平成政治の興亡 私が見た権力者たち(19)
2019年06月22日
2012(平成24)年12月26日、安倍晋三氏が首相に返り咲いた。5年ぶりに首相官邸の主となり、第2次安倍内閣を発足させた安倍首相は記者会見で、「どうしてこの数年間で首相が代わったのか。最初に1年間で終わらざるを得なかった政権の担当者として、大きな責任を感じる。挫折の経験を生かしたい」と語った。何としても安定政権を作りたいという意気込みの表れだった。
安倍首相は、政権運営のかなめとなる首相官邸の布陣を強化、政策面では経済政策に重点を絞った。背景には、5年前に崩壊した第1次安倍政権が、政権の中枢を「お友達」で占め緊張感を欠いたこと、政策が網羅的で的が絞られていなかったことへの反省があった。
官邸のメンバーを具体的にみると、官房長官に菅義偉氏を起用。政務の副長官は気心の知れた加藤勝信、世耕弘成両氏、事務の副長官には警察官僚出身の杉田和博氏を充てた。また、第1次安倍政権で経産省枠の事務秘書官を務めた今井尚哉氏は筆頭格の政務秘書官になった。この5人が政策決定の中枢を握ることになる。
経済政策について、安倍首相は組閣後の記者会見で「3本の矢」に言及した。1本目の矢は「大胆な金融政策」、2本目は「機動的な財政政策」、3本目は「民間投資を喚起する成長戦略」である。これが「アベノミクス」の柱となり、政権の看板となっていく。
実はアベノミクスは、第1次安倍政権で自民党幹事長だった中川秀直氏が使った言葉だった。だが、1年で幕を閉じた第1次政権では、具体的な政策として展開する余裕はなかった。
年が明けて2013年1月、アベノミクスは金融緩和から動き出した。21日、政府と日銀が共同声明を決定。「消費者物価の上昇率2%」を目標とすることを確認した。時期については、安倍首相の側近から「2年以内」を求める意見が出ていたが、日銀側の抵抗もあり、「できるだけ早期に」という表現で落ち着いた。しかし、日銀の白川方明総裁は金融政策の転換を全面的に受け入れることはできなかった。2月5日、白川総裁は首相官邸に安倍首相を訪ね、辞意を伝えた。任期を2カ月ほど残しての退任表明だった。
後継の日銀総裁には、財務省財務官を経てアジア開発銀行総裁を務めていた黒田東彦氏が内定。黒田氏は財務省出身者としては珍しい金融緩和論者として知られていた。人事案は国会で了承され、黒田氏は3月20日に総裁に就任する。
2本目の矢の財政出動も動き出していた。13年1月には緊急経済対策がまとめられ、道路や空港などのインフラ整備を中心に、総額20兆円を計上する方針を打ち出した。13兆円の補正予算案も決まった。「コンクリートから人へ」を掲げ、公共事業の抑制を続けた民主党政権の政策からの大転換だ。
3本目の成長戦略は、1、2本目の矢が景気を下支えするうちに、日本経済の構造改革を進めて成長軌道に乗せようという政策である。しかし、各種の規制緩和は既得権に阻まれ、企業の生産性も伸び悩んだ。政府主導の原発輸出なども頓挫。成長戦略は大きな成果を出せなかった。
株価上昇などによる景気の好転で、安倍内閣の支持率は高水準を維持。迎えた7月の参院選(7月4日公示、7月21日投票)、久しぶりに政権与党として国政選挙に臨んだ自民党は攻勢を強めた。野党の民主党は、野田佳彦首相(党代表)の退陣を受けて、後継の代表に海江田万里氏を選出、幹事長に細野豪志氏を起用して再生をめざしていたが、勢いは戻らず、参院選は守勢に回った。
投票の結果、改選34議席だった自民党は65議席と大躍進。民主党は改選44議席から17議席と激減した。その他は、公明党11議席、みんなの党、共産党、日本維新の会が各8議席など。非改選を含めると、自民党は115議席となり、公明党の20議席と合わせて与党は135議席に達し、参院241議席の過半数(122)を上回って、衆参のねじれは解消した。民主党の海江田代表は惨敗にもかかわらず続投したが、党再建のめどは立たなかった。
内閣法制局長官は従来、財務、法務、経産各省などの出身者が就いており、外務省出身者の起用は異例だった。それまで、「集団的自衛権の行使は憲法上認められない」としてきた法制局の見解を改めるための布石だった。
次に安倍首相が手がけたのは、警察官僚が求めていた特定秘密保護法案の制定である。防衛、外交、テロ防止、スパイ活動など「特定有害活動」防止の4分野の情報を「特定秘密」の対象と指定し、漏洩を厳しく取り締まる内容で、10月25日に閣議決定して国会に提出。野党側は「秘密範囲が拡大解釈される恐れがある」などと強く批判したが、自民、公明両党は押し切り、12月6日、参院本会議で可決、成立した。
