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酷暑の南スーダンで野球らしきものへの第一歩が

野球人、アフリカをゆく(6)イマニさんの登場で新展開。子供たちも徐々に増えて……

友成晋也 一般財団法人アフリカ野球・ソフト振興機構 代表理事

見様見真似でキャッチボールをする南スーダンの子供たち。

<これまでのあらすじ>
野球を心から愛する筆者は、これまでのアフリカ赴任地ガーナ、タンザニアで、仕事の傍ら野球を教え普及してきた。しかし、危険地南スーダンへの赴任を命ぜられ、さすがに今回は野球を封印する覚悟で乗り込んだ。ところが、あきらめきれない野球への思いが、次々と奇跡的な出会いを生み出し、ついに野球教室開催までこぎつけた。

エチオピア料理が好きな「イマニ」さん

 エチオピア料理とは、あまり縁がなかった。私は食べ物には好き嫌いがないタイプだが、過去に数回食べた経験から、もう食べたいとは思わなかったからだ。

 しかし、今、私は南スーダンの首都ジュバ市内のホテル内にあるエチオピア料理レストランにいる。“エチオピア美人”に誘われたからではない。テーブルをはさんで向かいにいるのは、昭和の匂いがプンプンする、ジャパニーズのおっさんである。

 内陸国である南スーダンに隣接する東アフリカのエチオピアには、南スーダンの紛争を逃れた難民が流入、一時は30万人近くに膨れがあったこともあり、今なお多くの難民がエチオピアで暮らす。

 かたや南スーダンの首都・ジュバには、エチオピア人系のホテルやレストランが、いくつもある印象だ。このように南スーダンとエチオピアは、ビジネスや文化、そして難民で深くつながっている。

 そのレストランは、クーラーが効いて快適だが、やや薄暗い室内には、日曜日のランチタイムなのに、あまり人はいない。そのせいか、さほど待たされることなく、やや小太りのウェイトレスが大きな皿を運んできて、テーブルに置いた。

大皿に乗ってでてきたエチオピア料理。白くロール状に巻かれているものがインジェラ。
 エチオピア料理の象徴である酸味のあるパンケーキ「インジェラ」が皿の上にドーン。その上には炒めた肉や豆類が付け合わせで置かれている。ワットと呼ばれるシチューも運ばれてきた。

 「このインジェラがいいんですよね」と少年のようにキラキラと目を輝かせるおっさん。

 「その酸味が苦手なんだよな」と言いたくなるのをこらえ、しかめっ面にならぬよう注意を払う私。

 このエチオピア料理大好きおっさんは、ジュバ大学のグラウンドを紹介してくれた、職場の同僚、村上淳が帰国後、後任として職場に配置された今井史夫だ。自衛隊上がりの前任者の、精悍さ漂う青年然とした趣とは真逆な雰囲気。身長は169センチだが、公称数値は本人曰く、トム・クルーズと同じ170センチにしているとのこと。中肉中背というよりは華奢な体。年齢は私よりも上の56歳。先輩職員だ。白髪交じりでやや薄くなりかけた頭髪は、年齢相応でいいとして、白髪のあごひげを伸ばしているのが、ただものではない感を漂わせている。無理に別の言い方をするとすれば、チャームポイントといえなくもない。

 彼が赴任して職場に初出勤した朝。自己紹介で「今井です。昔ケニアに赴任していたこともあり、イマニと言われてました。ニックネーム、イマニと呼んでください」といったこともあり、若干意味不明ながら、以来、職場では「イマニ」さんと言われている。

オヤジギャグの主に流れるラテンの血?

 イマニは以前、南スーダンが分離独立する前のJICAスーダン事務所に3年の勤務経験がある。独立前には出張で南スーダンを訪問する機会も多かったようだ。

 「イマニさん、どうですか、久しぶりの南スーダンは?」

 「いやー。たまらないですね、このアラブとアフリカが混じった感じ。2011年頃はほんとに田舎町で、泊まるホテルもろくなところがありませんでしたけど、今はそれなりに街もホテルも整備されているし、何より人口が増えましたよね」

