松下秀雄(まつした・ひでお) 「論座」編集長
1964年、大阪生まれ。89年、朝日新聞社に入社。政治部で首相官邸、与党、野党、外務省、財務省などを担当し、デスクや論説委員、編集委員を経て、2020年4月から言論サイト「論座」副編集長、10月から編集長。女性や若者、様々なマイノリティーの政治参加や、憲法、憲法改正国民投票などに関心をもち、取材・執筆している。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
「家族」に過大な負担を強いてきた結果、立ちゆかなくなっているこの国
この参院選で最大の争点といえば、老後の暮らしに必要な資金の問題だろう。
「年金だけだと2千万円不足する」という金融庁の審議会の報告書は、多くの人の心の中でくすぶっていた不安に火をつけた。
ただ、これは選挙権を行使する大切な機会だ。不安にあおられるよりも、その正体を見極め、しっかりと考えたうえで投票したほうが一票は生きる。
不安を一皮めくったとき、そこにみえてくるのは、「家族」に過大な負担を強いてきた結果、立ちゆかなくなっている「家族国家・日本」の姿ではないか。
この報告書で注目すべきは、そこに書かれていること以上に、消されてしまった文章だろう。
報告書の原案には「公的年金の水準については、中長期的に実質的な低下が見込まれている」「今後は、公的年金だけでは満足な生活水準に届かない可能性がある」とあったが、最終稿では「公的年金の水準については、今後調整されていくことが見込まれている」などと丸められた。そして、これは最後まで残ったけれど、「『自助』の充実を行っていく必要がある」と資産形成を促した。
年金はこの先、大丈夫なのか? そんな不安を認めた表現だった。
「自助のすすめ」は、社会保障の意味を疑わせる内容になっていた。
社会保障は、何のためにあるのか?
社会保障の中でも、年金や介護、医療は社会保険に分類される。その存在理由のひとつは、人の一生は不確実性に満ちていて、個人で備えるのがなかなか難しいことにある。
年金でいえば、何歳まで生きるか予測がつかないから、自分で貯蓄しろ、投資しろといわれても、どれだけ蓄えればよいのかわからない(2千万円不足というのは、65歳の夫と60歳の妻が、あと30年生きると仮定した場合の話だ)。けれども1万人の寿命を足せば、合計は「平均寿命×1万」に近づく。みんなで老後に備えれば、必要な額のおおよその見当がつくから過剰な蓄えをせずに済み、ずっと合理的なのだ。
それなのに、年金だけでは満足に暮らせなくなるから自分で備えよと、報告書はいう。
そういわれても、ぎりぎりの生活をしている人はどうしようもない。多少は蓄えることができたとしても、「思っていた以上に長生きしたら、どうしよう」という心配を抱え続ける。長生きを喜べない、悲しい社会になってしまう。
それで社会保障といえるのか。保障していないじゃないか……。そうした疑問がわかないほうが、私には不思議に思える。
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