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香港デモ 中国はなぜ「譲歩」を認めたのか

香港「100万人」デモを無視できなくなった中国共産党。一番得をしたのは誰か?

古谷浩一 朝日新聞論説委員(前中国総局長)

香港の逃亡犯条例改正案に反対するデモ行進で、改正案の撤回と林鄭月娥行政長官の辞任を要求するスローガンを掲げる女性=2019年6月9日、香港

 激しくぶつかり合う治安部隊とマスクの若者たち。香港からの映像を見ると、ゴム弾や催眠弾がほぼ水平に、しかも近距離でデモ参加者の身体を狙って打ち込まれているのが分かる。

 これでは多数のけが人が出るのは避けられない、最悪の場合、「第二の天安門事件」が生じかねないなどといった声も聞こえ始めていた矢先、香港政府は突然、「逃亡犯条例」の改正案審議を延期すると発表した。大きな譲歩である。

 香港トップの行政長官、林鄭月娥(キャリー・ラム)氏は条例改正反対デモを「暴動」と呼ぶなど、強硬姿勢を目立たせていた。それなのに、ここで譲歩を示すとは……。意外感を感じたのは私だけだったろうか。しかも中国の習近平指導部ともよく相談し、その許しを得たうえでのことのようだ。

 デモはその後も規模を拡大して続いており、これからの展開は見通せない。ただ、常に強硬姿勢で知られる習近平体制が過去最大とも言われる譲歩を認めたのはなぜなのか。香港情勢をめぐり、いったい何が起きているのか。浅薄ではあるが、以下、若干の分析と考察を試みてみたい。

習近平総書記の思想や政策を学ぶアプリ「学習強国」の画面

習近平は何を考えていたのか

 いきなりだが、時計の針を半年ほど前に戻させていただきたい。昨年11月12日のことだ。

 キャリー・ラム長官は北京の人民大会堂のなかで、習近平国家主席と向き合っていた。改革開放40周年を記念した式典に参加するために北京を訪れた香港代表団。その代表だったラム氏に対し、習氏は香港の人々の「心の(中国への)返還」という話題を提起したうえで言ったという。

 「急ぐべからず、でも、ゆっくりであってもならない」

 さて、いったい何を意味した言葉なのか。「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず」。日本人ならば、徳川家康が残した、そんな言葉を思い出すところだが(そんなのは私だけかもしれないが)、当然ながら、習氏の言葉はこれとはまったく関係ない。

 当時の地元報道によると、香港側の受け止めは、この言葉は「おれは23条を忘れてはいないぞ」という習氏のメッセージだというものだった。

 23条とは、香港の憲法にあたる基本法のうち、政権転覆や国家分裂を禁じた条項。香港政府は2003年に、これを具体化するための条例を制定しようとしたが、大規模な反対デモが起き、断念した経緯がある。ただ、その後も中国共産党政権は、香港を中国化するためにはどうしても必要な条例だとして、制定をあきらめていない。

 ラム氏は2017年に行政長官に就任した後、選挙制度の民主化を求めた2014年の「雨傘運動」のリーダーたちを次々と摘発したり、中国の国歌を侮辱する行為を罰するようにしたりするなど、香港の中国化を進めるような措置や政策に精力的に取り組んできた。しかし、香港市民の抵抗が根強い国家安全条例の制定には手をつけずにきていた。

 「一国二制度」と言いながら、「二制度」ではなく、「一国」に重きをおく習近平体制からすれば、ラム氏の働きは十分ではないと映っていたらしい。習氏はそれ以上の具体的な表現をしなかったとされるが、婉曲に不満を伝えようとした。少なくとも香港側はそう受け止めた。

 その後、北京の中央政府と香港政府との間でどのようなやりとりがあったのかは分からない。ただ、今春になって、香港政府は突然、刑事事件の容疑者の中国本土や台湾、マカオへの身柄引き渡しを可能とする「逃亡犯条例」の改正案を打ち出したのだ。

 改正の理由とされる殺人事件は昨年2月、台湾で起きていた。台湾で殺人事件を起こした容疑者が、香港で殺人罪に問うことも出来ず、かといって台湾に身柄を引き渡すことも出来ないとの問題が生じていたのは確かだが、容疑者は昨年3月の時点で、香港当局に身柄拘束されていた。なぜ今春になって急に香港政府が動いたのか。何とも唐突感は否めない。

 改正案は事実上、中国の司法を香港に持ち込む措置である。中国が刑事事件の犯罪者とみなせば、香港に住んでいる人々(外国人を含む)の身柄が中国本土に引き渡されてしまう。もっと言えば、この改正が行われれば、国家安全条例がなくても、共産党政権が求めている状況はかなりの部分、実現できる。

香港立法会で鉄柵を投げつけるデモ隊の参加者とにらみ合う警察官=2019年6月10日

中国共産党は何をやりたいのか

 これに対し、すぐに民主派を中心に反対の抗議デモが広がったのも、香港政府を介した共産党政権の狙いがそれだけ明らかだと多くの人が気付いたからだろう。もし条例改正が実現すれば、中国政府にとって都合の悪い人々がどのような目に遭うか分からないという危機感は極めて強い。

