韓国のベストセラーが日本へ。母や姉、そして妻、娘もそのように生きてるんだ…
2019年06月23日
*この記事は筆者が日本語と韓国語の2カ国語で執筆しました。韓国語版(한국어판)でもご覧ください。
日本でも旋風的な人気となっている。ヨーロッパはもちろん、ベトナム、台湾などアジアでも広く読まれていて、すでに16カ国で翻訳出版されたという。韓国では映画化も決定された。
筆者には韓国語で読むことの方がかんたんなのだが、まず日本語版が手に入った。内容は穏やかなリアリティをともないつつ、時には筆者が意識していなかった事実に虚を突かれるような思いがするものだった。
そうか、そうだったのか、母や姉が、そして妻が。そうか、そうなんだ、私の娘もそのように生きてるんだ…。
韓国出身の男性である筆者も違和感や抵抗感なしに共感することができた。そして、それが普通のこと、当たり前のことと思われていた事実に、筆者自身が深い衝撃を受けた。
作者チョ・ナムジュのストーリー展開力、表現力は卓越している。斎藤真理子の翻訳も、筆者が日本語で読みながら原本のこの箇所は韓国語ではどのように書かれているのだろうなどと疑問を感じることもなく、適切なものであると感じられた。
もっとも、このコラムではこれ以上本作のプロットや結末に言及しない。読者諸賢には実際に読んでいただきたいと思う。
ずっと前のことだが、女性の学者が多く参加した日韓関係国際シンポジウムでのこと、休憩時間に筆者を含め数人の研究者がテーブルを囲んでお茶を飲んでいたのだが、日本人女性の学者がこう言った。
朝鮮時代が女性差別社会であったことはよく知られていますが、その頃はもちろんその後も、韓国の女性は結婚しても夫の姓に変えないですよね? その点では、韓国女性の方が近代以降の日本の女性よりも自立しているような気がします。日本では、最近になって結婚後も自分の「ファミリーネーム」を維持しようとする女性が増えています。夫の姓に変えた後、もし離婚した場合に、特に専門職で活躍する女性には困難なことが本当に多いんですよ。
同席した日韓の学者たちはあるいは共感をあらわし、あるいはそれまで考えてもみなかった話題に興味を示したように見えた。
ある妻が儒教的徳目にすぐれて忠実で、夫のため、あるいは義理の両親のために献身的犠牲心を発揮し、いわゆる「貞節」を守るために命を捧げたとしよう。そのとき国は「烈女」あるいは「孝婦」と彼女を讃え、顕彰の碑を建てたりもする。そしてその栄光はすべて夫の一族のものとなり、誇りとなる。
しかし、ある妻が一般に「七去之悪」と呼ばれる、習慣や倫理に反する行為をしたときには、それは完全に出身一族のせいにされる。そしてしばしば彼女は、本家から追い出されることにもなるのだ。
さらに筆者はこんな比喩を用いて説明を加えた。もちろん批判的な意図をにじませて語ったつもりである。――いちぶの男たちがいうように、女性を製品にたとえるなら、良い品物は購入した者の人徳であり、逆に欠陥や故障がある場合には、原産地やメーカーのせいにするようなものだ――と。いまでいうクーリングオフ制度もあったのだ、と皮肉った。
茶飲み話に興じているだけのつもりだった学者たちは、朝鮮時代の女性差別の実態に思いをめぐらせている様子だった。
韓国の両班の伝統では、親子や兄弟姉妹ではない場合には、男女は七歳になると一緒に遊ぶことができないという慣習があった(日本にも同様の言葉がある)。
さらには次のような話もある。朝鮮時代の韓国の女性は、一生のうちにただ三人の男性だけと正式に対面することができるというものである。生まれて会う父親が、はじめて心許して会うことができる男性である。そして結婚をする夫が二番目。さいごに息子を産めばその子が三番目に対面できる男性ということだ。もちろん極端な話ではあるが、当時の形式倫理としての女性抑圧の現実をよく物語っている。
数年前、イスラム国家であるサウジアラビアで、女性が車の運転をすることができるようになったというニュースがあったことを記憶されているむきもあるだろう。また、イスラムの伝統が強い国々の女性の服装は、周知のように「ヒジャブ」(hijab)や「チャードル」(chador)、「ブルカ」(burqa)などがあり、それらは女性差別と抑圧を象徴する衣装とみなされている。
しかし朝鮮時代の韓国の両班の女性も同じであった。彼女たちは「チャンオッ」と「スゲチマ」という衣装を着て外出をしなければならなかった。全身と顔を完全に覆って、昼間は避けて、闇が降りた頃にやっと外出が可能なのだった。「内外法」と呼ばれる規範が社会を支配していたのである。
