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山本太郎は日本のバーニー・サンダースか

左派ポピュリズムと中道リベラルの「戦略的互恵関係」

大井赤亥 東京大学非常勤講師(政治学)

支持者とともに国会に初登院した山本太郎氏=2013年8月2日

 現代政治を捉える一つの指標として、「左派ポピュリズム」という言葉が広がっている。移民排斥や保護貿易を掲げた右派ポピュリズムは、イギリスのEU離脱やアメリカでのトランプ政権誕生を生みだした。その一方で、同じく反グローバリズムを基調としながらも、平等や社会的公正を重視する左派ポピュリズムも各国で台頭している。

 左派ポピュリズムとは、ベルギー生まれの政治学者C・ムフによれば、自由民主主義の枠組の内部にありながら、政治的敵対線の引き直しを通じて「人民」の集合的アイデンティティを再構築し、新しい左派のヘゲモニーを打ち立てる戦略だとされる(注1)。事実、欧州各国が採用する緊縮財政に反対して、2010年以降、スペインのポデモス、イギリスのコービン、アメリカのサンダース、フランスのメランションなど、民衆的人気に依拠してラディカルな政治ヴィジョンを提示する左派勢力が活発化しているのだ。

 しかし同時に、排外主義や保護主義の高まりに対して、これらの左派ポピュリズムが伝統的な中道リベラル勢力とどのような関係を構築するか、各国ごとに模索が続けられている。ここでは、左派ポピュリズムと中道リベラル勢力とのあるべき関係をめぐり、2016年アメリカ大統領選におけるサンダースとヒラリー・クリントンとの関係を参考にしながら、日本政治における山本太郎と既存野党との戦略的互恵関係の可能性を探りたい。


(注1)C・ムフ、山本圭・塩田潤訳『左派ポピュリズムのために』明石書店、2019年、67頁。

サンダースと左派ポピュリズム

 ムフによれば、アメリカはポピュリズムという用語が肯定的に使われてきた政治社会であり、サンダースの戦略は「明らかに左派ポピュリズムのそれである」。他方、2016年大統領選でそのサンダースと民主党候補の座を競ったヒラリーは中道リベラルを代表する政治家であり、両者はそれぞれ、既存の政治システムの根本的変革を迫る「敵対的左派」(サンダース)と、既存政治の枠内において改良を模索する「調整型リベラル」(ヒラリー)という二つの選択肢を象徴的に示すものであった(注2)

 かねてからアメリカ政治における「はぐれ者(outsider)」を自認してきたサンダースは、大胆な急進的提案を掲げて2016年大統領選に登場し、一躍旋風を巻き起したのは記憶に新しい。大企業への課税強化、15ドルの連邦最低賃金、学費無償の大学創設、5年間で1兆ドルの公共投資による1300万人の雇用創出といった政策は、そのまま山本太郎の政策と驚くほど重なっている。当初は「記念受験ならぬ記念立候補」(パトリック・ハーラン)と評されたサンダースも、今や2020年大統領選における民主党の主要候補に位置づけられており、この間のアメリカ政治のダイナミズムを感じさせる。

(注2)大井赤亥「『トランプ以後の世界』におけるオルタナティヴのために」『現代思想』、第45巻第1号、青土社、2017年1月、231‐233頁。

ヒラリー・クリントン氏

ヒラリーの苛立ちと中道左派の宿命

 他方、ヒラリーの基本政策は中間層の復活と国民皆保険制度の創設であり、日本でいえばかつての民主党の長妻グループに等しく、政治の利害調整を比較的労働者寄りに行おうとする選択肢であった。このようなヒラリーのスタイルは、既存政治の内部に留まるという意味で「保守的」でありつつも、多様な社会運動の要求を包摂し、それらを制度の内側に反映させるという点で中道リベラルの柔軟性を示すものでもあった。

 では、大統領選におけるサンダースとヒラリーとの関係はどのようなものだったろうか。ヒラリーは大統領選を振り返った自著『何が起きたのか?(What Happened)』(光文社、2018年)においてサンダースへの感情を極めて率直に述べており、その内容は同書の白眉をなしている。

 ヒラリーは、「バーニー(サンダース)と闘うのはひどく苛立つことだとわかった」とし、次のように述べる。「バーニーにとっては、政策は大衆を動かし、民主党の価値や優先事項について会話を喚起するためのものだった。その点で彼は成功したといえる。だが私は心配だった。守れる見通しがないのに大胆な約束をするのは危険だ。実行できなかったとき、人々は政府に対して以前にもまして批判的になる」(注3)。その結果、サンダースとの論争において、ヒラリーが進歩的な政策を提案するとサンダースはさらに進歩的な政策を提案し、結果として、「私は場を白けさせる役割を押し付けられ、バーニーの約束が実現する可能性はないと指摘し続けることになった」(注4)

