6月18日(火) 午前中「報道特集」の定例会議。香港で取材中の日下部正樹キャスターらは欠席。午後、ひたすら書き物を続ける。
夕刻から日本記者クラブで問題作『新聞記者』の試写会。これを見るのは2回目だが、1回目にみた後とは違う感想を持った。主役の女優の台詞の短さも気にならなくなった。この映画が6月28日というタイミングで一斉公開されることの意味と、出口の見えない状況への風穴となることへの期待が交差する。会場で一緒になった2人の後輩たちとプレスセンターのレストランで歓談。みんな、もやもやを抱えているんだなあと。多くの場合、組織の中で権限をもつとされている人物の定見のなさと、独断的な裁定で、いろいろなことにチャレンジできないという息苦しさが共通していた。
6月19日(水) 本来ならば、この日から沖縄取材を予定していたが、頓挫してしまった。あした締め切りのメディア関連の原稿を一気に書く。以前から気にかかっていたアメリカ映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』をみる。3時間26分の大作。「公共空間」とは何か。今の私たちに突きつけられている最も切実な問題だ。図書館はブックオフであってはならないのだ。
6月20日(木) 早起きしてプールへ。がっつり泳ぐ。体重が2キロ近く減った。沖縄「慰霊の日」に現地に行く手配をもろもろ。知人からのメールで、テレビ朝日の人事異動について知る。先日、本棚を整理していたら、故・彦由常宏さんの追悼本『駆ける』が偶然に目にとまった。そこに追悼文を寄稿していた人々はテレビ朝日関係者が多かったが、それらの人々はその後の歳月の経過のなかで、すっかり変わってしまったのか。
久方ぶりに赤坂の筑紫邸へ。6月23日の誕生日近辺に、毎年、筑紫哲也さんの「門下生」たちが集まる。これは筑紫さんが亡くなった翌年の2009年から毎年欠かさず続いていることだ。夕刻お線香をあげに行く。亡くなられてから11年もたつというのに、いまだに「筑紫残党」とか週刊誌にたれ込む馬鹿がいる。その後、神楽坂での寄り合いに。つぶされてはいけない。

筑紫哲也さん=2010年
6月21日(金) 早起きしてプール。きのうの半分だけ泳ぐ。ものごとが何から何まで思うように運ばないことのストレス解消のため。ミチコ・カクタニとアフリカ難民キャンプに400日暮らした日本人研究者の本を読む。イランがアメリカ軍のドローンを撃墜したことから一気に軍事的緊張が高まったが、武力攻撃寸前のところで、トランプ大統領は、いったんゴーサインを出した攻撃を中止したらしい。アメリカは何という人物をトップに選んでしまったことだろうか。もっともこれは日本についても言えることだが。