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近ごろの政治家はなぜ「遺憾」を口にするのか?

政権、批判者、政治無関心層の利害が均衡する「構図」にひそむ無責任な政治

佐藤信 東京都立大学法学部准教授(現代日本政治担当)

問題の焦点は一党優位のもとでの官僚統制

 政治家が官僚機構の作動の責任をとる政官関係が確立されていれば、官僚機構の機能不全は政権の責任となり、国民は政権交代を通じて官僚機構の機能不全を咎めることができる。そしてまた、このチェック機能を意識すればこそ、政権も官僚機構のよりよい作動のために務めるだろう。

 ところが、現在の政権運営では別の均衡点が生じている。

 官僚機構にとって一定のダメージとなることが想定されるがゆえに、官僚機構が自らの欠点を隠そうとするだけではなく、政権にとってもこれを隠すことが望ましい選択となる。いざ官僚機構の機能不全が明るみに出ると、自衛隊日報問題のように隠ぺいを図ることは得策にならないことがわかってきたので、財務次官のセクハラ疑惑に対する麻生蔵相の木で鼻をくくったような対応、統計不正での厚労相の対応のように、むしろ官僚の側の問題と突き放すようになった。政権の問題ではないとダメージを管理するためである。

 要は、政治主導の主流化が、逆説的に政官関係に懸隔を生み出し、責任関係の不明確を招いている。

 こうした奇妙な事態の前提となっているのは、自民党の一党優位のもとの安定的な自公連立である。

 政権交代が予見されるなら、機能不全の隠ぺいは近い将来暴かれる虞(おそれ)があるので、これを公表するインセンティブが働く。公表するにあたって、官僚に責任をなすりつければ、官僚は次の政権を見据えて野党に協力するかもしれないし(まさに民主党政権で生じたことである)、また国民の支持も野党に靡(なび)くであろう。

 ところが、一党優位のもとではこのメカニズムが働かない。しかも、官僚は政権交代を予見できないうえ、人事を政権に握られていて反抗することは難しい。それで官僚に責任を押し付けるような対応をしても、国民はその対応には不満でも(2月半ばの朝日新聞の世論調査では「真相解明への政権への対応は適切ではない」とするのは61%)、代わりうる政権担当能力を持った政党がないので、政権へのダメージにならない(同世論調査における内閣不支持率は前月と同じ38%)。言うまでもなく、今回の参議院選挙でもこの筋に沿った選挙結果が予想されている。

責任を曖昧にする「落としどころ」

 「遺憾」という言葉は、第三者の責任であるかのように聞こえ、無責任な印象を与えるため、謝罪記者会見などでは忌避される。しかし、政権有力者にとっては、その語を使うことが不利にならない、むしろ有利になる政治状況が現前しているのである。

 こうした「遺憾」という表現を用いて責任を転嫁したり、その在所を曖昧にしたりする手法は、一義的にはそれをする政権の問題であろう。しかし、このような手法を、わたしたちも日常生活のなかでしばしば目にする。自分が可愛い人にとって、とりわけ他者から評価される立場にある人にとって、常に誘引される、合理的な行動であろう。

 だから、それをチェックするのは、彼/彼女たちを信任する国民の、そしてチェックする役割を託された野党の役割である。ところが、とりわけ責任の所在を問うフェイズで、野党はしばしば問題を「アベ」と直結しようと試みてきた。森友問題、加計問題がそうであったし、個別の閣僚の問題発言についても、総理大臣の任命責任を問うてきた。あくまで総理大臣の、また彼の内閣の総辞職を期待し続けてきたのである。

 それゆえに、その総理大臣が「遺憾」と述べれば、また述べていると伝聞すれば、(さらなる追及はあるにせよ)自分たちの殊勲であるかのように、鬼の首を取ったかのように、それを誇って政権批判を繰り返してきた。

 こうして政権有力者が発する「遺憾」という語は、批判者にとっても便利な言葉だ。

 いわば各アクターが共同して、責任を曖昧(あいまい)にする「落としどころ」を発見したのである。

拡大High Mountain/shutterstock.com

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筆者

佐藤信

佐藤信(さとう・しん) 東京都立大学法学部准教授(現代日本政治担当)

1988年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士後期課程中途退学。博士(学術)。東京大学先端科学技術研究センター助教を経て、2020年より 現職。専門は現代日本政治・日本政治外交史。著書に『鈴木茂三郎 1893-1970』(藤原書店)、『60年代のリアル』(ミネルヴァ書房)、『日本婚活思想史序説』(東洋経済新報社)、『近代日本の統治と空間』(東京大学出版会、近刊)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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