元参院議員・円より子が見た面白すぎる政治の世界⑮政治から引退したはずが……
2019年06月23日
連載・女性政治家が見た! 聞いた! おもしろすぎる日本の政治
「平成」という時代は、大きな災害が頻発した時代であった。
私はすぐ法務委員会の事務担当者と委員長に電話を入れ、「神戸に行くのは無理だから、全員国会に集まったほうがいいのではないか」と言った。ところが、委員長も事務担当者も「とりあえず東京駅に集まり、そこで理事協議をするのが規則だ」という。
そもそも新幹線は止まっていて、神戸視察が無理なことぐらいすぐにわかる。国会に行って情報収集するほうがずっといいのに、「何と杓子定規な」と思いながら東京駅へ。そこで全員が集合して、「新幹線も航空機も動いていないので、本日の視察は取りやめます」
「いやあ、一日早く神戸に行っていたら大変だった」という人もいたが、そんなことを言っている場合か! どうやら阪神は大変なことになっているらしい。すぐに国会へと飛んでいった。
高速道路も大きなビルもぺしゃんこになり、多くの人が地震と火災で命を失った阪神淡路大震災の始まりは、こんな具合だった。
同じ年の3月20日(月)午前8時頃、東京メトロ丸の内線などの車内でサリンがまかれ、駅員や乗客13人が死亡、約6300人が負傷する大惨事が起きた。
4月14日のこの連載「寂しかった日本新党の解党。私は議員失職の危機?」でも書いたように、当時、私は前年11月に東京高裁が当選無効判決を出したのを受け、最高裁で裁判を闘っている状態だった。平常心で議員活動を続けているつもりだったが、当時の日記を見ると、小学生の娘がしょっちゅう発熱したり、吐いたりを繰り返していた。私自身、極度に緊張していて、娘を見ている余裕がなかったに違いない。その娘が3月25日には小学校の卒業式を迎えることになっていた。
私が国会議員になって、麹町の宿舎に転居したのが2年前。娘は転校を拒み、赤坂見附駅から表参道まで地下鉄を利用して登下校していた。同じ朝の時間帯の地下鉄。背筋がぞっと寒くなった。
それから9年後の2004年10月23日(土)、私は民主党の「次の内閣」の防災担当大臣として岡山にいた。台風23号が各地に大きな被害をもたらしていて、そのひとつだった岡山の現場に、お見舞いの視察に行ったのだった。
記者会見を終え、その日のうちに帰京しようと岡山空港に向かっていたタクシーの中で、新潟方面で大きな地震が発生したことを知った。党本部にすぐさま対策本部立ち上げ指示の電話をし、予定より40分遅れたが、午後8時半に羽田に到着すると、党に直行した。週明けの月曜の朝には新潟中越地震対策本部を開く。
その後、被災者生活再建支援法の補助金制度を住宅再建に利用できるように改正したほか、党として募金活動をおこない、11月28日には新潟県庁で1000万円の募金を手渡した。
政治家は、天災であれ、人災であれ、大きな災害が起きたとき、どう対応するかが常に問われていると思う。その点では、与党も野党もない。不意の出来事に、いかに慌てず、しかも遅れず、適切に対処できるか、常日頃から考えておかなければならない。
そして、民主党による歴史的な政権交代から1年半後の2011年3月11日、あの大地震が東日本を襲ったのである。
当時、私は落選して浪人中の身だったが、東電の社員だった元連合会長の笹森清さんや防衛省の河野克俊さん(先日退任したばかりの統合幕僚長)とすぐに連絡を取り、友人の夫の原子力専門家とも話をして、原発事故への対応策について話し合い、そこで得られた情報を細川護煕・元総理に伝えた。細川さんは、私以外からも有益な情報を得ており、事故を起こした原発の「石棺化」で放射能の拡散を防げないかなど、被害を最小化するための方策を専門家らと模索しておられた。
活動は原発事故への対応にとどまらなかった。
震災後、沿岸の自治体では、津波対策として巨大なコンクリートの防潮堤を造る動きが顕在化したが、細川さんはこれに反対。コンクリートのかわりに地震や津波で出た瓦礫(がれき)を埋め、その上に広葉樹を植えてつくる「森の防潮堤」を実現するために動かれた。私も、平野達夫復興副大臣、細野豪志環境大臣に連絡し、瓦礫処理や津波対策に関する「細川提言」の実現に奔走した。細川さんは、巨大防波堤をつくろうとした村井嘉浩・宮城県知事に批判的で、2013年の県知事選では他の候補を出そうと模索さえされた。
そして、こうした東日本大震災後の動きが、2014年1月の東京都知事選への細川さんの立候補につながっていく。
3・11まで、私は細川さんと会うたび、「円さんはよく生ぐさい政治の世界にいられますね。私はテレビも見ないし、新聞も読みませんよ」とからかわれたものだった。ところが、3・11を機に細川さんはがらりと変った。さらに、2012年12月に安倍晋三政権が誕生して以降は、「このままでは日本はダメだ」という思いが言葉の節々にあらわれるようになった。
