ニューヨーク、ロス、米国で拡大するAIを使った予測捜査。その実態、可能性と限界
2019年07月12日
3月24日の朝日新聞朝刊一面に「(シンギュラリティーにっぽん)プロローグ AIの判断 救いか災いか」が掲載された。ロサンゼルス(LA)市警がAIを使った予測捜査を開始したことへの賛否を読者に問いかける記事であった。5月7日の朝日新聞デジタルでは、「AIは天使か悪魔か 『間違えぬはず』妄信が招く分断」で更に詳しく掲載している。
1990年代までのLA市警は、サンディエゴ市警とともに住民の参加を含めた地域密着型の捜査を目指してきた警察で、機械的なルールの適用等で容赦ない捜査(ゼロトレランス)を指向したニューヨーク(NY)市警とは対極にあった。90年代後半のデータを見ると、双方ともに犯罪率を低下させる成果を見せており、犯罪学的にはどちらが真に有効な捜査なのか、甲乙付け難い状況であった(ただ、研究のための比較としてはダウンタウンの危ない地区を持つLA市ではなくサンディエゴ市が使われる事例の方が多かった)。
ちなみに日本では、NHKが2000年代に入った直後に住民の協力を得た地域捜査の代表例としてLA市警を特集したことがある。日本の複数の政治家は、ゼロトレランスは日本人の国民性には合わないと筆者に話してくれた。
AIを使うためには、捜査対象とする行為を、基本的に「ゼロ・サム」の発想で分類し、数値化したデータが必要である。犯罪が起きる前に地域住民全体の協力で問題を解消していくことや、大岡裁きのように加害者・被害者双方の心に訴えるということのような、人間の感情の動きに焦点を当てたやり方は(現在の科学のレベルでは)通じない。
全米では、LA市警以外にも、ニューヨーク(NY)、アトランタ、シアトルなど50以上の都市がAIを使った予測捜査を始めている。また、ロンドンや京都府警、神奈川県警、上海市警など、世界的にも導入が始まっているが、最も先端を走るのは、おそらく全米最大の警察職員を擁するNY市警であろう。
ブラットン警察本部長は「壊れ窓理論」(壊れた窓が放置されるような人影の少ない場所では犯罪が増える)の持ち主で、犯罪に対する警察の積極的な関与を徹底した。窃盗、強盗、殺人、レイプから地下鉄の無賃乗車まで、すべてを容赦なく取り締まった。
NY市の全77地区が報告する毎週の犯罪検挙件数は、「警官同士の競争」のようになったと当時、警官たちは言い合ったものだが、その結果、世界が注目するほど劇的な犯罪率の低下を達成し、「安全な街ニューヨーク」を実現した。
興味深いのは、このブラットン本部長のもとで94年から始めたコンピュータへのデータ入力が、現在のAIを使った予測捜査に活かされている点だ。結果論ではあるが、いち早くデータを活かした捜査方法を導入したことが、AIを使った予測捜査の開始に結びついたかたちだ。
では、LA市警はなぜ、AI捜査の最前線に出てくるようになったのだろうか。読者の中には、ロス疑惑(夫人暗殺の嫌疑)で話題を集めた三浦和義氏の留置所内での自殺(2008年)をLA市警察本部長が記者会見で説明したシーンを覚えている人もいるだろう。実は彼こそが、前NY市警察本部長のブラットンであった。
例えば犯罪率の高いLA市の77番街地区などでは、制服を脱いだ黒人警官が職務質問を受けるといったことが発生していた。真に安全な都市へ変化するためには、警官の訓練、ガイドラインの設定、きめ細かな監督が適切に行われる必要に迫られていたのである。
LA市警のトップとしての7年間、ブラットン本部長の辣腕(らつわん)ぶりはNY市警の時以上だったという。2000年代の景気拡大に伴って生活水準が向上するなか、LA市民の安全への要望が高まったこともあり、LA市警全体の統率は日に日に高まった。
ところで、AIを使った予測捜査とはどういうものか?
具体的には、逮捕歴、反社会的勢力との関係、保護観察歴、執行猶予歴、被職務質問歴と、将来の捜査に役立つと思われる事象のデータ(専門家はこれを「犯罪のビッグ・データ」と呼ぶ)をアルゴリズムで計算し、その結果を使うものである。LA市警の場合は33年間のデータを使っている。ちなみにNY市警では、1994年から「コンプスタット」のために進めたデータベース化を使って、予測捜査システム開発を全米で初めて実現できた。
個人については、これを社会保障番号に紐づけして犯罪に備える。米国では、従前から、殺人犯やレイプ犯など重犯罪者に対して、彼らが転居する地域に前もってそのことを報告する制度がある。地域の安全確保が目的であるが、AIを使った予測捜査の発想はこの延長線上と考えることも可能だ。
AIによる予測捜査は、こうした地域の特性も加味することができ、機械万能の発想、または人工知能が人間の知性を超える「シンギュラリティー」を信奉する発想の下では、犯罪発生の地域やパターンを予測して、犯罪防止の効果を上げるとともに、捜査時間や捜査に割く警官の数を縮小出来るメリットがある、ということになる。
しかし、その一方で、仮にシンギュラリティーが完ぺきになるべきものであったとしても、現段階ではまだ完全ではなく、また、データの作成と入力には人間の意思・判断が介在するため、そこには越えがたい壁があるかもしれない。
例えば、米国では、麻薬を吸ったことのある少年と、麻薬の売買に関与したことのある少年では、後者の方が遥かに厳しい罰を受けるが、それとてその少年を捕まえた警察官の届け出の仕方に左右される。一般に、麻薬を吸う少年は麻薬の売買も強制される場合が少なくないため、このような少年を救うのか、それとも厳しく罰するのか、というのは、法制度だけでなく、担当する警官の信条や容疑者への思いのようなものに左右されるからだ。
くわえて、それは危険とされた地域での発生か、安全とされた地域での発生かで、警官の扱いが違うとの報告もある。
ところが、一度データ入力されてしまえば(つまり、例えば、麻薬吸引だけなら5点、売買なら20点という風に)、その結果は、その少年の将来を大きく左右する。
未成年時の記録については、警官でさえ、犯罪歴を調べるために正当な理由と判事の許可を必要とする等の大変面倒なプロセスが必要だ。そのため、AIで点数化され、総合点を(悪い方に)押し上げると、具体例にアクセスできないまま、警官の意思の有無とは無関係にバイアスがかかるリスクがある。
犯罪予防とは別に、米国が目指している総犯罪件数引下げのためのもう一つの柱「犯罪者の更生への支援」という観点でみても、懸念は残る。
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