安倍首相は12月26日、突然、靖国神社に参拝。第2次安倍政権が発足して丸1年が過ぎた節目の日だった。安倍首相は第1次政権の1年間で靖国神社を参拝できなかったことについて「痛恨の極み」と述べており、参拝の機会を探っていた。突然の参拝に中国と韓国は強く反発。日中、日韓関係は冷え込むことになる。
年が明けて14年。安倍首相は安全保障法制のとりまとめを加速させた。有識者による「安保法制懇談会」(座長・柳井俊二元駐米大使)に、集団的自衛権の行使が可能になる枠組みを検討するよう求めた。
集団的自衛権は、同盟関係などにある他国が攻撃された時に、自国が攻撃されたと見なして反撃できる権利のことだ。日本政府はこれまで「集団的自衛権は保有しているが、憲法上、行使できない」という立場をとっていた。5月15日、安保法制懇は報告書を提出。①集団的自衛権を全面的に容認するよう憲法解釈を変更する②次善の策として、日本の安全保障に重大な影響を及ぼす可能性がある時、限定的に集団的自衛権を行使することは許される――二案を提示する。安倍首相は、②の限定容認論を受け入れた。連立与党の公明党に配慮した結果だった。
7月1日には臨時閣議が開かれ、集団的自衛権の一部を容認する政府見解が閣議決定された。「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」に限って、集団的自衛権の行使が許されるとした。戦後憲法の下で、海外での武力行使を厳格に禁じてきた日本の外交・安全保障政策にとって、大きな転換である。
この見解に基づく法案作りが始まったが、連立与党をくむ公明党が、支持母体である創価学会に集団的自衛権行使に慎重論が根強いことから、2015年春の統一地方選まで法案の国会提出を控えるよう要請。法案の国会提出は先送りされた。
安倍首相は9月3日、自民党役員人事と内閣改造を行った。党幹事長を石破茂氏から谷垣禎一氏に代えた。安保法制の本格審議を控え、ハト派の谷垣氏を党の要に起用することで政権の「幅広さ」をアピールする狙いがあった。
年末の予算編成に向けて安倍首相は、一つの決断を迫られていた。民主党政権下で自民、公明両党も賛成した3党合意を受けた法律にそって、14年4月に消費税率を5%から8%に引き上げたのに続いて、15年10月にはさらに8%から10%に引き上げることになっていた。予算編成でその増税分を盛り込むかどうかを決めなければならない。
5%から8%に引き上げられた際には、消費が大きく落ち込み、景気が減速した。消費増税で再び景気が悪化すれば、政権へのダメージも大きく、念願の安保法制にも影響が出てくる。安倍首相は消費増税の延期を決断。11月18日に記者会見し、増税を17年4月まで1年半延期すると表明。そのうえで、「大きな政策変更であり、国民の信を問いたい」として、衆院の解散・総選挙に打って出たのである。
ふたつは、増税を進めている財務省に対する「不信」。安倍氏が所属してきた自民党清和会は、大蔵省(現・財務省)出身の福田赳夫元首相が会長を務めたこともあるが、大蔵省・財務省とは比較的、縁が薄い。田中角栄元首相の系譜である田中・竹下派や大平正芳、宮沢喜一両元首相らの宏池会が、大蔵省・財務省と近い関係にあった。「安倍氏は、財務省は政権をつぶしてでも増税や財政再建を進めたがると考えている」と、安倍首相側近は証言する。歴代の首相官邸では多くの場合、大蔵省・財務省出身の首相秘書官らが国会や党との日程調整を担当するが、安倍官邸では今井秘書官や経産省出身の秘書官たちが政治日程づくりの中枢を握っていた。
それに、消費増税という政策自体への「不信」も加わる。安倍首相は「増税しても景気が落ち込み、税収が減れば元も子もない」と語ることが多い。「景気が良くなれば、税収は増えるので消費税率を上げる必要はない」という「上げ潮理論」の影響を受けている。しかし、実際にはアベノミクスによる景気上昇も限定的で、大幅な税収増は見込めず、財政再建は足踏みしている。
安倍首相の「不意打ち解散」による総選挙は12月2日公示、14日投票で行われた。自民党は「政治の安定」を掲げて攻勢を強め、野党の民主党は候補者擁立もままならず、苦戦を強いられた。結果は自民党が4議席減らして291議席、公明党は4議席増やして35議席。自公の与党勢力は選挙前と同じ圧倒多数を維持した。民主党は11議席増やしたものの、73議席にとどまった。海江田代表は落選。後継の代表には岡田克也氏が返り咲いた。日本維新の会は41議席。与野党の構図は変わらなかった。
