雨傘運動から5年。香港の市民が再び立ち上がったやむにやまれぬ理由
2019年06月21日
民主化運動として知られる雨傘運動から5年。香港の市民が再び立ち上がったのは、天安門事件から30年にあたる節目の年、同じく紫陽花の花咲く季節だった。
200万人という香港の歴史上で最も多くの参加者数を記録した6月16日のデモから2日後の6月18日夜、香港政府のトップである林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官が臨時の記者会見をした。香港から中国本土への刑事事件の容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案を無制限延期とし、事実上の廃案する考えを示すとともに、大規模なデモが繰り返され警官隊と若者が衝突するなど社会の混乱を招いたことについて、「市民に心からおわびする」と謝罪したのだ(「逃亡犯条例、事実上廃案に 香港長官、撤回とは明言せず」朝日新聞DIGITAL)。条例改正案の撤回・廃案を求める香港の市民が、中国共産党の中央政府に勝利したのである。
先週、香港の友人研究者たちから16日に大規模な集会をやるので来ないかという誘いを受け、筆者は15日に現地入りし、期せずしてこの勝利を決定的なものとした200万人デモという歴史的瞬間の立会人となった。
政治学でいうところの「包括的抑圧体制」である中国共産党政府に対する今回の香港市民の勝利には、われわれが民主主義を守るための手がかりが数多くある。では、なぜ香港市民はデモをするのか、そして今回どのようにして中国政府に勝利できたのだろうか。今回の一連の動きを、現地でのフィールドスタディやインタビュー取材も交え、上下2回でつまびらかにしていきたい。
今回の改正案の発端は、昨年2月に香港人の男が台湾で殺人事件を起こした後に香港へ逃亡した事件である。この事件では台湾は逃亡犯引き渡しの対象外だったため、台湾当局からの訴追を免れたのだ。
これを奇貨として香港政府は今年の2月に「逃亡犯条例」改正案を提出した。そこには改正案の引き渡し先には台湾のみならず中国本土も含まれていた。現行の逃亡犯条例では逃亡犯を中国政府に直接引き渡すことはできないが、改正案が成立すれば。中国本土への移送が可能になるのだ。
なぜこれが問題かといえば、中国政府に批判的な香港市民が中国の法律に違反したとみなされた容疑者はもちろんのこと、中国政府からマークされた一般人も、容疑の捏造(ねつぞう)や微罪で拘束され、中国本土へ引き渡される恐れがあるためだ。
実際、2015年には習近平国家主席のスキャンダル本など中国政府に批判的な書籍を出版販売していた銅鑼湾(コーズウェイベイ)書店の経営者らが突然、失踪。のちに中国当局に拘束されていたことが明らかになっている。(「現地ルポ 香港返還20周年と中国の民主化運動」)今回の改正案は銅鑼湾書店のような事件を合法化し追認するものとして、香港の人々に受け取られたのである。
さらに、改正案は香港市民のみならず香港を訪れる外国人も対象としている。一般の外国人ビジネスマンや観光客にも銅鑼湾事件と同様のことが起きうるのである。
人権が守られないとなると、香港は、これまでのように世界の経済・金融センターとしての役割を担えなくなってしまう。今回の改正案は、1997年にイギリスから中国に返還されて以後も一国二制度のもと保たれてきた「高度な自治」と司法の独立を、根底から揺るがしかねないものとなっているのだ。
香港の国会にあたる立法会は毎年6月30日で会期終了となるため、6月20日に法案採決をすべく逆算して、当初6月12日に本会議で審議入りすることを決めた。そこで、香港の人々はまず6月9日に巨大なデモを行い、審議入りをする前に反対の民意を国内外に示して阻止しようと試みたのである。
ところで、一国二制度とはいえども民主主義が行われているのだから、選挙で民意を示せばよいではないかとの意見もあるだろう。しかし、香港の政治制度は選挙で議決が決まる民主国家とは違い、行政長官の任命権は北京の中央政府が有している。つまり現状の政治制度下では、香港市民は自分たちの政府代表を自分自身の手で選ぶことができないのだ。
また、立法機関である立法会は一般的な民主主義国で行われている住民による直接・普通選挙ではない。立法会の定員は70議席で、香港市民が自分の一票で選ぶことのできる比例代表による地域別の直接選挙区から35議席、そして29種類の職能団体から35議席を選出する。後者の職能団体議席は限られた市民しか投票できない制限選挙で、その多くは親中派である。
さらに一部の政府に批判的な政党組織とその個人は立候補者申請をしても、立法会への立候補を拒絶され出馬できない仕組みになっている。実際に民主派や独立派候補者の一部は、立候補が不可能であり、2015年の雨傘運動に関わった若者が立ち上げた政党「香港衆志(デモシスト)」などは、仮に立候補ができて当選しても、様々な理由で議員としての資格を剥奪されてしまうのだ。
このように香港の市民は、選挙民主主義によっては自身の意思が十全に反映されないため、自分自身が路上に出て意思表示をするという直接民主主義に頼らざるを得ないのである。今回、「逃亡犯条例」改正案の撤回を求めたデモに数多くの市民がデモに参加したのには、このような選挙民主主義をめぐる背景がある。
結果的に、6月9日のデモの参加者は主催者発表によれば103万人を記録し、1997年の香港返還以降で最大規模のデモとなった。学生や市民らの一部はデモ終着点の立法会周辺の広場や道路での座り込みを試みたものの、警察は強制排除し、同日夜に香港政府は改正案の審議継続を表明した。
9日の103万人デモ終了直後から、改正案審議入りを阻止する新たな運動として、審議開始日である12日に学生による授業ボイコットや市民のストライキ実施が呼びかけられた。一部市民は11日夕方以降に再び立法会周辺を取り囲んだ。さらに12日には一時立法会周辺の道路を占拠したが、警察が催涙弾や催涙スプレー、ナイロンの袋に鉛粒が詰められたビーンバッグ弾や金属をゴムでコーティングしたゴム弾など、いずれも当たりどころが悪いと骨が砕ける武器を用いた排除が行われて72名もが負傷し、その中には頭部に直撃し流血した者もいた。
こうしたなか、中国政府寄りの保守系新聞メディアは、今回の一連の直接民主主義の動きを「暴動」と評した香港政府に論調を合わせ、デモをことさらに学生らによる「暴動」だと報道する「印象操作」をし始めたが、それらはほぼ無意味だった。というのも、警察の過剰な暴力による鎮圧がSNSやテレビ、リベラルな新聞を通じて、幅広く香港市民のみならず世界中に拡散されたからである。
こうした国内外のさまざまなメディアでの拡散と報道によって、人々は立法会周辺の前線での学生や市民らに対する弾圧の現実を知ることとなった。そして、さらに怒りを募らせ、路上へと駆り立てることとなったのだった。(続く)
※「下」は21日午後6時に「公開」します。
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