さて、この「男女七歳不同席」と「内外法」は、韓国キリスト教初期の伝道の最大の障害であった。
そして、カトリック、プロテスタントを問わず、キリスト教が伝来した後の女性差別、抑圧の歴史には革命的な変化があった。女性は教会に出入りし、男性と一緒に礼拝をした。
また「梨花学堂」をはじめとする近代女性の教育機関は、女性に対する差別を撤廃させるための先鋒となった。それゆえにこそ国家、あるいは既存の社会勢力はキリスト教を迫害し、排斥した。社会秩序紊乱行為がその理由である。
韓国のプロテスタント初期の歴史では、いわゆる「ㄱ字礼拝堂」(ハングルの子音K音を表す文字ㄱ形をした礼拝堂)という独特の教会建築様式が存在した。教会の建物をㄱ形に作って、一方は女性の座席、他方は男性の座席に指定したのである。
曲がった角の位置に説教台が設置され、両方の礼拝出席者は説教者を見ることができるが、互いの姿を見ることはできないという構造である。もちろん、別のドアから出入りすることにより、男女信徒の対面は極力避けられている。当時の女性抑圧の社会風潮とキリスト教集会の現実的な必要性が融合した「苦肉の策」のひとつというべきであろう。
キリスト教宣教は日本でも女性差別の克服と解放に大きく寄与した側面がある。まず挙げるべきことがらは、韓国の場合と同様に、女性教育における貢献であろう。
また別の側面として、同僚の日本人女性学者の見解を借りれば、日本で本格的な「自由恋愛」の時代が、キリスト教伝播のあとに到来したということも注目に値する。それらは制度と形式の問題である以上に、自己のアイデンティティに関わる問題であり、女性の精神、良心、深い感情的な内面を女性自ら思い定めることができるという人間の自由に対する貢献であった。
もっとも、このように韓国や日本で女性差別と抑圧の解消、女性解放の橋頭堡の役割を果たしてきたキリスト教界にも、現在では反省すべき点が山積している。特に韓国のキリスト教会は、逆にもっとも立ち遅れた男女差別の現象をみせており、改善の余地が大いにあるというのが実情である。
数年前の「キャンドル革命」によって、韓国社会は保守的抑圧のトンネルを超えた。そして「ミートゥー運動」が始まった。
2018年1月にもっとも保守的な組織文化をもつとされる検察内部でこの運動が始まった。検事ソ・ジヒョン氏が数年前に上司から受けた「セクハラ」を堂々と告発し、これに世論が反応したのである。勇気づけられた女性たちは、韓国社会に癌細胞のように隠されている男性の威力と金力による女性抑圧の恥部を続々と公開しはじめた。
政界、経済界、文化界、教育界、スポーツ界、さらには宗教界にまで、数多くの事例が当事者の勇気ある告白で白日の下にさらされることとなった。法的、道義的責任をとって辞職したり、法の裁きを受けたりした者は多数にのぼる。
現在もこの運動は進行中であるが、筆者としても韓国社会に蔓延する問題が克服され、解決されることを願っている。
付言すれば、日韓の歴史的懸案として未だ完全な解決をみていない「従軍慰安婦」の問題も、時間を遡ればまた違ったかたちでの「ミートゥー運動」であったということもできる。
日本でも韓国でも、女性の社会的活動にかかわる制約は「ガラスの天井」と呼ばれる。
法的制度や形式的な論理として男女差別はほとんど存在しない。しかし現実的な障壁として、実際にはまだ強力な差別が存在するという。女性が自らの人生の目標をたてるとき、一見なんの障害物もないようにみえるが、実のところそこには何重ものガラス板があって、行く手を阻んでいるというのである。
一方で、男性はしばしば逆差別を口にする。彼らは女性から受ける抑圧、主導権の喪失などを主張する。特に就職や専門職の任用過程で、男女のバランスをとるための女性優遇の政策などが、逆差別として問題提起される傾向にある。
しかし歴史的にみても、また現実を直視しても、女性に対する差別と抑圧は相変わらずだ。
もちろん私たちの最終的な目標は、バランスのとれた公平な社会の実現である。つまり時計の振り子を一番中央にインポートすることである。
そのためには、偏った振り子をまずは反対方向に強く振ってみるべきだろう。そこで推進力を得た振り子は左右に揺れながら、最終的には真ん中に止まるはずだ。
しばらくはまだ、女性への差別、抑圧された状況に正面から向き合い、それを克服するための省察を続けなければならない。
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