左派ポピュリズムと中道リベラルの「戦略的互恵関係」
2019年07月03日
現代政治を捉える一つの指標として、「左派ポピュリズム」という言葉が広がっている。移民排斥や保護貿易を掲げた右派ポピュリズムは、イギリスのEU離脱やアメリカでのトランプ政権誕生を生みだした。その一方で、同じく反グローバリズムを基調としながらも、平等や社会的公正を重視する左派ポピュリズムも各国で台頭している。
左派ポピュリズムとは、ベルギー生まれの政治学者C・ムフによれば、自由民主主義の枠組の内部にありながら、政治的敵対線の引き直しを通じて「人民」の集合的アイデンティティを再構築し、新しい左派のヘゲモニーを打ち立てる戦略だとされる(注1)。事実、欧州各国が採用する緊縮財政に反対して、2010年以降、スペインのポデモス、イギリスのコービン、アメリカのサンダース、フランスのメランションなど、民衆的人気に依拠してラディカルな政治ヴィジョンを提示する左派勢力が活発化しているのだ。
しかし同時に、排外主義や保護主義の高まりに対して、これらの左派ポピュリズムが伝統的な中道リベラル勢力とどのような関係を構築するか、各国ごとに模索が続けられている。ここでは、左派ポピュリズムと中道リベラル勢力とのあるべき関係をめぐり、2016年アメリカ大統領選におけるサンダースとヒラリー・クリントンとの関係を参考にしながら、日本政治における山本太郎と既存野党との戦略的互恵関係の可能性を探りたい。
(注1)C・ムフ、山本圭・塩田潤訳『左派ポピュリズムのために』明石書店、2019年、67頁。
ムフによれば、アメリカはポピュリズムという用語が肯定的に使われてきた政治社会であり、サンダースの戦略は「明らかに左派ポピュリズムのそれである」。他方、2016年大統領選でそのサンダースと民主党候補の座を競ったヒラリーは中道リベラルを代表する政治家であり、両者はそれぞれ、既存の政治システムの根本的変革を迫る「敵対的左派」(サンダース)と、既存政治の枠内において改良を模索する「調整型リベラル」(ヒラリー)という二つの選択肢を象徴的に示すものであった(注2)。
かねてからアメリカ政治における「はぐれ者(outsider)」を自認してきたサンダースは、大胆な急進的提案を掲げて2016年大統領選に登場し、一躍旋風を巻き起したのは記憶に新しい。大企業への課税強化、15ドルの連邦最低賃金、学費無償の大学創設、5年間で1兆ドルの公共投資による1300万人の雇用創出といった政策は、そのまま山本太郎の政策と驚くほど重なっている。当初は「記念受験ならぬ記念立候補」(パトリック・ハーラン)と評されたサンダースも、今や2020年大統領選における民主党の主要候補に位置づけられており、この間のアメリカ政治のダイナミズムを感じさせる。
(注2)大井赤亥「『トランプ以後の世界』におけるオルタナティヴのために」『現代思想』、第45巻第1号、青土社、2017年1月、231‐233頁。
他方、ヒラリーの基本政策は中間層の復活と国民皆保険制度の創設であり、日本でいえばかつての民主党の長妻グループに等しく、政治の利害調整を比較的労働者寄りに行おうとする選択肢であった。このようなヒラリーのスタイルは、既存政治の内部に留まるという意味で「保守的」でありつつも、多様な社会運動の要求を包摂し、それらを制度の内側に反映させるという点で中道リベラルの柔軟性を示すものでもあった。
では、大統領選におけるサンダースとヒラリーとの関係はどのようなものだったろうか。ヒラリーは大統領選を振り返った自著『何が起きたのか?(What Happened)』(光文社、2018年)においてサンダースへの感情を極めて率直に述べており、その内容は同書の白眉をなしている。
ヒラリーは、「バーニー(サンダース)と闘うのはひどく苛立つことだとわかった」とし、次のように述べる。「バーニーにとっては、政策は大衆を動かし、民主党の価値や優先事項について会話を喚起するためのものだった。その点で彼は成功したといえる。だが私は心配だった。守れる見通しがないのに大胆な約束をするのは危険だ。実行できなかったとき、人々は政府に対して以前にもまして批判的になる」(注3)。その結果、サンダースとの論争において、ヒラリーが進歩的な政策を提案するとサンダースはさらに進歩的な政策を提案し、結果として、「私は場を白けさせる役割を押し付けられ、バーニーの約束が実現する可能性はないと指摘し続けることになった」(注4)。
サンダースへの憤懣をあらわにするヒラリーに対してオバマが送った助言は、清く正しいリベラルの優等生的態度をこの上なく示している。ヒラリーいわく、「予備選挙の間中、バーニーの攻撃に仕返しをしたいと思うたびに、私は自制しろと言われた。……オバマ大統領には、ぐっと我慢してバーニーのことはできるだけ放っておけと言われた。私は拘束衣を着せられた気分だった」(注5)。
