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中島岳志の「野党を読む」(3)山本太郎

2年前の「枝野幸男ブーム」と今の「山本太郎ブーム」。何が同じで何が違うのか

中島岳志 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授

拡大街頭で訴える山本太郎氏。新たに立ち上げた「れいわ新選組」をアピールした=2019年5月29日、東京・北千住駅

母子家庭で育ったこと

 山本さんは母子家庭で育ちました。父は、1歳の時に亡くなったといい、「父の存在はぼくの中にはいっさいない」と語っています(岩切徹「現代の肖像 俳優 山本太郎 ”脱原発”役者の軌跡」『アエラ』2012年12月3日)

 彼を育てた母親は「パワフルで正義感が強」い人で、「日常的にも自分より弱い立場の人には、手を差し伸べろっていうことはすごく言われ」たと言います。山本さんは、母の存在から大きな影響を受けて育ちました(『山本太郎 闘いの原点』)

 母はフィリピンの貧しい子供たちを支援するボランティア団体のメンバーで、山本さんも子供の時から何度もフィリピンに行って、仕事を手伝わされました。

 母は次のように語っています。

 東南アジアに行くと、バクシーシ(喜捨)じゃないけど、いろんな町や村で日本から持っていった食べ物とかデザートを、子供たちに実際に配らしたんです。慈悲の心とか、優しさを培うために。施す方が、自分の内に徳を積めるというか、してもらった人がたとえ一時でも幸せを感じれば、自分も幸せな充実感で満たされる。それを子供たちに教えたかったんです(『山本太郎 闘いの原点』)

 母は学校の規範から自由。夏休みが終わっても、家族で海外から帰ってこないこともありました。一方で家では「鬼軍曹」。ヤンチャな山本さんは、繰り返し厳しくしかられました。子供の時は「うっとうしい」と思っていたそうですが、社会に出るころにはその思いが「尊敬と感謝」に変わったと言います。

 子供の頃の山本さんは、とにかく勉強が大嫌い。小学校の時に「このままじゃ、高校に行けません」と先生に言われ、私立の中学校と高校のつながった学校に通うことになります。そして「今までの僕の学校人生において、担当してくれた先生には平等に迷惑をかけた」と言います。(「緊急インタビュー 未来に向けて生きる学びを:山本太郎さんに聞く(第2回)」『高校のひろば』83号、2012年)

 そんな彼にとって転機になったのが、『天才・たけしの元気が出るテレビ!』の「ダンス甲子園」に素人として出演したことでした。ここで彼の個性に人気が集まり、世間に注目される存在になりました。

 しかし、その過激なパフォーマンスを問題視した所属高校の校長は彼を呼び出し、「テレビの活動を続けるのか、それとも学校やめるのか」と迫ります。山本さんは職員室から母に電話をすると、母から「太郎の人生だから、自分で本当にやりたいことをやりなさい」と言われ、電話口で大泣きしました。

 そして、芸能界にデビュー。俳優として活躍するようになります。

天皇への手紙

 具体的に政治家への道を歩み出したのは、東日本大震災の翌年(2012年)でした。2012年12月に衆議院議員総選挙への出馬を表明し、東京8区から無所属で出馬しますが、この時は落選しました。

 しかし、2013年7月の参議院議員通常選挙に東京都選挙区から立候補し、65万票を超える票を獲得して当選。2014年の衆議院選挙後には、政党要件を失っていた「生活の党」に入党し、「生活の党と山本太郎と仲間たち」という政党名に改めます。2016年には「自由党」に党名変更。

 そして、今年離党。新党「れいわ新選組」の立ち上げに至ります。

 その間に起きたことで話題になったのは、「天皇への手紙」でした。2013年10月31日、園遊会に出席した山本さんは、明仁天皇に書簡を直接手交しました。これが大問題になり、山本さんは厳しい批判にさらされます。

 この時、山本さんは次のように語っています。

 お手紙には、原発の再稼働については一切書いていません。子供たちの被曝、原発労働者たちの理不尽な処遇、それとこのことも含めて秘密にされてしまう秘密保護法によって、戦前と同じ状況に向かっているという心の叫びをしたためました。陛下に何かを求めるというよりも、自分自身の心の叫びでした。
 今回の行為については猛省しています。(『週刊現代』2013年11月23日号)

 山本さんには、明仁天皇に対する「敬愛の念」があったと言います。それは国民への気遣いや言葉の端々に表れる「権力者を戒めるようなニュアンス」、そして「開かれた皇室」への共感に基づいていたと言います。彼は騒動ののち、明仁天皇を「「父無き子の父」のような存在」と語っています。(「天皇への直訴事件のその後 「手紙」についての偏向報道に反論する」『創』2014年1月)

 ここには天皇制をめぐる重要な論点が潜んでいると思いますが、この点は別稿を期したいと思います。

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筆者

中島岳志

中島岳志(なかじま・たけし) 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授

1975年、大阪生まれ。大阪外国語大学でヒンディー語を専攻。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科でインド政治を研究し、2002年に『ヒンドゥー・ナショナリズム』(中公新書ラクレ)を出版。また、近代における日本とアジアの関わりを研究し、2005年『中村屋のボース』(白水社)を出版。大仏次郎論壇賞、アジア太平洋賞大賞を受賞する。学術博士(地域研究)。著書に『ナショナリズムと宗教』(春風社)、『パール判事』(白水社)、『秋葉原事件』(朝日新聞出版)、『「リベラル保守」宣言』(新潮社)、『血盟団事件』(文藝春秋)、『岩波茂雄』(岩波書店)、『アジア主義』(潮出版)、『下中彌三郎』(平凡社)、『親鸞と日本主義』(新潮選書)、『保守と立憲』(スタンドブックス)、『超国家主義』(筑摩書房)などがある。北海道大学大学院法学研究科准教授を経て、現在、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。

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