木内孝胤さん(元衆議院議員)が、細川さんの秘書だった白州信哉さんや脳科学者の茂木健一郎さん、池上彰さんらを都知事選に引っ張り出したいと考えていることを知っていた細川さんは言った。
「熊本の知事になった時、県職員のほとんどは私の対抗馬の現職知事を支援していたから、私が知事になったのでみんな首を洗って待っていたんですよ」
しかし、細川さんは全員の続投を表明。県の職員との仕事はスムーズに動いたという。
「県議会はね、これがまたやくざな人ばかりでね。東京はもっと一筋縄ではいかないだろうから、ただ有名人で知識がある人がなったってうまくいかない。都議や都庁の役人の心を掴めるかです」と言うのを受け、私は言った。
「じゃあ、代表が適任ですね」
私はいつも、細川さんのことを「代表」と呼ぶ。次の都知事には、人々の幸福と日本の国益を考えつつ、諸外国と友好外交を堂々とやれる細川さんしかいないと思っていた。
宴席には木内さんもいた。私が明るく「木内さん。あちこち声をかけなくても、ここに最適の候補がおられるわよ」と言うと、「円さん。そういうことを軽々と言うもんじゃない。代表は総理も務め、もうすぐ74歳になり、アーティストとして悠々自適の人生を送っておられる。晩節を汚すことになる」と否定的な声が上がった。そう言われて、細川さんは「私は出る気などはないけど、出たからと言って晩節を汚すことになるとは思っていませんね」
ほら、出た。代表はへそ曲がり――。私は心の中で微笑んだ。
その後、事態は意外なかたちで進む。忘年会に参加していた順天堂大学教授の奥村康さんがその翌日、たまたま中川秀直さん(元自民党幹事長)に会い、細川さんが都知事選への立候補にまんざらでもないと伝えると、その場で秀直さんが小泉純一郎さんに伝え、小泉さんは「細川さんが脱原発の旗をかかげて戦うなら、全面的に応援する」と、話がトントン拍子に進んだのだ。
年が明けて早々、私は細川さんと再び食事をしたが、私は「細川さんは都知事選に出る」と確信した。
公約の柱は、当然ながら「脱原発」だ。「都知事選でなぜ、原発ゼロか。これは国政マターだ」という批判もあったが、原発事故の収束もできないうちに、原発の再稼働・輸出を進め、「エネルギー基本計画」で原発を重要なベースロード電源と位置づける安倍内閣にストップをかけなければ、日本の将来に禍根を残すという思いが、細川さんを駆り立てたのは間違いない。それは小泉純一郎さんも、そして私も同じだった。
細川さん、舛添要一(元厚労大臣)ら16人が立候補、1月23日に公示された都知事選の期間中、唯一の屋内での個人演説会があった2月4日の光景を、私は今もありありと思い出す。応援演説をした小泉さんの熱演に、司会者として舞台袖にいた私はすっかり圧倒された。テーマはもちろん、原発ゼロ。
「専門家の意見を信じていたが、全部ウソ。コストが他の電源に比べて一番安い? CO2を出さない? 永遠のクリーンエネルギー? これら全部ウソだとわかった。信じていた自分を恥じた。日本は安全第一じゃなく利益第一。
フィンランドのオンカロを視察したが、岩盤でできた島の地下40mに放射性廃棄物を埋め、10万年近く人のからだに触れないようにして保管するという。日本にそんな固い岩盤のところがあるか。トイレのない原発をどんどん作ってきたとはよく言ったものだ。
日本はまず総理が原発をやめると言えばいい。そして予算を自然エネルギーに投下する。何故それを安倍君ができないのか。細川さんが東京都知事となって、この最大の電力消費地からエネルギー政策を変えると言っていくことは大変重要なことだ」
私は科学者でも技術者でもないから、本当のところはよくわからない。だが、小泉さんの話を聞いていると、「そうだ!」という気になる。会場の聴衆もそうだっただろう。とにかくオーラがあるのだ。ただ、この屋内の演説会を設定するのは大変だった。小泉さんは空席が一つでもあると気分を害すると言われていたからだ。
この2014年の初め、都知事選の期間中の東京はほんとうによく雪が降ったが、選挙戦の最終日2月8日(土)も近年にない大雪に見舞われた。横なぐりの雪の中、銀座・数寄屋橋交差点に止めた車上で、私は凍えながら田中秀征さんに傘をさしかけていた。彼は細川さんが総理だった時の首相特別補佐だ。
秀征さんが絶叫した。
「集団的自衛権を解釈で変えようとするなんてとんでもない。憲法は根本規範だ。堂々と改正するというなら文句は言わないが、細川さんが負けたら、安倍さんは明後日から暴走する!!」
そうなのだ。私が細川さんにどうしても都知事選に立ってほしかったのは、原発ゼロのためだけではない。このことなのだ、と胸が熱くなっていた。