 サンダースへの憤懣をあらわにするヒラリーに対してオバマが送った助言は、清く正しいリベラルの優等生的態度をこの上なく示している。ヒラリーいわく、「予備選挙の間中、バーニーの攻撃に仕返しをしたいと思うたびに、私は自制しろと言われた。……オバマ大統領には、ぐっと我慢してバーニーのことはできるだけ放っておけと言われた。私は拘束衣を着せられた気分だった」(注5)

 良心的な中道リベラルは、一方で保守反動の分厚い壁に向きあいつつ、他方で左派や社会運動から突き上げられながら、その狭間で一つひとつ陣地戦の駒をひっくり返していく責任と忍耐力が求められる。ラディカル左派からの圧力に対する葛藤や苛立ちは、中道リベラルが背負う以外にない宿命なのである。

(注3)H・R・クリントン、高山祥子訳『何が起きたのか?』光文社、2018年、258-259頁。
(注4)前掲書、259頁。
(注5)前掲書、262頁。

前回大統領選でヒラリー氏の候補指名を決める民主党大会で演説するサンダース氏=2016年7月25日

サンダースとヒラリーの「目的」の違い

 そもそも、サンダースとヒラリーとでは大統領選に出馬した「目的」が異なる。サンダースの「目的」は民主党予備選で暴れてアメリカ政治のイデオロギー的座標軸それ自体を大胆に「左」に寄せることであり、これはある程度成功したといえる。他方、ヒラリーの「目的」は本選で勝つことであり、それはヒラリーのような候補者にとって、「目的」というよりむしろ「義務」であろう。アメリカ大統領は、本来、最低限ヒラリー程度の、穏健凡庸なリベラルで「なければならなかった」はずだ。

 同時に、日本の社会運動のなかには、急進的提案を大胆に提示したサンダースに飛びつき、ヒラリーを「ウォール街の代理人」としてこき下ろす向きもあったので、ここでは政治家サンダースがあわせもつ「現実主義」にも言及しておこう。すなわち、大統領選に際してサンダースは最終的にその「ウォール街の代理人」たるヒラリーへの支持表明を行ない、本選ではヒラリーに投票していることだ。左派ポピュリズムにもまた、右翼排外主義の前では敢然と中道リベラルに投票する政治判断の側面があることも想起されるべきであろう。

 2016年大統領選における左派ポピュリズムと中道リベラルとの緊張感をはらんだ共棲は、しかし、結果的に民主党の裾野を広げたといえる。ヒラリーはいう。「私は指名を受けた後、彼〔サンダース〕と協力して、大学の学費を安くする計画を立てた。予備選挙中のお互いの提案の、良い部分を組みあわせた計画だった。もし何かを実現させたかったら、こうした協調は政治には不可欠だ。私たちは協力して、記憶にある中で最も革新的な民主党政綱を書いた」(注6)。このような経験こそ、バイデンからオカシオ=コルテスまで、多様な人材が党内活力を生みだす現代のアメリカ民主党を生んだ背景であろう。

(注6)前掲書、264頁。

左派ポピュリストとしての山本太郎

 参院選を前にした日本政治もまた、左派ポピュリズムと既存野党との境界を行き来する鋭い二正面作戦が求められている。

初当選を決めて喜ぶ山本太郎氏と支持者=2013年7月21日
 日本における本格的左派ポピュリズムの到来として、山本太郎を挙げることに異論は少ないだろう。他方、日本における中道リベラル勢力としては、立憲主義や草の根民主主義を掲げ、経済政策としては分厚い中間層の復活を志向する立憲民主党がこれに該当するであろう。立憲民主党は、山本太郎との比較において「責任ある野党第一党」の位置にあり、両者はおのずとその「役割」を異にしている。

 山本太郎の「役割」は、既存野党の「お尻を叩く」ことに加えて、放っておけば公務員攻撃を掲げる「改革派第三局」に包摂されかねない現状不満層のエネルギーをかろうじて野党共闘陣営に繋ぎとめることにあろう。その意味で、山本太郎は「左の維新」といえるかもしれない。

 山本太郎の左派ポピュリストとしての真骨頂は「金を刷れ、皆に配れ」という「人民の金融緩和」論に示されており、これは経済学者の松尾匡が提唱する薔薇マークキャンペーンと提携している。山本は松尾匡『この経済政策が民主主義を救う』(大月書店、2016年)を読み、大量の国債発行による教育や医療への財政投資に「安倍さんを超える経済政策」を見いだしたという。

