山本章子(やまもと・あきこ) 琉球大学准教授
1979年北海道生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。2020年4月から現職。著書に『米国と日米安保条約改定ー沖縄・基地・同盟』(吉田書店、2017年)、『米国アウトサイダー大統領ー世界を揺さぶる「異端」の政治家たち』(朝日選書、2017年)、『日米地位協定ー在日米軍と「同盟」の70年』(中公新書、2019年)など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
衆参同日選を初めて断行した大平首相はなぜ消費税導入を目指したのか
まず、大平氏が首相になった1978年当時、日本政府が直面していた財政赤字の問題を概観する。
大平氏が消費税導入を目指したのは、彼が三木赳夫内閣の大蔵大臣だった1975年に、第1次石油危機で落ち込んだ景気への対応策として、建設国債に加えて、いわゆる「赤字国債」と呼ばれる、特例公債を初めて発行したことへの責任感だとされる。1970年代末までに、国債依存度は20%を超えていた。
赤字国債の増大は深刻な歳入不足に由来していた。その原因は、第1次石油危機よりもむしろ、田中角栄内閣が1973年に「福祉元年」とめいうって、70歳以上の医療費無料化や、年金スライド制などを実現したことにある。
社会保障関係費の増大は、政府の支出の大きい比率を占めるようになり、大幅な歳入不足を招く。自民党が、業界団体の要求に応じて社会保障関係費の支出を増やしていったことが、歳入不足と赤字国債依存をさらに悪化させた。1970年代半ばから、国会は、自民党の議席数が過半数を超えるものの安定多数を下回る、与野党伯仲の状態にあった。これを乗り切るため、自民党は、「バラマキ」政治に走ったのである。
他方、サラリーマンを中心に、有権者の間には税の徴収の不公平に対する強い不満が存在していた。「9・6・4(クロヨン)」もしくは「10・5・3(トウゴウサン)」といわれる、会社員などの給与所得者ばかりが、税の徴収を厳しく管理されている問題である。
給与所得者は、一般に給与から自動的に税金が天引きされる源泉徴収によって所得税などが納付されている。そのため、所得の9割以上が税務当局に捕捉される。これに対し、自営業者などの事業所得者の場合、所得捕捉は収入の約6割、農業所得者の場合、約4割に過ぎないといわれていた。これがクロヨンであり、給与所得者の不公平性はもっと高いという、トウゴウサン説もあった。
折しも、1971年から米の「減反政策」が始まり、稲作の他の農作物への転作を行った米農家には、田の減反10アールにつき、1万5000円の補助金が支給されていた。毎年夏になると、農協の代表団が自民党本部前に大挙して押しかけ、「米価闘争」を展開。自民党「農林族」議員が、激励に駆けつけ、「皆さんの要求実現に全力を尽くしてまいります」と決意表明する光景は、農業所得者が優遇されているというサラリーマンの不満を一層強めた。