることも可能である。しかもアメリカには、仮にこの程度の金額でロシアに国際緊急事態権限法を適用した場合、①その妥当性についての議論で議会などワシントンが揺れる、②実際の適用を見て米国債保有を減らす国が現れることに繋がる――などのリスクもあった。

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筆者

酒井吉廣

酒井吉廣(さかい・よしひろ) 中部大学経営情報学部教授

1985年日本銀行入行。金融市場調節、大手行の海外拠点考査を担当の後、信用機構室調査役。2000年より米国野村証券シニア・エグゼクティブ・アドバイザー、日本政策投資銀行シニアエコノミスト。この間、2000年より米国AEI研究員、2002年よりCSIS非常勤研究員、2012年より青山学院大学院経済研究科講師、中国清華大学高級研究員。日米中の企業の顧問等も務める。ニューヨーク大学MBA、ボストン大学犯罪学修士。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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