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沖縄全戦没者追悼式の会場に入る安倍晋三首相(手前左)を迎え入れる玉城デニー沖縄県知事(同右)=2019年6月23日20190623拡大沖縄全戦没者追悼式の会場に入る安倍晋三首相(手前左)と玉城デニー沖縄県知事(同右)=2019年6月23日

沖縄慰霊の日、挨拶文の器の違い

6月22日(土) 「報道特集」のオンエア。日下部キャスターの香港リポートが実に見甲斐があった。現場で取材しなければわからないことがある。熱気とか臭いとか希望とか。僕はと言えば、単純に、圧倒的な数の人々のデモという非日常のパワーそのものに感動したのだ。

 その後、反省会をパスして羽田空港に直行し、最終便で那覇へ。那覇は本格的な雨に見舞われていた。まいったなあ。今回は実に短い沖縄滞在だが、やれるだけのことはやろう。天気予報では那覇も糸満もあしたは雨だ。

6月23日(日) 沖縄慰霊の日。まだ雨がやまない。朝4時30分にホテルを出発。糸満市の魂魄の塔に午前5時すぎに到着。そこで、取材を試みる。Nさんに加え、何とMBS大阪・毎日放送のS女史が来ていた。まいったなあ。考えていることがどこかで重なっているのか。さらには沖縄タイムスのAさんまで取材に来ていた。Aさんは北部支社勤務から今は編集委員だが、腰の軽さには敬服する。

 朝、9時前には非常に雨足が激しくなる。こんな「慰霊の日」はあまり記憶にない。平和祈念公園への道筋は、参列者を乗せたチャーター・バスや自家用車でもう混雑している。会場を見て回ると、雨で若干出足が悪くなっているようだ。メディアの集まるテントの記者席で、知り合いと話をする。午前9時すぎには玉城デニー知事がもうリハーサルのために会場に姿をみせていた。そこで挨拶がてら話をした。「雨、大丈夫ですかね?」と問うと、デニー氏は「ははは、僕は晴れ男だから何とかなるでしょう。それにしても、去年は僕はこっちの側の席に座っていたんですからねえ」と国会議員らの座る最前列の席を指さしていた。考えてみると、翁長雄志知事が亡くなってからまだ1年もたっていないのだ。この間の目まぐるしい沖縄の状況の変化を考えると、こころの中で鈍い痛みが疼く。

 早稲田大学のゼミ生たち+アルファが10人沖縄に入っている。彼らと会場でドッキング。彼ら彼女らは「平和の礎」に花を手向けに行った。開会までの時間、テント屋根の下で参列者たちを観察していたら、何と僕の座っている斜め左の席に、香港からやって来たという大学生の一団がいた。10人ほど。さっそく手持ちの自分のビデオカメラで彼らに話を聞いた。香港で今起きていることと沖縄の状況は違っている点はもちろんあるが、似ている、共通している点もたくさんある。とにかく沖縄の歴史をきちんと学びたいと。彼らは琉球大学の学生らと交流したらしい。

 式典の警備が年々厳しくなってきている。午前11時50分開会。玉城デニー知事の平和宣言は、締めくくりがウチナーグチと英語で、「ちむぐくる」(沖縄に受け継がれてきた他人を思いやるこころ)を伝承していく決意を述べていた。そのあとの来賓挨拶がこの日のハイライトだったと言ってもいい。

 追悼式典は僕はこのところ毎年取材に訪れているが、

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筆者

金平茂紀

金平茂紀(かねひら・しげのり) TBS報道局記者、キャスター、ディレクター

TBS報道局記者・キャスター・ディレクター。1953年、北海道生まれ。東京大学文学部卒。1977年、TBSに入社、報道局社会部記者を経て、モスクワ支局長、「筑紫哲也NEWS23」担当デスク、ワシントン支局長、報道局長、アメリカ総局長、コロンビア大学客員研究員などを経て、2010年より「報道特集」キャスター。2004年、ボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『沖縄ワジワジー通信』(七つ森書館)、『ロシアより愛を込めて――モスクワ特派員滞在日誌 1991-1994』(筑摩書房)、『二十三時的――NEWS23 diary 2000-2002』(スイッチ・パブリッシング)など。共著に『テレビはなぜおかしくなったのか<原発・慰安婦・生活保護・尖閣問題〉報道をめぐって>』(高文研)、『内心、「日本は戦争をしたらいい」と思っているあなたへ』(角川書店)など多数。

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