年が明けて15年。通常国会で当初予算が成立し、統一地方選も終わったのを受けて、安倍政権はいよいよ安保法制の成立に向けて動き出した。5月15日、集団的自衛権の行使容認を柱とした安保関連法案を閣議決定して国会に提出。安倍首相と岡田代表との論争などが続いた。安倍首相は、朝鮮半島有事のケースなどをあげて、在留邦人を日本に運ぶ米軍が攻撃された場合、日本への攻撃と見なして自衛隊が反撃するといった説明を繰り返したが、野党側は納得しなかった。
そこへ、思いも寄らぬ出来事が起こる。6月4日、衆院憲法審査会に自民党推薦の参考人として出席していた長谷部恭男・早稲田大教授が、集団的自衛権の行使を認める安保関連法案は「憲法違反」と断じたのだ。
憲法学の権威である長谷部氏の発言で、法案に反対していた野党は勢いづき、自民党内には困惑が広がった。国会議事堂の周辺では、安保法案反対のデモが続いたが、政府・与党は7月15日、衆院特別委員会で採決を強行。参院でも与野党の対立が続いたまま、9月19日未明の参院本会議で法案は可決、成立した。
任期満了に伴う9月の自民党総裁選を無投票で乗り切った安倍首相は、9月24日の記者会見で、政権の新たな看板として「1億総活躍社会」を掲げ、「日本社会の構造的課題である少子高齢化に真正面から挑戦したい」と述べた。具体的には「国内総生産(GDP)600兆円」「介護離職ゼロ」などを打ち出した。安保法制の混乱から経済再生に局面転換しようという狙いが込められていた。だが、アベノミクスの3本の矢との整合性や、社会保障充実のための財源問題などが不明確で、「1億総活躍」のインパクトは弱かった。
明けて16年。5月には安倍首相が議長役を務める主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)が予定されていた。安倍首相は、夏の参院選で勝利し、衆院に続いて参院でも憲法改正に前向きな勢力を3分の2以上確保したいと狙っていた。
5月26日のサミット初日。出席していた7人の首脳にある文書が配られた。鉄鉱石など世界の資源価格の下落率や新興国の経済指標の不調ぶりは、リーマン・ショック級だと書かれていた。ドイツのメルケル首相や英国のキャメロン首相らは首をかしげた。
この文書は安倍首相の今井秘書官(政務)が、出身の経産省に指示して作成させた。狙いは17年4月に予定されていた消費税率の8%から10%への引き上げを延期することだった。安倍首相は「今井ペーパー」の狙い通り、消費税率引き上げ時期を2年半延期して19年10月にすると表明。参院選で民意を問うと述べた。
サミットの後には、歴史的なオバマ米大統領の広島訪問が実現した。オバマ氏は被爆者らと面会したほか、平和公園で演説し、核なき世界をめざす考えを強調した。
参院選は6月22日公示、7月10日投票で行われた。アベノミクスの成果などを掲げて攻勢を強める自民、公明両党に対して、野党側は民主党から民進党に改名した岡田代表が共産党を含めた候補者調整に動き、32の「1人区」で候補者の一本化に成功。自民党対野党という対決構図をつくった。
結果は、1人区では自民対野党が21対11だったが、全体では、自民党が改選50議席から56議席に増加。公明党は改選9議席を14議席に増やした。民進党は改選43議席に対して32議席にとどまった。その他はおおさか維新7議席、共産党6議席など。自民、公明、おおさか維新など憲法改正に前向きな勢力は、非改選を含めて参院全体の3分の2を上回り、憲法改正の環境は一応整った。もっとも、「改憲勢力」といっても憲法改正についての自民党と公明党との立ち位置は大きく隔たっており、参院選後も両党の歩み寄りは進んでいない。
年が明けて17年。通常国会が始まって間もない2月9日。朝日新聞の社会面に一つの記事が掲載された。大阪府豊中市の国有地が学校法人「森友学園」に大幅な値引きによって売却されたという。これが、「一強」を誇っていた安倍政権の足元を大きく揺らすことになる。
次回は最終章。森友・加計疑惑に揺れる安倍政権と平成から令和への代替わり、そして参院選の攻防を描きます。7月の参院選後に公開予定。
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