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「親米自立」を模索するEUのグローバル戦略 下

「自立」と「同盟」は矛盾しない――問われる「外交見識」

渡邊啓貴 帝京大学教授、東京外国語大学名誉教授(ヨーロッパ政治外交、国際関係論) 

EU首脳会議の会場に到着したフランスのマクロン大統領=3月21日、ブリュッセル、津阪直樹撮影

EU共通防衛構築の道程

 米欧同盟が一筋縄でいかないことについてはすでに述べたが、そうした中で「ブラント外交」に見たように、自立外交を模索することは不可能なことではない。日ごろあまり語られないので、やや教科書的な知識も含まれるが、欧州防衛の道程と意義についてあらためて考えてみよう。

 1950年代前半、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)設立に前後して欧州政治共同体(EPC)と欧州防衛共同体(EDC)の構想が提唱された。ECSCという経済的な協力だけでなく、「一つの政府」という究極の目標を目指したいわば「政治統合」に向けたプロセスだった。しかしEPCもEDCも挫折した。後者はフランスが提唱しながら、54年にフランス国民議会で自らその条約の批准を拒否してしまった。その後ふたたびフランスは「プレヴァン・プラン」と呼ばれた政治統合の試みを提唱したが、今度はフランスの突出を懸念したベルギーなどが反対してその企図は挫折した。政治的統合には時期尚早だった。国境が失われて「ひとつの政府」になるという発想はヨーロッパの人達にとっても現実的なものとはまだ思えなかったからである。

 そうした中で、ようやく70年に「欧州政治協力(EPC、先の欧州政治共同体とは異なる)」が発足したが、これは各国に拘束力をもたない政府間協力という紳士協定(拘束力のある条約ではない。協定内容には拘束力がない)だった。この協定は安全保障・防衛分野には直接コミットしないことを前提に、政治分野での協力の発展を目的としており、CSCE(本稿「上」に既出、全欧安保協力会議)や「ユーロ・アラブ対話」の準備に有効な役割を果たした。後者にはオイル・ショック直後の原油問題をヨーロッパが単独で解決しようという狙いが明瞭だった。中東の資源に強い利害関係を有するアメリカはこれに反発したが、ヨーロッパの独断専行のように見えたからである。

 こうした欧州の姿勢が大きく発展したのは冷戦終結後の92年に調印されたマーストリヒト条約であった。「政治協力(EPC)」は外交・安全保障分野にまで拡大(共通外交・安全保障政策CFSP)した。政治統合の大きな前進だったが、防衛分野での協力にまではまだ至らなかった。当時ドロール欧州委員長は、「共通防衛政策が実現しなければ真の共通安全保障政策とはいえない」と心情を漏らしていた。

 しかし当時も各国間の軍事協力がなかったわけではなかった。冷戦時代末期、独仏は合同旅団の設立で合意し、それは91年に発足、この独仏旅団を中心にしてベルギー・スペイン・イタリアなどが加わり94年には「欧州統合軍(実際には部隊規模)」が成立して、その一部としてではあったが、ドイツ軍がパリのシャンゼリゼ通りを行進したときには、かつてナチスドイツに国土の三分の二を占領されたフランス人の複雑な気持ちは隠せなかった。

 その後防衛分野の協力にEUが大きく舵を切ったのは、98年に英仏合意(サンマロ合意)で親NATO派(大西洋派、欧州の自立的防衛には消極的立場)であるイギリスが欧州共通防衛政策に積極姿勢を示したからだった(ブレア・イニシアティブ)。翌年共通防衛政策(ESDP)が本格的に開始され、2003年にはボスニアやコンゴに初めてEUは共同で軍事部隊を送った。2009年のリスポン条約ではこの共通防衛政策の更なる発展が明記されたが(CSDP)、この部隊はEUという枠組みの常設軍ではない。アドホックな多国籍軍である。

