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近ごろの政治家はなぜ「遺憾」を口にするのか?

政権、批判者、政治無関心層の利害が均衡する「構図」にひそむ無責任な政治

佐藤信 東京大学先端科学技術研究センター助教

拡大Niyazz/shutterstock.com

昨今の政治状況を映す「遺憾」

 2019年6月28日、G20大阪サミットの夕食会で、安倍総理大臣が大阪城復元にあたってエレベーターをつけたことを「大きなミス」と述べたことに対して、バリアフリーの観点から批判が続出した。

 この批判について、菅義偉官房長官はその記者会見で「批判されるようなものではない」と反論したが、自民党の萩生田光一幹事長代行は総理との会談を受けて総理が「取りようによっては、障害者やお年寄りに不自由があってもしかたがないと聞こえるもので遺憾だ」と述べたと明らかにした。

 この「遺憾」という言葉、近年、政権有力者の発言としてしばしば聞かれる。あまりに耳慣れていてもはや気にも留めないが、本来、心残り、残念を指す言葉で、謝罪を示すものではない。自分自身について使うこともあるが、第三者の問題について使うことが一般的であろう。

 最近でも6月19日、韓国元徴用工訴訟をめぐって韓国側が仲裁委員会の任命を行わなかったのに対して菅官房長官が「遺憾」と述べ、また同21日、ロシア軍の爆撃機が日本領空を侵犯したことについて岩屋毅防衛相が「甚だ遺憾」と述べた。

 ところが、最近、政権有力者がこれを自身や政権の行動に関してもしばしば使うとすれば、そこには実は現今の政治状況が反映されているのではないか。ここでは統計不正問題を皮切りにこの問題について考えてみたい。

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筆者

佐藤信

佐藤信(さとう・しん) 東京大学先端科学技術研究センター助教

1988年、奈良県生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士後期課程中途退学。著書に『鈴木茂三郎 1893-1970』(藤原書店)、『60年代のリアル』(ミネルヴァ書房)、共編著に『政権交代を超えて』(岩波書店)がある。