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日本を根底から変えた拉致問題とその後の17年

ロングセラー『「拉致」異論』の著者・太田昌国さんに聞く

樋口大二 朝日新聞記者

 北朝鮮に対して強硬一本槍だった安倍首相が突如、「前提条件なしの対話」をよびかけた。「拉致問題の解決は、安倍政権の最重要課題」としながらも、首相在任中、大きな進展は見られなかった。拉致問題も日朝国交正常化も、小泉首相の時代からほとんど前進していない。

 太田昌国著『「拉致」異論』は15年にわたって版を改めながら3度刊行されるという、時事的な評論集としては異色の経歴を持っている。太田さんは、2002年の小泉訪朝後、「拉致非難」一色に塗りつぶされて植民地支配の歴史を相殺してしまうような国内世論を批判する一方、それまで北朝鮮の拉致を認めてこなかった「左派」や「リベラル」の言論についても厳しい態度をとった。まず2003年7月に太田出版から刊行されたこの本は、初版5000部、4刷で8000部とこの種の本としては好調な売り上げを見せ、2008年には河出文庫として再刊された。さらに昨年、書き下ろしを加えた『増補決定版 「拉致」異論』が現代書館から刊行され現在も書店に並んでいる。初版から16年、「拉致問題」は日本をどう変えたのか。著者の太田さんに聞いた。(聞き手・樋口大二 朝日新聞記者)

評論家・編集者の太田昌国さん

太田昌国(おおた・まさくに) 評論家・編集者
1943年、北海道生まれ。東京外国語大学ロシア語科卒。「現代企画室」編集者として人文書を編集する一方、ラテンアメリカの革命運動や南北問題の研究、評論活動を続けている。著書に『さらば! 検索サイト: 太田昌国のぐるっと世界案内』、『〈脱・国家〉情況論: 抵抗のメモランダム2012-2015』、蓮池透氏との共著『拉致対論』など。

「左派」や「リベラル」は何を誤ったのか

――本来時事的な評論が15年以上も新刊書として版を重ねてきたというのは、あまりないケースですよね。では2003年に書かれた批評がいまだ通用するほど、拉致問題、日朝関係にかんする事態は動いてないということなのでしょうか。

 日朝政府間の関係が動かない一方で、この16年間で起きたことはやはり、日本社会の決定的な変化です。ある種の理想が体現した形であると長い間信じられてきた社会主義は、本当に無残な形で崩れた。理想主義の行き着いた極限の形をいや応なく見て、当然のことながら、どこで間違えたのかということ考え直さなければならなかった。しかし一般的には、社会主義があまりにもひどい間違いをくりかえした上での崩壊でしたから、うんざりした気分が蔓延していたと思うんですね。2003年の時点で社会主義の崩壊から10年あまりが経っていたけれど、その段階でもなお社会主義を掲げ、かつ日本が植民地支配をしていた国が拉致を行っていたことがわかった。そこで社会の保守化というか現状肯定が広がりました。

 下手な理想をかかげるよりも現状肯定でやっていくしかないんだ、という大きな流れが作られた。あんなことが社会主義なら、もうまっぴらだというのは、大衆的な感情としてはある意味当たり前のことですからね。

 そこにうまく出てきたのが安倍晋三氏です。彼は1993年が初当選で、小泉首相に随行して北朝鮮に行ったときはまだ議員として9年の経験しかない。それが自民党党内の権力構造のドラスティックな転換があって、安倍氏や中川昭一氏のような極右派が政権中枢に肉薄できるような状況になってしまった。2002年に北朝鮮問題で拉致一色に塗り込められたようなときに、北朝鮮に対する敵対性をもっとも政治的に表現したのが安倍氏で、自民党内というだけでなく、日本社会全体の中で一気に浮上したのです。それに乗っかってその後の15、6年というのがあったと思っています。

「『拉致』事件の事実の解明と責任追及に関する限り、前者(引用注:産経、文春、新潮、SAPIOなど)が正しく、後者(引用注:朝日、NHK、岩波、社民党、共産党など)が間違っていた、あるいは不十分であったこと。それが、誰の目にも明らかな、今日の基本的構図である。このことは『拉致』事件に限られることなく、すべての問題にまで及んで、この社会を根底から変える力を発揮するかもしれない」。(増補決定版『「拉致」異論』 152ページ)

――太田さんは、当時からこんな変化が起こることを予想されていたのでしょうか。

 ここまで具体的にこんな時代が来るとは思わなかった。このままの状況を許していたら、こうなるという予感はありました。でも実際には許すことはないだろうと思っていた。

――左派やリベラル派が拉致問題をきっかけに総崩れになり、結果世の中が変わってしまったとすれば、やはりそれらの人々の抵抗力というのは戦後、それなりに大きなものだったということでしょうか。

 それは左派の過大評価になるでしょうね。しかし日韓連帯とか日朝友好とか、どれほど社会に対する影響力がなかったとしても、やはりそうしたことに取り組んできた人の内部から、拉致問題が起きたときに、北朝鮮の体制を問う論議が起きてこなかった。あるいは、拉致はウソだ、でっち上げだとそれまで言ってきた人が、そこで何らかの姿勢を見せればよかったのですが、それも全くなかった。

――2002年以降、左派には挽回するチャンスはなかったのでしょうか。

 あのとき、目立った議論の中では、良心的な人であればあるほど、「拉致は確かにひどい犯罪だけれど、日本だって植民地支配で強制連行をした」というふうに相殺する論理をいう人が結構いたんです。でもそれは間違いなんです。両方とも国家犯罪として、両方を批判する方法を見つけなければダメだ。それが核心だったのですが、そこをあいまいにした議論が多すぎました。

「朝鮮人ハ皆殺シ」などのプラカードを掲げたヘイトデモが各地で頻発するようになった=2013年6月16日、東京都新宿区

「植民地支配の贖罪という呪縛」が解けた

――この本が出たのは2003年です。最初に書かれた動機は何だったのでしょう。

 もともとのきっかけは、2002年9月17日の日朝首脳会談、その晩からの報道ぶりをみて僕自身がとても危機感を感じたことです。

 拉致という北朝鮮の国家犯罪は確かにひどいものではあるのですが、翌日の新聞には「金正日自身が拉致を認めて謝罪したことを踏まえて交渉が開かれた。ようやく日本は『過去の植民地支配の贖罪』という呪縛から放たれ、拉致問題解決に本気の姿勢で臨むことができた」という家族会のメンバーの言葉が載りました。「今までは植民地支配のことを言われて肩身の狭い思いをしていたけれど、これで

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