 「怖いです。でも、(反対運動を)やらない訳にはいかない」

 2014年の雨傘革命の中心人物の一人で、香港の民主派政党デモシストのメンバー、アグネス・チョウさん(22)は先週、東京で筆者にそう言った。

 2年前、香港の大富豪、肖建華氏が高級ホテル「フォーシーズンズ」最上階のペントハウスから、忽然と姿を消した事件はまだ記憶に新しい。中国当局によって拉致されたと誰もが信じているが、恐ろしいことに、今もその行方は分かっていない。

 反腐敗を掲げ、政敵の人脈を次々と摘発していく中国共産党の政治闘争において、習近平氏から見れば、香港が一種の抜け道になっているという懸念があるのは確かだろう。これを塞ごうとする形で、ここ数年、香港の法を無視した、中国当局のメチャクチャな行為が目立っていた。

 条例改正はこうした動きを合法化させることになる。

 北京の私の友人は「今までは超法規的な措置をとっていたが、逃亡犯条例が改正されれば、きちんとルール化される。合法的に中国当局が香港人を連行し、裁判で裁けるようになる。むしろいいことだ」と言う。

 もちろん、これにそのままうなずくことは難しいが、中国側ではそうした理解が広がっているのは確かなようだ。

 そもそも逃亡犯条例は、香港が返還される以前の1992年、当時の宗主国である英国がつくったものだ。米国や韓国など20カ国との犯罪容疑者の身柄引き渡しの取り決めを交わした。亜細亜大学の遊川和郎教授によれば、中国を対象に含めない、この条例の存在は、中国への返還後も香港人の人権を守るために英国がつくった「安全装置」とも言えるという。

 それだけに共産党政権の側から見れば、条例改正はそうした英国のいやがらせを正すものであり、「例に例えれば、不平等条約の改正のような意味合いがある」(遊川教授)のだ。つまり国家安全条例の制定は難しくとも、これならば、習近平氏も満足できるということだろうか。

 香港政府が4月に改正案を香港立法会(議会)に提出すると、5月には共産党最高指導部で香港問題を担当する韓正副首相が香港政府への明確な「支持」を表明。これまでと違って、共産党政権が堂々と前面に出て、香港政府を後押しする形になっていた。

香港の逃亡犯条例改正案に反対するデモ行進で、路上を埋め尽くす市民ら。道路の中央は路面電車の電停の屋根=2019年6月9日、香港

なぜ中国は譲歩を認めたのか

 ところが、反対派の声は香港政府の予想以上に強かったようだ。大規模抗議デモを週末に控えた6月14日、キャリー・ラム長官が20日に予定していた条例改正案の採択を「延期する」と表明したのは、明らかな譲歩だった。

 香港メディアの報道によれば、前述の韓正副首相が香港に接した中国広東省深圳に入り、香港政府側と綿密なやりとりをしたうえで、延期発表が行われたという。

 習近平指導部がこの譲歩を受け入れたのはなぜか。今月末の大阪G20首脳会議を控え、国際社会の圧力の強まりを懸念したためだとの見方が広く伝えられている。

 確かに、米中対立が深刻化するなか、習氏が矢面に立つ厳しい局面を避けようとしたというのはあるのだろう。

 米国は今回の香港問題を理由に、習近平指導部を揺さぶろうとの姿勢を示唆していた。華為(ファーウェイ)問題で、米政府にイラン制裁違反を同社が問われた輸出案件は、香港を経由したものだった。

 さらに見ていけば、立教大学の倉田徹教授は、「条例改正案の審議を中断した背景には、親中派で保守的な立場の人々にも反対が広がったことがある。103万人(主催者発表)というデモ参加者の数字は民主派勢力だけでは出ない。議会にも混乱があると推測される」と朝日新聞の取材に指摘する。

 まったくその通りだと思う。

 香港は、中国大陸から逃げてきた人々がつくった街という言い方もできるような歴史的な経緯がある。

 1949年に共産党が政権をとった際に逃げてきた資産家たち、50年代末の大飢饉を逃れてきた人々、60年代に始まった文化大革命での政治的な迫害に追われてきた人々、89年の天安門事件の後に亡命を求めた人々……。

 民主派でなくとも、多くの香港人は、共産党政権の司法が香港に入り込んでくることに危機感を抱いている。議会は、親中派の議員が圧倒的に多いが、彼らにしても、この改正に両手を挙げて賛成すれば、支持者から嫌われそうであることは分かっている。今年11月には区議会選挙があり、来年には立法会議員選挙が予定される。

 言い出せばきりがないが、もう一つだけ、私の推測を言えば、習近平指導部は台湾問題への影響もかなり気にしていたのではないかと思う。

 中国の言う「一国二制度」が自由を力で押し込める非情なものであるとの実態が、このタイミングで、台湾の人々に印象づけられるのは何としても避けたかったのではないか。

「逃亡犯条例」改正案に反対する民主派のデモ。中国本土の監獄に見立てたオリの中に入れられた民主派の男性を警察官役が監視するパフォーマンスもあった=2019年4月28日、香港

結局、だれが一番得をしたのか

 台湾は来年1月に総統選挙が予定されている。

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