 松尾匡によれば、英国労働党のコービンやスペインのポデモスに見られるように、「金融緩和と政府支出の組み合わせ」は「左翼の世界標準」であり、日本のリベラル派も日銀の緩和マネーを福祉や医療、教育にどんどんつぎこむべきであるという(注7)。このような松尾の主張は、このままでは安倍政権がアベノミクスの支持調達によって憲法改正を成しとげてしまうという危機感に支えられており、それゆえ、リベラル左派政党に向けた「景気拡大策」の提言は、「次の選挙でいかに安倍を倒すか」という「選挙対策」の性格が強くにじんでいる。

(注7)松尾匡『この経済政策が民主主義を救う』大月書店、2016年、95頁。

欧米モデルの直輸入でいいのか

 「人民の金融緩和」は、まさに山本太郎に固有の「役割」であり、その意義を過小評価するつもりはない。しかし、欧米の左派政党の目玉政策をそのまま「日本政治におけるオルタナティヴ」として輸入することには、一抹の拙速さを感じないでもない。日本の左派はこれまで、オキュパイ運動やアラブの春、そして欧米の左派ポピュリズムなど、外国の政治運動にモデルを求めてきた。しかし、それらがどれほど「日本政治のオルタナティヴ選択肢」として定着、血肉化されただろうか?

反核デモに参加してスピーチするコービン・イギリス労働党党首=2016年2月28日
 コービンやサンダースが活躍する英米と日本とでは、政治の条件は大きく異なる。第一に、英米の左派ポピュリズムには立ち返るべき過去の「成功体験」が歴然として存在する。サンダースにとってはニューディール政策であり、コービンにとっては第二次大戦後の福祉国家の「黄金時代」である。しかし、日本の左派やリベラル派にはそのような過去の「成功体験」は存在せず、すべてはこれから作っていくしかない。

 第二に、いわゆる「新自由主義」の徹底さも、英米と日本とでは異なっている。1980年代以降の英米においては福祉国家の解体や規制緩和が貫徹され、富の格差が著しく拡大した。これに対し、1990年代以降の日本では、「改革」の掛け声の下に利益誘導や脆弱産業保護は削減されてきたものの、毛細血管のように根づいた「既得権」の解体は英米ほど徹底的ではなく、日本型雇用も完全には破壊されていない。その結果、日本において富の格差は拡大しているものの、英米ほどではない(注8)

 このような日本社会の特殊性を踏まえれば、欧米の左派ポピュリズムは、日本の文脈や条件にあわせてしたたかに加工した上で、語弊を恐れずにいえば適切な「関税」をかけて輸入すべきではないか。そのような試行錯誤の先に、日本政治の経路依存性を踏まえた固有のオルタナティヴが創出されるように思える。

(注8)みずほ総合研究所編『データブック 格差で読む日本経済』岩波書店、2017年、199頁。

安保法制関連法案の廃案を求めて国会前に集まった人々=2015年9月15日

土着の結集軸としての「立憲」

 ここにおいて、明治憲政期における最大の流行語であり、2015年の安保法制反対運動を契機に再び日本政治の俎上にあがった「立憲」は、日本に土着の結集軸へと鍛え上げられる可能性を秘めていよう。

 アベノミクスであれ「人民の量的緩和」であれ、金融政策は「時間かせぎ」にすぎない。もちろん、「とにかく景気をよくしなければならない」という切実な要求に基づいて個人消費を支援する政策は重要である。しかし、左派ポピュリズムの「役割」が急場の景気対策であるとすれば、中道リベラル勢力の「役割」は、分配を成長につなげる日本政治の中長期的ヴィジョンを構築し、地道に有権者の信頼を得ることであろう。

 左派ポピュリズムと中道リベラル勢力は、それぞれが固有の「役割」を追求しながら戦略的共存を図る時、政治を活性化させるダイナミズムを生み出す。山本太郎がそのカリスマ性によって民衆のリアルな要求を政治へ届けることに比較優位を持つとすれば、立憲民主党が担うべきは、選挙の度に登場しては消える賞味期限半年の「ブーム」ではなく、健全な成長、公正な税制、必要な分配をめぐる国民的合意を構築し、息の長い支持基盤を構築していくことであろう。そのためには、歯切れのよい演説を期待する聴衆に対して、立憲民主党は地味でつまらなく、「場を白けさせる存在」で構わないはずだ。

 野党間におけるそのような役割分担と戦略的互恵の先に、「安倍一強」に対する日本に土着固有のオルタナティヴの姿が浮かび上がるはずであろう。