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大坂なおみの父の故郷ハイチで25年見てきたこと

「農業技術を全土に伝えたい」と言った男は、後にアルコール依存になり家族を失った

小澤幸子 NGOハイチ友の会代表 医師

中古の足踏みミシン204台が支援のスタート

 そこで1995年3月、私はともにハイチに向かった友人と2人で、雇用機会の創出と子どもたちの教育環境の整備を目指す非営利組織、「ハイチ友の会」を設立して支援活動を始めた。

 支援活動は手探りだったが、ハイチ絵画を使ったチャリティー絵はがきを作製・販売し、収益でハイチの職業訓練校で使う中古の足踏みミシン204台を購入したのが最初の成果だった。小学校の図書室や給食室を整備したり、2001年には経済的な事情で学校に通えない子どもたちの就学を支援する里親支援制度を立ち上げたりした。

ハイチ1拡大1996年、首都ポルトープランスの職業訓練校。女性たちに収入があれば、子どもたちにも恩恵があると考えて、絵はがき販売の収益約120万円で中古のインド製足踏みミシン204台を購入して寄贈した=小澤幸子さん提供

 しかし、私はある種の物足りなさを感じていた。それはカトリック系修道会を通じた「私たちのしたいこと」がメインの活動であって、ハイチの一般市民の主体性を引き出すような活動には程遠かったから。彼らと対等な関係を結びたいと願って命名した『友の会』の趣旨はどこに行ったのだという焦りもあった。

 私たちの転機になったのは、ローカルNGOのGEDDH(Groupe Ecologique pour un Developpement Durable en Haiti:通称ジェド)との出会いだった。

 私のロールモデルにハイチのマザーテレサと多くの人に慕われた、結核の専門医であり、修道女でもある須藤昭子さんがいる。シスター須藤はこれからのハイチを支えるのは農業と考え、80歳を過ぎて日本の有機農法を学んだ。そしてハイチのレオガン市近郊で有機農法のワークショップを開催し、その参加者が中心となって2004年、環境保護団体GEDDHを立ち上げた。

ハイチ2拡大2006年、レオガン市近郊の修道会の庭で、有機農法で苗木を育てるシスター須藤=小澤幸子さん提供

 なかでもその後の活動の中心を担うことになる男性は意欲が高く、シスター須藤に見込まれて、日本で3カ月間、有機農法の研修を受けた。竹炭や木酢液の製造と利用法についてマスターした彼は、情熱を込めてこう語っていた。

 「仲間たちにそれを伝え、この素晴らしい農業技術をハイチ全土に伝えたい」

 自分たちで作った木酢液を、自分たちで買い取って活動資金を捻出する姿勢をみて、ハイチ滞在歴の長いシスター須藤が、「こんなにまじめなハイチ人たちは初めて」と言いながら私たちにGEDDHを紹介してくれた。

 ハイチ友の会とGEDDHは、手を携えて貧しい山村の農村開発に乗り出した。はげ山の植林活動や養豚、収量が多く味の良い作物を作るための接ぎ木の手法を広めるなど、彼らのアイデアを多く採り入れた活動に取り組んだ。

 GEDDHは、ハイチを自然環境の改善と農業の発展で復興するという目的のために、数十万円と予算規模は小さくても、着実な活動を展開し、地域住民の信頼を獲得していった。ただ、GEDDHには大きな弱点があった。組織を運営する上での事務作業や会計知識がほとんどなかった。彼らにとって会計管理とは、極端に言えば、何か購入した際には領収書をもらってくる、ただそれだけのことだったのである。

ハイチ2拡大2007年、南西県チビー村の農民に接ぎ木についてレクチャーするGEDDHのメンバー=小澤幸子さん提供

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筆者

小澤幸子

小澤幸子(おざわ・さちこ) NGOハイチ友の会代表 医師

慶応義塾大学文学部の学生時代にハイチ共和国の貧困を知り、1995年ハイチにおける雇用機会の創出と子どもたちの教育環境の整備を目的とするNGOハイチ友の会を設立。この活動を経て医療分野で貢献したいと考え、山梨医大(現在の山梨大学医学部)を経て医師になる。現在は山梨市立牧丘病院で内科医師として地域医療に携わるとともに、ハイチ支援活動を継続している。2010年ハイチ大地震の際は日本赤十字社の緊急医療支援チームのメンバーとして現地に派遣された。

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