政治とメディアの「金属疲労」 テレビ討論に限界
アメリカ大統領選に向け、民主党候補を選ぶためのテレビ討論が始まった。
奥村信幸 ジョージワシントン大学客員研究員 武蔵大学教授(ジャーナリズム)

2020年の大統領選に向けた、民主党の候補者討論会2日目(6月27日)の様子=AP
去る6月26日と27日に、2020年の大統領選挙に向けた民主党の候補者テレビ討論会が行われた。三大ネットワークのひとつNBCが中継し、2晩とも2時間にも及ぶプライムタイムの番組を約1500万人が視聴した。
カラフルな電飾でライトアップされた会場で、クレーンカメラなど凝った映像づくりもなされた番組はテレビ文化の完成形とも言えるものだ。ケネディ対ニクソンの討論から始まった「候補者の人となりやイメージ」をメディアが隅々まで写し出し、人々が消費するという仕組みを、疑いも抱かず踏襲しているかのようにも見える。
1日目の冒頭発言で、いきなりスペイン語でスピーチを始めたオルーク元下院議員(テキサス州)の顔を「首にヘビを巻いてメトロに乗り込んできた人を見るような目つきで見ていた」(NBCのトークショーホスト、セス・マイヤース)、ブッカー上院議員(ニュージャージー州)の表情は、多くの人がソーシャルメディアで拡散した。
しかし、テレビの影響力がまだ強いと言われているアメリカでもテレビ離れが進んでいるのは周知の通りである。ピューリサーチセンターの最近の調査でも、65歳以上の8割以上がテレビを通じてニュースを知るのに対し、18〜29歳では16%に満たない。最近インタビューをした大学生たちは「部屋にテレビはないし、寮のホールのテレビは誰も見ていない」「まったくテレビをみない日がほとんど」と答えていた。
アメリカの大統領選は、民主主義における自治が効果的に発揮される仕組みのひとつであるとされてきた。しかし、参加する人たちが正確な情報を得ていることがその前提だとすると、近い将来ミレニアルやジェネレーションXという世代が政治の中心を担うことになったとき、何が代わりを務めるのだろう……。

民主党の団体が主催したテレビ討論会の観戦パーティーで、発言する候補者を見つめる支持者ら=2019年6月27日、マイアミ、土佐茂生撮影
政治ジャーナリズムの「劣化」
討論会自体も、「1分で」とか「2ワードのショートアンサーを」という1日に登場する各10人になるべく多くの発言機会を与えようとする演出は、口数が多いわりに内容がない政治家を洗い出す効果よりも、与件が複雑に絡み合った状況を政治家がいかに把握し対策を考えているのかを説明する機会を、かえって奪っていた気もする。
NBCが日曜朝に放送しているフラッグシップ政治討論番組「ミート・ザ・プレス」の司会者チャック・トッドも司会を務めたひとりだが、10人の候補と5人の司会者の中で、上から4番目に多い言葉を発していた(しかも、彼の担当時間は後半の約45分だけだ)。時間の進行に気を配り、候補者の発言機会のバランスを気にしつつ、多くの政治課題を整理し、候補者の優先順位を明らかにするという司会者としての能力は高度すぎて、よほどの人材でなければ務まらなくなったということでもある。秒単位で時間に縛られる、テレビの「不自由さ」も感じられた。