常に料理にエチオピア料理に前向きなイマニ(左)。トランジットのトラブルで期せぬエチオピア・アジスアベバのホテルに同宿することになった時、真夜中にもかかわらず、レストランに繰り出す。食への執着がすごい。
 JICAは56歳で役職定年を迎えるため、管理職だったイマニはヒラの立場に戻って、南スーダン事務所に赴任してきた。もともと旧知の間柄ではあったが、こうして同じ職場で仕事をするのは初めてだ。

 「南スーダンは、危険なイメージが強いので、赴任の打診を断る人が多くて、イマニさんのように自ら手を挙げてくれる人はなかなか貴重で、ありがたいですよ」

 ちょっと本音を漏らすと、イマニはインジェラをちぎって付け合わせを包みながら、「アフリカの大地をまた踏みたかったんですよね」と少しニヒルに、顔に似合わないイカした表現をした。「でも、実は僕はラテンの血が流れているんですよ」

 イマニの風貌は、どうみてもジャパニーズ、というよりも、むしろチャイニーズっぽい。それが、ラテン? 思わず吹き出しながら、「はい?」と返すと、「実は母親が日系ブラジル人二世なんです。母の両親は日本人なので、日本人の血しか流れていないんですけど、なんせ母はブラジル育ちですからね。ラテンですよ、ラテン」と訊いてもない出自をさらりと明かした。

 危険地であり、行動制限があり、どうしても閉塞感がある、南スーダンのジュバ市内の職場や日々の生活のなかで、イマニはオヤジギャグをはじめ、常に明るく屈託ないトークで職場を和ませてくれる。直前の部署では管理職だったのに、ヒラになっても手仕事を厭わず、フットワークが軽い。年下の所長である自分を立ててくれる。実に貴重な存在感を醸し出せる源はラテンの血にあったのか、とひとりで納得した。

野球とランチのバーター取引

 「でもですね、母親がブラジル人だからと言って、サッカーが好きなわけでもなければ、野球が好きというわけでもないんですよね」と、ユニフォーム姿の私をちらりと見て、にやりと笑う。

 実は食事の後、ジュバ大学のグラウンドに野球指導に行くことにしていたので、私はユニフォーム姿のまま、レストランに来ていた。ホテルのレストランといっても、そこはアフリカ。ユニフォーム姿をとがめたり気にする人は誰もいない。その前の週は、グラウンドに10人の子供たちがきて、キャッチボールから初めてバッティングまでを行った。またたくさんの子供たちが来てくれる予感があったので、今回からユニフォーム姿での登場を目論んだのだ。

南スーダンpavalena/shutterstock.com
 一方、イマニは赴任してまだ2週間。慣れないジュバの土日のランチに、イマニから一緒に行こうと誘いを受けていた。

 「土曜日のランチはいいんですが、日曜日はランチのあと、ジュバ大学に野球を教えていくんです。手伝っていただけるなら、お付き合いしてもらえるのなら、イマニさんの好きなレストランにお付き合いしますよ」

 大人のいやらしいバーター取引だ。この話にイマニは乗ってくれた。後で聞くところによると、ちょっと癖のあるエチオピア料理に付き合ってくれる人は、他に誰もいなかったらしい。

 そんなわけで、苦手なインジュラを完食し、いつものように防弾車でジュバ大学に向かう。イマニは好物といいながら食が細いため、私が苦手なインジュラを余計に食べなければならず、これから野球だというのに腹がパンパンになっていた。昭和世代は食べ物を残すことができないタチなのだ。

 「ところで子供の頃、野球はやらなかったんですか?」と隣に座る満ち足りた表情のイマニに尋ねた。

 「とんでもない。野球ばかりでしたよ。あの頃は野球以外にやるものはなかったじゃないですか」

 「そうですよね。ポジションはどこだったんですか?」

 「セカンドやショートやってましたね」

 「要じゃないですか!」

 「でも、なにもわかってませんでしたね。ルールも常識も。バッターは10割打つのが普通だと思ってましたから」

 それじゃ永遠にアウトが取れなくて、試合どころかイニングも終わらないじゃないですか、と突っ込む前にジュバ大学のいつものゲートについた。毎週グラウンドに来ているので、ガードマンには「顔パス」の一歩手前だ。ジュースを1本もってさっと降り、「暑いですね!これ飲んで!」と笑顔で手渡す。

