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細川さんを都知事選に駆り立てた3・11後の日本

元参院議員・円より子が見た面白すぎる政治の世界⑮政治から引退したはずが……

円より子 元参議院議員、女性のための政治スクール校長

東日本大震災と細川護熙さんの“変身”

拡大津波で船や家屋が押し流された宮城県気仙沼市の市街地=2011年3月12日
 マグニチュード9.0。震度7。三陸沖を震源とする激しい地震と、その直後に東北の沿岸を襲った巨大な津波によって、岩手、宮城、福島3県を中心に壊滅的な被害が発生した。さらに福島県では東京電力福島第一原発が全電源を喪失するという事態に陥り、「想定外」とされていた原発事故も起きた。「3・11」、東日本大震災である。

 当時、私は落選して浪人中の身だったが、東電の社員だった元連合会長の笹森清さんや防衛省の河野克俊さん(先日退任したばかりの統合幕僚長)とすぐに連絡を取り、友人の夫の原子力専門家とも話をして、原発事故への対応策について話し合い、そこで得られた情報を細川護煕・元総理に伝えた。細川さんは、私以外からも有益な情報を得ており、事故を起こした原発の「石棺化」で放射能の拡散を防げないかなど、被害を最小化するための方策を専門家らと模索しておられた。

拡大津波被害を受けた後の東京電力福島第一原子力発電所1号機(左)から4号機。爆発事故はまだ起きていない=2011年3月12日午前9時28分、福島県大熊町
 1998年に政治家を引退した細川さんだったが(「殿様のわがまま?還暦で引退 細川護熙氏の美学」参照)、日本を襲った未曽有の事態に、13年ぶりに「政治家・細川護熙」が戻ってきたかのようだった。

 活動は原発事故への対応にとどまらなかった。

 震災後、沿岸の自治体では、津波対策として巨大なコンクリートの防潮堤を造る動きが顕在化したが、細川さんはこれに反対。コンクリートのかわりに地震や津波で出た瓦礫(がれき)を埋め、その上に広葉樹を植えてつくる「森の防潮堤」を実現するために動かれた。私も、平野達夫復興副大臣、細野豪志環境大臣に連絡し、瓦礫処理や津波対策に関する「細川提言」の実現に奔走した。細川さんは、巨大防波堤をつくろうとした村井嘉浩・宮城県知事に批判的で、2013年の県知事選では他の候補を出そうと模索さえされた。

 そして、こうした東日本大震災後の動きが、2014年1月の東京都知事選への細川さんの立候補につながっていく。

熱海の中華料理屋での「都知事選」論議

 3・11まで、私は細川さんと会うたび、「円さんはよく生ぐさい政治の世界にいられますね。私はテレビも見ないし、新聞も読みませんよ」とからかわれたものだった。ところが、3・11を機に細川さんはがらりと変った。さらに、2012年12月に安倍晋三政権が誕生して以降は、「このままでは日本はダメだ」という思いが言葉の節々にあらわれるようになった。

拡大辞職を表明した会見で記者の質問に答える猪瀬直樹都知事=2013年12月19日、東京都新宿区の都庁
 2013年12月、猪瀬直樹・都知事が「政治とカネ」の問題で辞任に追い込まれていた。毎年暮れ、私は熱海か東京で細川さんを招いて忘年会を開くことにしていたが、その年は熱海の「一番」という中華料理店で、細川さんと一年を振り返っていた。話題は当然、猪瀬さんの去就に及ぶ。私は「次の都知事はどういう人がいいでしょう?」と問うた。

 木内孝胤さん(元衆議院議員)が、細川さんの秘書だった白州信哉さんや脳科学者の茂木健一郎さん、池上彰さんらを都知事選に引っ張り出したいと考えていることを知っていた細川さんは言った。

 「熊本の知事になった時、県職員のほとんどは私の対抗馬の現職知事を支援していたから、私が知事になったのでみんな首を洗って待っていたんですよ」

 しかし、細川さんは全員の続投を表明。県の職員との仕事はスムーズに動いたという。

 「県議会はね、これがまたやくざな人ばかりでね。東京はもっと一筋縄ではいかないだろうから、ただ有名人で知識がある人がなったってうまくいかない。都議や都庁の役人の心を掴めるかです」と言うのを受け、私は言った。

 「じゃあ、代表が適任ですね」

 私はいつも、細川さんのことを「代表」と呼ぶ。次の都知事には、人々の幸福と日本の国益を考えつつ、諸外国と友好外交を堂々とやれる細川さんしかいないと思っていた。

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筆者

円より子

円より子(まどか・よりこ) 元参議院議員、女性のための政治スクール校長

ジャパンタイムズ編集局勤務後、フリージャ―ナリスト、評論家として著書40冊、テレビ・講演で活躍後、1992年日本新党結党に参加。党則にクオータ制採用。「女性のための政治スクール」設立。現在までに100人近い議員を誕生させている。1993年から2010年まで参議院議員。民主党副代表、財政金融委員長等を歴任。盗聴法強行採決時には史上初3時間のフィリバスターを本会議場で行なった。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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