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香港の若者を駆り立てる「出口」のなさ

「逃亡犯引き渡し条例」改正反対デモの歴史的位置

丸川哲史 明治大学教授

「暴動ではない」と訴えて香港警察本部前で抗議する人々=2019年6月21日

香港でなぜあのような大規模デモが起きてしまうのか

 普通選挙制を獲得目標とした「雨傘学生運動」(2014年)の大デモの発生から5年の月日がたった2019年の5~6月、「逃犯条例(犯人引き渡し条例)」改正案反対を骨子とした巨大デモがまたも学生を中心にして展開され、6月15日は主催者発表で200万の参加が実現されるなど世界の関心を引いた。香港政庁は結局、中国の中央政府との協議の上、6月21日に「条例改正作業は完全に停止した」との声明を発表、現在に至っている。

 5年前の「雨傘学生運動」の当時、筆者は香港中文大学のカルチュラルスタディーズ学部の教授、羅永生氏の幾つかのエッセイを集めた書籍『誰も知らない香港現代思想史』(共和国、2015年)の翻訳、解説を担当、刊行に関わらせていただいた。実際「雨傘学生運動」にアドバイザーとして関わっていた羅永生氏が志していたのは、エコノミック・アニマルのイメージしかなかった香港において如何に現代思想史の叙述を成立させることであり、筆者も同氏の問題意識を共有させていただいた。このような出会いもあり、筆者は2010年代における香港の社会運動に注目し、それをまたどのように香港現代史、あるいは香港現代思想史に位置づけるかという課題に取り組むべく本稿を書いている。

 結局「逃犯条例」改正案はすでに実質廃案と報じられたわけで、本稿の課題は、むしろ中長期的な角度から「反対デモ」の発生及びその結果をどのように解釈するか、ということになった。まず分かりやすい政治的構図として、「香港政庁VS学生」また「建制派 VS民主派」といった対立軸があり、またこの背後に中央政府(中国)の存在が想定されるだろう。

 そういった構図で考えた場合、この闘争の結果について学生側や民主派の「勝利」と評定することとはなろう。ただ以上のような分析は、既に一目瞭然のことである。そこで筆者は、むしろ現在の香港に住む人々全体に漂う、歴史感覚や気分に照準を合わせてみたいとも思う。深く考えてみれば、この闘争について、学生側、民主派の「勝利」に終わったという総括ではあまりに簡単にすぎるだろう。振り返れば、今回の運動は、法律問題が政治的問題に転化したものである。

 そこで、以下のように新たな問いを立ててみたい。すなわち、そもそも香港という都市においてなぜあのような大規模デモがなぜ起きてしまうのか――この問題を大陸中国(中央政府)との政治的な関係から、さらに香港の過去の歴史、すなわちイギリス統治下からの時間という、やや長期的な歴史から考えることである。

「一国二制度」の終わりが迫ってくる

デモには、2014年の「雨傘運動」のシンボルになった傘をもつ市民の姿もあった=2019年6月16日
 香港の人々の声をネット新聞などのメディアから拾い読んでいく中で、2014年「雨傘学生運動」との違いとして感じ取れたことが一つある。それは、今年は「返還」から22年が経ち、必然的に「一国二制度」の猶予期間(50年)の終わりが28年後に迫っているという、香港内部の
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