 ワイロのように見えるが、差し入れだ。あくまで。

いつものグラウンドでは女子サッカーが……

 午後3時。ここまではいつも通りだった。しかし、防弾車が構内をグラウンドの方向に進むと、何やら様子がいつもと違う。妙に騒々しいのだ。

 理由は、グラウンドに着いてわかった。サッカーのユニフォームを着た女子選手たちが集まっており、スタッフと思しき人たちが、グラウンドに石灰のラインを引いている。何やら試合の準備をしているらしい。 思わず、「まさかサッカーの試合かぁ?」と出すと、初めてグラウンドに来た隣のイマニが「サッカー場ですからねぇ」と至極当たり前のことをいう。

参加人数が増えてきたので、グローブ、ボール、バットなどをもってきた段ボール箱を使ってグラウンドに持ち込む。
 これまでは、グラウンドにいつきても誰もいなかったので、自由にキャッチボールをやったり、バッティングをしたりして使っていたが、この日はどうやら、女子サッカーの正式な試合があるらしい。

 参ったな。まあ、少し狭いけど、今日はグラウンドの横のスペースでやろう。ここは石ころが多くてあまりやりたくないところだが、仕方がない。

 戸惑っているうちに、徐々に選手たちが集まってきた。サッカーピッチにいる女子選手たちは大学生のようだが、野球に来る選手たちは、小学生から高校生くらいの青少年だ。
そういえば、前週に続いて今週も、どこからともなく湧いてくるように彼らは集まってくる。

 まあ、あまり深く考えないようにしよう。

満を持して取り出した秘密兵器「野球ボード」

 「よーし、さっそくキャッチボールしよう!」

長身から繰り出す速球を披露したエドワード君を相手に、キャッチボールのデモンンストレーション。
 最初に集まった7人の子供たちを集合させ、グローブを一つずつ渡し、ボールの握り方やグローブの使い方、ボールを捕るポイントなどを教える。そして、エドワード君に出てきてもらい、キャッチボールのデモンストレーション。彼にとってはまだ3回目のキャッチボールだが、早くも手慣れた感じがある。

 そのあと、2人一組のペアを作らせ、全員を2列にして、改めてキャッチボール。ぎこちない投げ方の子が多いがそこは気にしない。とにかく、ナイスボール、ナイスキャッチの声掛けを促しながら、ボールを捕る、投げる、という初めての動きを楽しんでもらう。

 いつのまにか子供たちの数が増え、12人になっていた。これなら9人を守備につかせ、他の子供たちにバッティングを経験させてられる。守備とはなにか? ボールが来たらどうすればいいのか? 打った後はどこに行けばいいのか? 初めて「野球らしきもの」を教える機会がやってきた。

 いったん休憩を取り、みんなを集めた。扇形に並んで座ってもらったところで、満を持して秘密兵器を取り出した。南スーダン初登場の「野球ボード」である。

 日本で買ってきておいたホワイトボードの上に、野球場のラインを油性マジックで書き、野手やランナー、ボールを、それぞれ、緑、赤、白の磁石で表す。これを使って、野球場でのプレーの流れやルールを説明するのだ。野球をみたことも聞いたこともない人に野球を説明するには、言葉だけでは難しい。この日の練習では、とにかく野球の形を覚えてもらうことを目指した。

 ――ホーム、一塁、二塁、三塁があって、これをダイヤモンド、というんだ。ピッチャーが投げて、バッターが打つ。(バットを見せながら)打つとき使うのは、この棒だ。
そして、打ったら一塁に走る。野手はボールを捕ったら一塁に投げる。ボールが届くのと、打者が走って一塁に走るのと、どちらが早いかの競争だ。打者が早ければ残れるし、ボールが届くのが早かったら、アウト、というんだ。