実は都内のあちこちで、私も秀征さんと同じことを訴えていた。都政に必要な子育てのことも介護のことも話したけれど、なぜ細川さんが今、立たなければならないか。それは右傾化している安倍政権と、閉塞状況にあった政治にくさびを打ち込むためであり、それをすることこそが未来への責任だと、私は考えていた。
「こんなところで演説してねえで、家で熱カンでものんでいたいよなあ」という文太さんに、「文太さん。明日細川さんが当選したら、勝利の美酒をのみましょう。それまで熱カンはおあずけ」と私。
「そうだね、細川さんに当選してもらいたいね。原発ゼロを達成し、憲法改正もなしに、戦争なしの国にしたいからね。うん、熱カンは明日までのおあずけだ」と文太さん。
大雪にもかかわらず集まった大勢の人がさす、雪で白くなった傘が、波のように揺れていた。
しかし、2月9日の投票日。私たちの思いは届かなかった。
結局、都知事選に勝利したのは、舛添要一さんだった。だが、彼はわずか2年と少しで都知事の座を追われる。その後の都知事に、日本新党時代から私とも関係が深い小池百合子さんがなったことは多くの人の知るところだが、細川さんの都知事選立候補は、私にも思わぬ影響を及ぼすことになった。
2015年6月、民主党組織委員長だった玄葉光一郎(衆院議員)さんが、杉並にある私の事務所を訪ねてきた。東京8区(杉並区)の総支部長を降りてくれという話だった。要するに、民主党からは次の衆院選に、私ではなく若い人を出すという執行部(岡田克也代表・枝野幸男幹事長)の意向を伝えに来たのだ。理由は、「民主党の党勢回復には時間がかかる。10年かけて若い人を養成して政権を奪取する。若い人に譲ってほしい」という。
平時ならば、10年かけて政権を奪取するというのもわかる。若い人に譲るのもいいだろう。しかし、「安倍一強」といわれ、やりたい放題の安倍政権を倒してほしいという国民は多いのに、民主党が受け皿になっていない。安全保障もしかり、原発もしかり。何より、10年かけてなどと悠長なことを言っているから、支持が集まらない。次の総選挙で政権を取る覚悟で、解散に追い込む気迫はないのか。そのためには新人も大事だが、ベテランを使うべきではないのか――。
私はそう反論したが、党には定年制があって、現職は70歳を超えていてもいいが、浪人中の私は、次の選挙で当選しても任期中に70歳になるから公認できない規定だという。だが、その1カ月後、男性の元職は私と同年齢なのに公認されたことが分かる。ああ、と思った。
つまり、女の年寄りはいらない。自分の新人の時代を知っている先輩は、目の上のタンコブということなのだ。
私は現職の時、年齢差別を撤廃すべきだと真っ先に国会で質問した。党で定年制が出た時も、当時はまた50代だったと思うが、多様性を重んじる党としては、定年制を設けるべきではないと反対し、そうなったはずだ。いつの間に、定年制ができたのか。
そもそも東京8区(杉並区)という衆議院の小選挙区を拠点に活動することになったのは、党からの依頼である。2012年の暮れ、野田佳彦総理による突然の衆院解散・総選挙で候補者が足りず、当時の鉢呂吉雄選対委員長が「8区で立ってくれ」と言ってきた。公示日の5日前だった。
少しでも票を増やし、比例の惜敗率で何人か勝てるようにしたい。それには、空白区があると困る。8区の自民党は石原伸晃氏。強敵なので、次から次に候補者が降りた。「円さん、何とかしてくれ」という。ならばと、党のために私は一肌脱いだのだ。
細川さんは怒った。「岡田や枝野、玄葉などけとばせ」と。評論家の樋口恵子さんや元文部大臣の赤松良子さんら、多くの人から「この高齢社会で、70にもならない人を年寄り扱いするなんて」という声もあがった。だが、民主党は若い女性を8区の総支部長として公認した。
民主党と争うという選択肢もあった。記者会見で党の不公正さに異論を唱えるべきだという意見もあった。しかし、私はそうはしなかった。そうでなくても低迷し、支持を失っている民主党に、不利になることをしたくはなかったからだ。
しかし、どうやら、私を外した理由は、年齢ではなく別のところにあったのだ。
都知事選を通じ、私の背後に強力な助っ人、細川元総理の影を見た彼らは、私が疎ましかったのだ。新人ならいざ知らず、議員歴が長く副代表もつとめた私をやっかいな人間と見て、早々と排除するのが得策と踏んだようだ。
こうして私を排除をした人たちが2年後、小池百合子さんに排除されたと怒って立憲民主党を立ち上げたのは、歴史の皮肉か。
政治家たるもの、意見の異なる人を敵ではなく、友として遇することのできる軽やかな精神を持っていることが必要だと言ったのは、日本新党が旗揚げしたとき、参院議員になられた故武田邦太郎先生だが、その通りだと思う。そうした寛容こそが、「令和」に必要な精神ではないだろうか。
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