政権交代の時代における長期政権のあり方を示した安倍政権だが……
2019年06月27日
6月19日に行われた1年ぶりの党首討論を見た。野党党首がそれぞれ見せ場を作ろうと自党のアピールを込めた質問を投げつける。これに対する安倍首相はと言えば……やはり安倍首相だった。
精いっぱいの愛想笑いはこわばり、薄ら笑いのように見えてしまう。側近が作成したであろうペーパーをもとに頭に叩き込んだ政府の政策、たとえばマクロ経済スライド、について説明を語りはするものの、質問への答えにはなっていないうえ、雄弁とは程遠い。そのどこか鈍感だが、精いっぱい「頑張っている」姿は、ごくごく普通の人である。
だが、ここにこそ、安倍首相が支持される一つの面がある。すなわち、熱狂的なポピュリズムではなく、「ちゃんとやっているのであれば支持する」という、ある意味冷静な一般国民の政治への態度こそが、支持の源泉なのである。
通常国会が閉会し、政治の舞台は7月21日投開票の参院選に移る。政権に返り咲いて以来、すべての国政選挙に勝利を収めてきた安倍首相にとって今回の選挙は、あれほど騒がれたにもかかわらず、衆参ダブル選挙ではなく参院選単独になった。そこに見え隠れするのは、与党の守りの姿勢である。
確かに、内閣支持率も自民党支持率も高い。だが、それは新年度予算案の成立後、衆議院予算委員会を開かず、安倍首相を国会にできるだけ出さなかったこと、いわば「安倍隠し」によって支持率をキープするという、守りの姿勢の所産である。実際、その間、政府は内政の目玉となるような新しい政策を何も発表していない。安倍首相の任期が残り2年となるなか、いよいよ政権をたたむ方向へと徐々に舵(かじ)を切りつつあると考えざるを得ない。
そこで、通常国会の閉会を機に、安倍内閣を来し方をあらためて振り返りつつ、この内閣の行く末、さらに今後の政治が向かう先について考えてみたい。
第2次以降の安倍内閣は、憲政史上、最長政権となることはほぼ確実である。だが、最長であること自体には、今やさして意味はない。諸外国をみれば、政権交代を経てこれくらいの年数で政権を率いているリーダーはいくらでもいるからである。
この政権は、憲政史上2度目の政権交代によって成立した。また、憲政史上初めて、かつて与党であった政党が政権交代によっていったん下野した後、次の政権交代によって復帰した政権であった。「そうした政権交代を経ても、長期安定政権が可能である」ことを示したこと。それが第2次以降の安倍内閣の最大の成果なのである。
民主党による2009年の政権交代まで続いた「自民党政権」(かたちは連立政権でも、自民党が圧倒的に大きな力をもった)のもとでは、自民党という枠組みの中でよりよい首相候補があれば、国民はそちらを選択し、既存の政権に「ノー」を突きつけた。竹下登内閣や森喜朗内閣の末期の一桁の内閣支持率はその現れである。
だが今は、政権がどうにも行き詰まり、与党支持層までもが雪崩をうって「野党に政権を担ってほしい」とでも考えない限り、内閣支持率が20パーセントを切ることはない。安倍内閣は、そうした底堅い政権基盤の上に立ち、強固なチームワークを誇る「官邸チーム」が、危機管理・経済・外交を中心に政権を運営した。その結果、安定した政治環境が作り上げられたのである。
振り返れば、2000年代半ば以降、1年で交代する短期政権が続くきっかけとなったのは第1次安倍内閣であった。長期政権であった小泉純一郎内閣を継いだ安倍内閣は、不祥事の続発と閣僚の大量辞任が続くなか、「消えた年金」問題に安倍首相が対応しきれず、参院選で大敗して崩壊した。
そんな短期政権時代に終止符を打ったのも安倍首相である。いかにも矛盾をはらんだ平成政治の「一幕」と言えるが、第1次安倍内閣がまるでバラバラだったのに対して、現在の安倍内閣はバラバラとは真逆な「強固な政権チーム」に支えられている。
政治家として安倍氏は、かつてはぶら下がり会見で、今は国会審議で、的を外したような受け答えをし、こみいった政策をたどたどしく説明するといった具合に、鮮やかさは微塵もない。だが、同じ人物でありながら、強固なチームに支えられれば、これほどまでに政権は浮揚する。
一度目の政権にいたメンバーを多く含むチームであればこそ、二度目は失敗しなくなる。これは、政権交代の時代に特有な政権の立ち上げ方であろう。そこに安倍首相がつくり出した混乱を、安倍首相だからこそピリオドを打てた理由がある。まさしく政権交代の時代ならではの政権の立ち上げ方である。
であるならば、野党もまた、政権を担った経験が少しでも継承されていれば、安倍首相のように「二度目」のチームを組んで政権に復帰することも不可能ではない。つまり、現政権が示しているのは、政権交代の時代とは、過去の政権の負の遺産を、もう一度政権を組織して払拭することができるし、その必要があるということなのである。
とはいえ、二度目とはいえ、現政権には大きな限界がある。長期政権にもかかわらず、何が政権のレガシー(遺産)かと問われると、さして思い浮かぶものがない。直近の長期政権であった小泉純一郎政権は、構造改革、道路公団民営化、イラク戦争、郵政解散など話題で持ちきりであった。この点が、同じ長期政権でも、小泉政権と安倍政権との違いである。これは何に起因するのだろうか?