良心的な中道リベラルは、一方で保守反動の分厚い壁に向きあいつつ、他方で左派や社会運動から突き上げられながら、その狭間で一つひとつ陣地戦の駒をひっくり返していく責任と忍耐力が求められる。ラディカル左派からの圧力に対する葛藤や苛立ちは、中道リベラルが背負う以外にない宿命なのである。
(注3)H・R・クリントン、高山祥子訳『何が起きたのか?』光文社、2018年、258-259頁。
(注4)前掲書、259頁。
(注5)前掲書、262頁。
そもそも、サンダースとヒラリーとでは大統領選に出馬した「目的」が異なる。サンダースの「目的」は民主党予備選で暴れてアメリカ政治のイデオロギー的座標軸それ自体を大胆に「左」に寄せることであり、これはある程度成功したといえる。他方、ヒラリーの「目的」は本選で勝つことであり、それはヒラリーのような候補者にとって、「目的」というよりむしろ「義務」であろう。アメリカ大統領は、本来、最低限ヒラリー程度の、穏健凡庸なリベラルで「なければならなかった」はずだ。
同時に、日本の社会運動のなかには、急進的提案を大胆に提示したサンダースに飛びつき、ヒラリーを「ウォール街の代理人」としてこき下ろす向きもあったので、ここでは政治家サンダースがあわせもつ「現実主義」にも言及しておこう。すなわち、大統領選に際してサンダースは最終的にその「ウォール街の代理人」たるヒラリーへの支持表明を行ない、本選ではヒラリーに投票していることだ。左派ポピュリズムにもまた、右翼排外主義の前では敢然と中道リベラルに投票する政治判断の側面があることも想起されるべきであろう。
2016年大統領選における左派ポピュリズムと中道リベラルとの緊張感をはらんだ共棲は、しかし、結果的に民主党の裾野を広げたといえる。ヒラリーはいう。「私は指名を受けた後、彼〔サンダース〕と協力して、大学の学費を安くする計画を立てた。予備選挙中のお互いの提案の、良い部分を組みあわせた計画だった。もし何かを実現させたかったら、こうした協調は政治には不可欠だ。私たちは協力して、記憶にある中で最も革新的な民主党政綱を書いた」(注6)。このような経験こそ、バイデンからオカシオ=コルテスまで、多様な人材が党内活力を生みだす現代のアメリカ民主党を生んだ背景であろう。
(注6)前掲書、264頁。
参院選を前にした日本政治もまた、左派ポピュリズムと既存野党との境界を行き来する鋭い二正面作戦が求められている。
「人民の金融緩和」は、まさに山本太郎に固有の「役割」であり、その意義を過小評価するつもりはない。しかし、欧米の左派政党の目玉政策をそのまま「日本政治におけるオルタナティヴ」として輸入することには、一抹の拙速さを感じないでもない。日本の左派はこれまで、オキュパイ運動やアラブの春、そして欧米の左派ポピュリズムなど、外国の政治運動にモデルを求めてきた。しかし、それらがどれほど「日本政治のオルタナティヴ選択肢」として定着、血肉化されただろうか?
ここにおいて、明治憲政期における最大の流行語であり、2015年の安保法制反対運動を契機に再び日本政治の俎上にあがった「立憲」は、日本に土着の結集軸へと鍛え上げられる可能性を秘めていよう。
アベノミクスであれ「人民の量的緩和」であれ、金融政策は「時間かせぎ」にすぎない。もちろん、「とにかく景気をよくしなければならない」という切実な要求に基づいて個人消費を支援する政策は重要である。しかし、左派ポピュリズムの「役割」が急場の景気対策であるとすれば、中道リベラル勢力の「役割」は、分配を成長につなげる日本政治の中長期的ヴィジョンを構築し、地道に有権者の信頼を得ることであろう。
左派ポピュリズムと中道リベラル勢力は、それぞれが固有の「役割」を追求しながら戦略的共存を図る時、政治を活性化させるダイナミズムを生み出す。山本太郎がそのカリスマ性によって民衆のリアルな要求を政治へ届けることに比較優位を持つとすれば、立憲民主党が担うべきは、選挙の度に登場しては消える賞味期限半年の「ブーム」ではなく、健全な成長、公正な税制、必要な分配をめぐる国民的合意を構築し、息の長い支持基盤を構築していくことであろう。そのためには、歯切れのよい演説を期待する聴衆に対して、立憲民主党は地味でつまらなく、「場を白けさせる存在」で構わないはずだ。
野党間におけるそのような役割分担と戦略的互恵の先に、「安倍一強」に対する日本に土着固有のオルタナティヴの姿が浮かび上がるはずであろう。
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