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「イスラム国がモザンビークを攻撃」の衝撃(中)

攻撃の背景に関する四つの分析

舩田クラーセンさやか 国際関係学博士、明治学院大学国際平和研究所研究員

①国際的なジハード運動との繋がり--「広域東アフリカ地域」の重要性

拡大小倉充夫・舩田クラーセンさやか 『解放と暴力—植民地支配とアフリカの現在』(東京大学出版会)より
 CSIS会議の登壇者のほぼ全員が重視したのが①であった。襲撃の背景に、東アフリカ地域のムスリム間の国境を越えた宗教的・人的ネットワークがある、との指摘である。

 攻撃をリードする主体として、外部者と内部者のいずれを重視するかについては違いが見られるものの、地元社会に外からの働きかけに呼応する土壌が育まれていたことについて、元米国大使ですら見解の一致を示した点は注目に値する。

 元米国大使ディーン・ピットマンは、タンザニアとの国境地帯の「緩い」状態、人口増などから若者の期待が満たされず、過激派が入り込みやすい土壌が生まれており、警戒が必要との立場を示した。その上で、通常、南部アフリカ地域内に位置づけられるが、モザンビークの北部には東アフリカの近隣諸国との共通点が多く、北部は「東アフリカ地域の一部」として捉えるべきである、と主張した。

 筆者もこの考えに賛成である。

 これまで筆者は、モザンビーク北部を、インド洋沿岸部から内陸部にかけてのムスリム地域を包含する広域の東アフリカ地域の一部として捉え、その社会政治変動を分析する重要性を指摘してきた。この「広域東アフリカ地域」は、ケニア、タンザニア、ウガンダに加え、ソマリア、ルワンダ・ブルンディ、コンゴ民東部、マラウイ、ザンビア北東部、モザンビーク北部を包む。

 この地域は、植民地時代には英国、ドイツ、ベルギー、ポルトガルなど、異なる宗主国によって統治されたが、住民間の血縁・宗教的な人的ネットワークは各植民地領を越えて生成し続けた。とりわけ、1950-60年代には、これらのネットワークが交差する形で、各地の植民地解放運動が進められている。

注)舩田クラーセンさやか『モザンビーク解放闘争史——「統一」と「分裂」の起源を求めて』(御茶の水書房、2007年)、小倉充夫・舩田クラーセンさやか『解放と暴力——アフリカにおける植民地支配と現在』(東京大学出版会、2018年)

 冷戦期でもあったこの時代、このネットワークについては、多くの諜報機関が関心を寄せた。もっとも熱心だったのが、モザンビークの宗主国ポルトガルである。同国の秘密警察は、のちに激しい植民地戦争の最前線となるモザンビーク北部の住民の動向を明らかにするため、文化人類学者を雇い、大規模な調査を行った。

 筆者は1990年代、ポルトガルの秘密警察文書をもとに、この調査の検証を試みた。その結果、1960年代のモザンビーク北部のムスリム・ネットワークが、ザンジバルとタンガニーカを自由に行き来するものであったばかりか、メッカまで伸びていたことが明らかになった。そして、独立後も人の往来が継続していたことも確認できた。

 したがって、現在モザンビークの北部で生じつつある事態を、地理的かつ歴史的な広がりの中で捉えるのであれば、ピットマン元大使の主張は妥当なものであり、「広域東アフリカ地域」を分析枠組みとする必要がある。

 続く登壇者のリアザット・ボナーテ博士(West Indies大学)もまた、この地域がインド洋沿岸はもとより、中東・紅海から遮断された地域ではないことを宗教的・歴史的側面から説明した。その上で、1998年の(ケニアと)タンザニアでの米国大使館襲撃事件、アル・カイーダの存在、2001年の世界貿易センターの攻撃が、モザンビークのムスリムの間でも身近な話題となっていたことを紹介している。

 さらに、ユスフ・アダモ教授(エドゥアルド・モンドラーネ大学)は、次の二つの重要な情報を提供した。つまり、カーボ・デルガード州(モシンボア郡)出身者が、1993年にソマリアで戦死するなど、本稿でいうところの「広域東アフリカ地域」のジハードに参加している事実。100名近くのモザンビークのムスリムが、色々な国の「ジハード」に参加しているとの政府高官の談話である。

 また、アフリカ各地で「ジハード運動」を調査してきた米国NGOのグレゴリー・ピリオ博士(Empowering Communications)は、カーボ・デルガード州内陸部(モンテプエス郡)から若者がソマリアに派遣され、自家製爆弾やIED(即席爆発装置)の製造法などを学んでいると述べた。

 以上から、モザンビーク北部が「広域東アフリカ地域」に広がるジハード運動の一部に組み込まれていることが明らかになりつつあるといえる。

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筆者

舩田クラーセンさやか

舩田クラーセンさやか(ふなだクラーセンさやか) 国際関係学博士、明治学院大学国際平和研究所研究員

京都生まれ。国際関係学博士(津田塾大学)。1994年にモザンビークにて平和維持活動(UNMOZ)に参加し、パレスチナとボスニア・ヘルツェゴビナなどで政府派遣要員として紛争後の民主選挙の監視に関わった。その後、研究活動を進め、2004年から2015年まで、東京外国語大学にて「戦争と平和学」「アフリカ研究」「国際開発・協力」などの教育に携わる。その後、研究の軸足を「食と農」に移すとともに日本内外で市民社会の活動にも積極的に関わっている。著書に「モザンビーク解放闘争史〜「統一」と「分裂」の起源を求めて」(御茶の水書房)、The Origins of War in Mozambique (African Minds)、共著に「解放と暴力〜アフリカにおける植民地支配と現在」(東京大学出版会)、The Japanese in Latin America(Illinois University Press)、編著に「アフリカ学入門」(明石書店)、訳書に「国境を越える農民運動〜草の根が変えるダイナミズム」(明石書店)。 ブログ:https://afriqclass.exblog.jp/ ツイッター:https://twitter.com/sayakafc

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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