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「日韓の亀裂の修復」を和田春樹さんと考える

北朝鮮の拉致事件、そして韓国との新たな関係へ

市川速水 朝日新聞編集委員

大韓航空機爆破事件そして拉致問題

拡大1987年12月、大韓航空機爆破を実行した疑いで韓国に移送される金賢姫容疑者。死刑判決が確定した後、特赦された=ソウル金浦空港、東亜日報提供
 日本と朝鮮半島の関係の変化を語る時、単に日韓2国間の問題だけでなく、日朝関係と南北関係が影響してくる。日朝国交正常化交渉が盛り上がる前夜の「金丸信・金日成・盧泰愚」という組み合わせと、今の「安倍晋三・金正恩・文在寅」の関係では、何もかもが違う。戦争を知っているか、植民地支配の体験があるか。韓国が北朝鮮に融和政策をとっているかどうか。それぞれの内政が安定しているかどうか。アメリカとの関係が良好かどうか。

 前々回、「日韓の亀裂の拡大」で触れたように、1990年代には韓国との慰安婦問題のほかに、日朝国交正常化問題が浮上してきた。

 韓国では軍事独裁から民主化政権へと体制が変わり、その後、日本と北朝鮮との間では拉致問題が浮上。日本は二方面で外交の舵取りを迫られることになった。どちらも人の尊厳と命がかかっていた。

 そのなかで、日本と南北朝鮮の関係を大きく変えたのは、北朝鮮による拉致問題と核開発問題だった。

 1985年6月、韓国当局が「辛光洙(シン・グヮンス)事件」を発表した。北朝鮮の辛光洙工作員が日本人の原敕晁さんを5年前に拉致し、原さんになりすましてパスポートを取って韓国に入ったとされる事件だった。

 続いて1987年、大韓航空機爆破事件が起きる。蜂谷真由美という日本人名を名乗る女性が金賢姫(キム・ヒョンヒ)という北朝鮮工作員だと自供、「日本から拉致されてきた女性から教育を受けた」と供述したことから、拉致問題が国会で取り上げられることになった。

 さらに決定的な転機となったのは1996年だった。13歳の少女が1977年、学校帰りに拉致され、「朝鮮語を習得すれば帰国させてやる」と言われ、勉強したが帰国できないので精神が不安定になり入院させられている、という情報が韓国から伝えられた。その子は新潟の横田めぐみさんである可能性が膨らみ、1997年には国会でも問題となり、拉致問題は国民的な関心事になった。

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筆者

市川速水

市川速水(いちかわ・はやみ) 朝日新聞編集委員

1960年生まれ。一橋大学法学部卒。東京社会部、香港返還(1997年)時の香港特派員。ソウル支局長時代は北朝鮮の核疑惑をめぐる6者協議を取材。中国総局長(北京)時代には習近平国家主席(当時副主席)と会見。2016年9月から現職。著書に「皇室報道」、対談集「朝日vs.産経 ソウル発」(いずれも朝日新聞社)など。

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