 「Do you understand?(わかるかい?)」

 しーん……。彼らの頭の上に「?」(クエッションマーク)がたくさん見えた。いくらボードを使っても、それを実際のプレーに置き換えるまで想像はできないだろう。

 しかし、それは想定済み。

日本でホワイトボードと磁石を購入し、油性マジックで手書きした野球場。11人の野手、ランナー、ボールは磁石を使う。

吉本新喜劇のようなドタバタ劇

 「イマニさん、出番です!」

 それまで時折、写真撮影をしながら、キャッチボールに交じったりしていたイマニが「えっ?」という顔をする。

 「ピッチャーやってください」

 「ピ、ピッチャー?そりゃまた大役な」と戸惑うイマニに、「いや、近くから下手投げでいいんです。とにかく打ちやすいボールを投げてあげてください」と説明する。

野球ボードを使った説明に聞き入る選手たち。真剣なまなざしが嬉しくて、つい口調にも力が入る
 全員を守備につかせる、と言っても、彼らは守備位置を知らない。私が一人一人、守備位置に連れていった。私は選手の動きが一望できるキャッチャー。昭和おじさんコンビの黄金バッテリーの誕生だ。

 「みんな、声出していこう!ノーアウト!」とこぶしを上げて大きな声を出し、一人ずつ順番にバッターボックスに立たせる。

 そして、ここからドタバタが始まった。

 打って一塁まで走ってもベースを踏まない子。地面が石ころだらけなのに、サンダルを脱いで裸足で走る子。打った後、バットをずっと持って走っていく子。バットを逆手で持つ子は多数。どうしてもバットに当たらない子も。

 守備では、ボールを捕れずにはじいた後、蹴り飛ばす子。捕球後なぜか近くにいる子にボールを渡す子。フライが上がると逃げる子。暴投になったボールを身動きせずにほっとく子。

 まるで吉本喜劇のようなドタバタは最後まで続いたが、彼らは初めて、ボールを打ち、走るということを体験した。また、飛んできたボールを捕って投げる、ということを経験できた。

 野球というゲームの第一歩を踏み出せた。

 それもこれも、打ちやすいボールを投げてくれたイマニがいたからできたこと。これは簡単なようで、初めて野球をやる子に託せるものではない。練習が終わる頃、人数は20人以上に膨れ上がっていた。途中からくる子も歓迎し、どんどんバッターボックスに立たせた。とにかく野球に触れさせてあげたかった。

「楽しみですね。彼らがどう成長するのか」

 酷暑のグラウンドで動き回り、練習が終わる頃には相当の疲労感が残った。それは、ひたすら投げ続けたイマニも同じようで、いつもの軽妙なトークがしばしなりをひそめた。グラウンドから宿舎に帰る防弾車内で、ようやく正気を取り戻したようなイマニに「野球、どうでしたか?」と声をかけた。

 車内のエアコンが効いてすっかり汗が引いたイマニは、ペットボトルの水を一気に飲み干しながら、「いや、暑さがきついですね。でも、子供たちは思った以上に吸収が早いですね」という。「いやあ。もうこりごりですわ」といわれるのではないか、とちょっと心配だった私は、胸をなでおろした。

 「イマニさん、ほんとに助かりましたよ。彼らは野球を全く知らないから、野球体験させたくても、今日のイマニさんみたいに助けてくれる人がいないと、練習にならないんですよ。おかげで、彼らは初めて野球っぽい領域に踏み出せました」と正直に感謝の気持ちを伝えると、イマニは、いたずらっぽい顔で「遅かれ早かれ、こうして友成さんの野球の手伝いをすることになると思ってましたよ」という。

 「そうなんですか?それはありがたいですけど、好きでもない野球なのに、どうしてですか?」と素直に疑問を口にすると、イマニは、少し考えて「前任者からの仕事の引継ぎの際に、野球の活動がありそうなことを聞いていたんですよ」と返す。

 「まあ、それは冗談ですけど、友成さんが、これまで野球をアフリカで教え広めてきた活動のことは知ってましたよ。でも、この危険地といわれる南スーダンで、環境も限られている中、ルールが難しくて道具も必要な野球を、見たこともない人たちにどうやって教えていくのか、想像できなかったんですよ。正直に言えば、ほんとにそんなことできるのか、と、疑問でした」とにやりと笑ったイマニは、「でも」と続ける。

 「楽しみですね。彼らがどのように成長するのか。ここは南スーダンですからね。誰も野球をやるなんて思ってもない。好奇心をそそられますね」

 野球はとても魅力的なスポーツだ。しかし、それを伝えるのは、情熱や根気があり、工夫を凝らしたとしても、限られた時間の中では限界がある。この日、イマニの登場で大きな一歩を踏み出せた南スーダン野球。これが、次々に波状効果を生んでいくことになる。(続く)