『風をつかまえた少年』が8年間ぶれなかったわけ
英語の教科書にも出てくる原作者。14歳の少年なぜイノベーションを起こせたのか?
岩崎賢一 朝日新聞バーティカルメディア・エディター

『風をつかまえた少年』
8月2日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館他全国順次公開
© 2018 BOY WHO LTD / BRITISH BROADCASTING CORPORATION / THE BRITISH FILM INSTITUTE / PARTICIPANT MEDIA, LLC
【配給】ロングライド
この映画は、干ばつのトウモロコシ畑で倒れた男の死から始まる。
舞台は、2000年代初頭のアフリカのマラウイ。
そこで生まれ育ったウィリアム・カムクワンバさん(31)が実際に経験したことをつづったノンフィクションをもとに作られた映画『風をつかまえた少年』を見ると、二つの印象的な言葉が脳裏に焼き付いた。
「民主主義は輸入した野菜と同じだ。すぐ腐る」
「いつになれば失うことがなくなるの?」
最初の言葉は、大干ばつ下で、カムクワンバさんの父親が大統領支持派の様子を見て言った言葉だ。後の言葉は、映画の終盤、1日1食しか食べられない状況になったとき、母親が父親に涙を流しながら言った言葉だ。
2時間弱の映画は、中学校を中退せざるを得なくなったカムクワンバさんが、苦難を乗り越え、家族のため、村のために、独学で風力発電を学び、廃品から風車による発電装置を作り上げ、乾期で地面がかちかちの大地に水が流れていくまでを描いている。

中学生の英語の教科書『NEW CROWN』にも、カムクワンバさんの少年時代のチャレンジが紹介されている
中学生の英語の教科書『NEW CROWN』にも、カムクワンバさんの少年時代のチャレンジが紹介され、世界各国で出版された絵本や著書で知る人も多いだろう。
カムクワンバさんの来日時に、インタビューをする機会を得た私は、まず、このことを尋ねてみた。
目的は風車を作ることでなく、飢饉を防ぐことだったから折れなかった
――この映画は、見る日本人たちに何か自分もできるのではないかという、ちょっとの勇気を与えてくれると感じました。しかし、映画配給会社の資料を読むと、実は2002年に学費が払えず中等学校を中退し、村にあったNPO寄付の図書館で出会った一冊の本「USING ENERGY」を出発点にして独学で学び、この年に1基目の風車を完成させています。ただ、畑に井戸水を供給する風車ができたのは4基目の2008年です。非常に長い時間がかかっています。それを知ったとき、私たちは膨大な時間をどうやって乗り越えられたのか、日本人なら立ちすくんでしまうことをなぜ成し遂げられたのか、知りたくなりました。
井戸水をくみ上げる風車を作りたがったのですが、材料がなくて最初は発電をする風車になりました。もともと私はラジオとか機械の仕組みに興味がありました。電池2本のラジオでも、切れた電池を8個つなげれば残ったわずかなエネルギーでラジオを聴くことができます。2007年、国際会議「TED Global 2007」に呼ばれて片言の英語でスピーチした際、周りの方々から「どんなことを支援すればいいですか?」という質問を受けました。そのとき、「もっと風車を作りたい」、「水をくみ上げる風車を作りたい」と言ったら、力添えをしてくれる人が出てきました。だから、乾いた大地に水をくみ上げるまで、数年かかったかもしれないですが、できたのです。
そこまで乗り越えられた、やり続けることができた原動力は、中学校を学費が払えなくて中退せざるをえなくなった飢饉でした。食べるものがない。自分たちの地域では農業は雨期に依存しすぎていて一毛作でした。干ばつにも大雨にも左右されない解決法がないか、ソリューションがないかと考え、風車をつくろうと思ったのです。飢饉の解決が目的だったので、ぶれることはありませんでした。

インタビューの答えるウィリアム・カムクワンバさん