「ワンフレーズ・ポリティクス」と言われ、短いコメント以上の説明しかできなかった小泉首相ではあったが、何がポイントかを把握する「勘のよさ」は超一流であった。ワンフレーズで物事を言い当てる力は、ぶらさがりにおける瞬時の応対から、手に取るようにわかった。
くわえて小泉首相のもとに結集したチームは、能力あふれる多彩な人々が少なくなかった。たとえば自民党の「守旧派」と闘う審議会での個性あふれる有識者たちがそうであり、2005年の郵政解散・総選挙で登用された「刺客」政治家には、高度な専門能力をもった女性たちが目立った。
ところが、安倍政権の官邸チームの常連たちには多彩さが欠ける。なにより女性がいない。また、国会で平気でヤジを飛ばす安倍首相にならってか、秘書官がヤジを飛ばして委員長から注意されるなど、鮮やかさも乏しい。首相とともに、くすんだ印象をかもしだす、同質性の高い集団である。それゆえ、官邸チームはすべての課題には対応できず、うまく対応できる領域と、鈍い対応しかできない領域とに二分されるであろうことはすぐに想像できる。
このうち相対的にうまく対応できたのは、やはり経済と外交であろう。具体的に言えば、アベノミクスの一環としての金融緩和と、集団的自衛権の解釈変更による安保関連法の成立は、この政権が実現した大きな転換である。政権が退陣した後も、歴史的転換として日本政治に刻印されるであろう。
外交ではこのほかにも、TPP(環太平洋経済連携協定)に遅れて参加しながら、その成立を主導した▼民主党政権時代にこじれた中国との関係を立て直した▼異形の大統領ドナルド・トランプが誕生して以来、アメリカから強烈な要求をつきつけられないように、うまくかわしてきた▼ロシアのプーチン大統領とも、平和条約締結には至らないまでも、何とか関係を維持する――など一定の成果を挙げている。また、安全保障において、中国を念頭に「自由で開かれたインド太平洋戦略」を打ち出し、アメリカを巻き込んだことも大きく評価できる。
長期政権の結果、安倍首相が国際社会で経験豊富なリーダーと目されているのは確かである。ただ、残念なのは、知性あふれる政治家とは見られてはいないことである。かつて長期政権となった中曾根康弘首相は、シャンソンを好んで歌い、フランスのミッテラン大統領に哲学を語って「世界の中曽根」を目指していた。これに対して、安倍首相はいつまでも、「世界の安倍」にはなれそうにない。
旧制高校の雰囲気を残しつつ、東京帝大から内務省に入った中曾根首相は、自民党長期政権の時代、「三角大福中」といわれた派閥の領袖たちの最終走者として政権を担った。時間をかけて首相としての準備を重ねたエリートであった。
これに対して安倍首相は、野党・自民党を率いて民主党政権を打倒し、政権を奪取した。岸信介元首相を祖父にもつ政治家一族で育ちはよいが、中曾根首相のようなエリート教育を受けてはこなかった。だが、2009年に自民党が下野したあと、必要だったのは、おそらくは安倍首相なのである。
つまり、政権交代の時代に野党から立ち上がるリーダーに求められる能力は、上から目線のエリートが知性溢(あふ)れる弁舌を振りまくよりは、まずは平均的な国民の目線に立ち、そこから支持をかき集め、精いっぱい能力を磨こうすることである。安倍首相は自らそれを示した。もちろん望みうる最良のリーダーとは言えないが、初めての政権交代後の長期政権を担った点では、これ以上を求めるのは酷かもしれないのである。
たとえば東京オリンピック誘致では、元スポーツ選手から元女性キャスターまで多数の有名人を起用し、消費増税を延期する際には経済情勢を検討すべくアメリカからノーベル賞を受賞した経済学者のポール・クルーグマンを呼んだ。また、人生100年時代構想会議ではイギリスのロンドン・ビジネススクール教授のリンダ・グラットンを招き、天皇退位という歴史的事件を粛々と行うための検討会議では、右から左まで有識者が結集した。
にもかかわらず、どれも今となっては印象が薄い。なぜか。考えつくのは、有識者と官邸の関係性における小泉内閣と安倍内閣の違いである。
小泉内閣では、多くの有識者が小泉首相との会見を感激あふれる筆致で記している。それぞれ小泉首相に激励されたこと、あるいは会話で触発されたことを熱く語っていた。だが、安倍首相にせよ菅義偉官房長官にせよ、そうした激励をしたのか、触発するよう言葉を発したのかどうか疑問であり、仮にしていたつもりであったとしても、おそらくは受けた側がそうとは感じ取れなかったとすら想像したくなる。
むしろ安倍内閣では、政権に刃向かえば狙い撃ちのように報復されるという面が強く浮かび上がる。「チーム安倍」などと言われる政権内の結束は、裏を返せば、外部に対するあからさまな攻撃とセットになっている。
このあたりも、政権を民主党から取り戻した後、過剰なまでに政権の防衛を図ってきた現政権の限界であろう。とすれば、国民を鼓舞することはおよそ無理。国民には無関心でいてもらってちょうどいい、といったあたりにとどまらざるをえない。
その結果、精いっぱいの運営のための努力は重ねてはいるものの、多くの国民はそれに気づかないどころか冷淡に見やり、それでも他に選択肢はないから選挙の際には自民党に投票する。あの熱狂的な小泉内閣への支持とは正反対の、どこまでも冷めた空気が漂い続けるのである。
そんな安倍政権も残すところ、あと2年である。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください