
三菱重工ビル爆破事件。8人が死亡し、380人が重軽傷を負った=1974年8月3日
創作動機は「現在への憎しみ」
寺島実郎が『世界』6月号(岩波書店)に衝撃的なことを書いている。3.11の福島第一原発事故の際、「米軍による日本再占領」が検討されていたのだという。衝撃的ではあるが、筆者は当然のことだとも感じる。あの非常時において、日本の体制は当事者としての対処能力を致命的に欠いているという事実をさらけ出したからだ。
なにもそれは原子力ムラのエリートたちだけではない。何が起きても「本気」になれない人たち。いまこの国を崩れ落ちるにまかせているのは、この無気力ではないのか。
いつからこの国はこんな有り様になったのか。この度、作品社から『全作品Ⅰ,Ⅱ』(2巻)が刊行された作家、桐山襲は今を去ること30年前、第一の創作動機として「現在への憎しみ」を挙げていた。1949年に生まれ、学生時代からその早過ぎる晩年に至るまで(1992年没)新左翼運動にコミットした桐山にとって、「現在」あるいは戦後日本は、唾棄すべき対象にほかならなかった。
ただし、「戦後日本の虚妄」やら「戦後民主主義の欺瞞」といったフレーズには、右からのものであれ、左からのものであれ、たっぷりと手垢が付いている。それは、桐山がデビューした時代(1983年)において、すでにそうだった。1970年、三島由紀夫は、自決の直前に、戦後の日本を「私はほとんど「生きた」とはいえない。鼻をつまみながら通りすぎたのだ」と述べていた。
だから、肝心なのは「現在に対する憎悪」の強度なのだ。桐山襲は、その強度において突出した書き手であった。
本稿では、桐山の処女作にして代表作と目される『パルチザン伝説』(1983年)の内容について考えたい。同作品は、虚構を混じえつつ、実際の事件、すなわち、東アジア反日武装戦線による連続企業爆破事件ならびに同グループによる昭和天皇暗殺未遂事件についての貴重な史料となっている。