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シリアの戦禍を逃れ、単身ドイツへ

 アリさん(仮名・40代)が単身ドイツへとたどり着いたのは2015年、とりわけ多くの難民が危機を逃れヨーロッパを目指した年だった。この年だけでも110万人がドイツに入国したとされている。

 シリアが戦禍にのみ込まれていく中、知識層だった彼は、政府側、反政府側双方から、自分たちの力になるよう声がかかったのだという。「誰も、殺したくなかった」。故郷を離れた苦渋の思いをアリさんはそう語る。けれども家族全員でいきなり難民となるのはあまりにも無謀に思えたという。妻と幼い3人の娘をシリアに残し、まずは単身、隣国トルコから海を渡った。最初に自分ひとりがそのリスクを背負い、海外に生活基盤を築き上げようと試みたのだ。いくつもの国境を越え、あまりに長い道のりの末にたどり着いたのがドイツだった。

 「最も危険だったのはやはりボートでギリシャを目指したときだった」と、命がけの旅を振り返る。「スマートフォンに家族へのメッセージを書き残して、沈みそうになったらいつでも送れるように準備しておいたんだ」。自分がこれまで築いてきた全ての人間関係から切り離される、あまりに孤独な選択。何より家族といつ会えるのか、何ら約束された将来が見えないのがたまらなく苦しかったと当時を振り返る。実際、家族の呼び寄せ許可は、年々厳しくなっていた。

予想よりはるかに高かった言葉の壁

 ドイツでの暮らしに馴染もうと努めてきたものの、言葉の壁は予想していたよりもはるかに高いものだった。彼の前職はエンジニアだったが、専門用語も多いその職能をドイツで生かすにはあまりにも言葉が不自由だった。今は小さな企業でインターンをしながら、いつかまたエンジニアとして働けるよう、ドイツ語を猛勉強する毎日を送る。「職に就けないことを、一部では“楽をしている”と見られることもある。ただシリアでは日々当たり前のように仕事をしていた自分にとって、働けないということは“社会から必要とされていない”ということと同じなんだ」。

拡大アリさんがかつて暮らしていた、シリア首都ダマスカス。旧市街地のハミディア市場の入り口

 現在暮らしている街は元々移民たちも暮らしている地域ということもあり、商店街にはハラールフード(イスラム法上で許されている食材や料理)の店も少なくない。モスクもあり、目立った不自由はないという。「どこの国にいても、皆結局は故郷で慣れ親しんだ味を恋しがる。それがビジネスチャンスだって、中東のレストランを開いたり、それに関する商売を新しく始めた人たちもいるくらいなんだ」。

拡大ハラールフード店内。アラビア語表記が目立ち、ドイツにいながら異国を訪れているようだった


筆者

安田菜津紀

安田菜津紀(やすだ・なつき) フォトジャーナリスト

1987年神奈川県生まれ。Dialogue for People(ダイアローグフォーピープル)所属フォトジャーナリスト。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、カンボジアを中心に、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で貧困や災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。写真絵本に『それでも、海へ 陸前高田に生きる』(ポプラ社)、著書に『君とまた、あの場所へ シリア難民の明日』(新潮社)。『写真で伝える仕事 -世界の子どもたちと向き合って-』(日本写真企画)。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。

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