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香港が問いかける中国共産党のレゾンデートル

「逃亡犯引き渡し条例」改正反対デモの歴史的位置(2)

丸川哲史 明治大学教授

拡大逃亡犯条例撤回を求めるデモ=2019年7月7日

経済都市の「焦り」

 先日、「論座」に書かせていただいた論考(「香港の若者を駆り立てる「出口」のなさ」)を読み直しながら、筆者はもう一度、デモが最高潮を迎えていた6月中旬ころの香港の新聞を読み返す中で、このデモ運動の歴史的位置の確定に関して、さらに経済の視角からも議論すべきと判断し、再び筆を執らせていただいた。

 香港人は近年、政治的なアクションを採ることが多く、世界の注目を浴びているのだが、2000年代以前においては、実は全く政治的ではないイメージが強かった。言わずもがなのことだが、香港人はそれまでずっとエコノミック・アニマルと考えられて来た。さらに言うと、主に大陸からの移民を引き寄せながら繁栄して来た、香港とはそのような経済都市であった。

 デモが最高潮を迎えつつあった6月中旬の時期、デモの記事とともに目を引かれたのは、主に金融(投資)や不動産業にかかわるニュースであった。特に興味深く思えたのは、6月13日(または14日)までとしていた九龍・啓徳にある宅地の競売にかかわる入札締め切りを延期した、との香港政庁の発表である。香港政庁はこの決定について、大規模デモで道路が封鎖されたためとしている。ただ、実際には、もっと大きな「混乱」を避ける意味も含まれていた、と考えられる。

 直接的な意味合いで言うならば、不動産価格の動揺であり、「入札」は直にその影響を受けるからである。「逃犯条例」にかかわる問題は単なる法的なイシューではなく、香港の経済的存立を脅かす「恐れ」としても意識されていたのだ。

 その意味はこうである。「逃犯条例」が可決されてしまった場合に、さらに香港が大陸中央政府の強い統制下におかれるのではないかという恐れ、そしてもう一つは「逃犯条例」の可決によって、さらにデモが過激化し、収拾のつかなくなるほどの騒乱状態が起こってしまうことへの恐れ――この二つの恐れである。

 ところで、この大規模デモを強力に言論の立場から支援していたメディアとして『蘋果日報(デイリー・アップル)』が挙げられる。日ごろは娯楽やスキャンダルなどの三面記事で売っている、センセーショナリズムを基調とした大衆紙である。『蘋果日報』の方向性は大まかには、「小さい政府、市場重視」にあり、香港人の一般的風潮を代表する新聞とも言える。

 その一方で、着実な経済分析を頻繁に載せていたのが『香港経済日報』などの経済関連の新聞であった。方向性としては「穏健民主派」と呼ばれている。「逃反条例」が可決された場合に関して、不動産価格が二割から三割下落するであろう、また株価もいずれにせよ大幅に下がるであろう――と、そのような香港経済の落ち込みを危惧する論調が目立っていた。

 さらにネット上の声をいろいろ探っている中で,上記のこととリンクする頻繁に出て来る「噂」があった。すなわち、学生たちのデモに対して地元の不動産業者、金融業者が新聞メディアを通じてデモの方向性を誘導しているのではないか、という指摘である。筆者は、このことの真偽を問わないし、このことの真偽を確かめること自体には関心を持たない。この「噂」はむしろ、一つの徴候として捉えるべきだと思う。すなわち筆者は、前回と同様に、香港市民の間に漂う曖昧かつ不安な歴史感覚に焦点を絞ってみたいということ。28年後にやって来る「一国二制度」の終了という時間の枠の中で現れる「焦り」に焦点を合わせることである。

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筆者

丸川哲史

丸川哲史(まるかわ・てつし) 明治大学教授

1963年和歌山県生まれ。明治大学政治経済学部/同大学大学院教養デザイン研究科教授。一橋大学大学院言語社会研究科博士課程修了。専攻は東アジアの思想・文化。著書に『台湾、ポストコロニアルの身体』(青土社)、『中国ナショナリズム――もう一つの近代を読む』(法律文化社)、訳書に汪暉著『世界史のなかの世界――文明の対話、政治の終焉、システムを越えた社会』(青土社)など多数。