 こうしてトランプ大統領誕生による米欧安全保障協力が不安定化する中で、先に述べた2017年末に「欧州防衛協力常設枠組み(PESCO)」の発足が決定した。いよいよEUが「常備軍」を発足させることを意味したのである。

「欧州防衛協力常設枠組み(PESCO)」設立の背景、欧州の不安

 PESCO設立の背景には一言で言って欧州を取り巻く不安な国際環境がある。まずヨーロッパの軍事的非力と脆弱さである。冷戦後、旧ユーゴスラヴィア紛争、とりわけコソボ紛争や英仏のリビア空爆、マリへの侵攻などはヨーロッパ単独での対応には限界があった。ロシアのウクライナへの軍事的関与やクリミア半島の占領に対してヨーロッパは無力を露呈した。あまつさえ、イギリスのブレグジットや仏大統領選挙の際にロシアからの直接間接的介入があったことは、ロシアの脅威を印象付けた。とりわけウクライナでの「ハイブリッド戦術(サイバー攻撃を含む多様な攪乱戦法)」やフェイクニュースの操作などはヨーロッパに大きな危機感を与えている。

 第二に、トランプ政権の誕生である。選挙キャンペーン中からNATOの予算負担の不均衡を指摘、ヨーロッパ同盟国の負担強化(国内総生産の2%以上の予算貢献)を提唱し、それが実現しなければアメリカはヨーロッパ防衛から撤退すると主張していたからである。

 2017年末のPESCO創設の急速な合意の背景には、同年5月のNATO首脳会議でトランプ大統領が欧州加盟国に対して軍事支出の増額を強く迫ったことに対する反発があったという指摘もある。16年トランプ大統領誕生が決定した直後、EU首脳会議でメルケルは、欧州防衛の強化とそのためのドイツの役割の大きさを強調した。表向きにはウクライナ紛争に見られるロシアの脅威が強調されるするが、個人的にはプーチンとの相性が良いこともトランプ政権への不信感を醸成している。

 そして第三に、イギリスのEU離脱が欧州の軍事的自立を加速化させた。常設軍設立に消極的だが、軍事的にヨーロッパの強国であり、防衛協力には不可欠なイギリスの離脱はEUにとって戦力の大きな後退を意味するからである。共通防衛政策の発展は喫緊事項となったのだ。

「親米自立」――EUのグローバル戦略

 しかしEUの安全保障・防衛戦略といっても、それは戦争のための軍事戦略を意味するわけではない。冷戦後国連が打ち出してきた一連の紛争予防と平和復興のための文民活動を含む広範な活動を指している。一口で言えば、総合的な危機管理能力だ。自衛隊の活動の多くの部分がそれには重なっている。

 共通防衛政策の理念ともいうべき「EU戦略」は「9.11テロ」をきっかけに大きく発展した。テロに対する危機感が世界中で増幅される中で、2003年末のEU首脳会議で、ソラナ・共通外交安全保障政策上級代表は『より善い世界における安全なヨーロッパ----ヨーロッパ安全保障戦略〔ソラナ報告〕』を発表した。EUはある程度の軍装備を擁しつつ、その機能としては平和維持や復興支援に重きを置いたスタンスを模索し始めたのである。

 この報告はEUが発表した初めての独自の安全保障戦略だった。ソラナは、EUが「世界における戦略的なパートナー」の役割を果たすと同時に、多国間協力を重視し、ブッシュ政権の単独主義を拒否した。そしてグローバルな脅威に備えて、「予防(プリベンティブ)外交」を強調した。予防措置は情報、警察、法律、軍事、その他のさまざまな分野にまで及び、そのうえ「早期の迅速な、そして必要な場合には強硬な介入を育成していく《戦略文化》を発達させる」と説き、ヨーロッパの安全保障面での国際貢献を喚起しようとしたのである。

 その後2004年9月に発表されたEUの「人間の安全保障」ドクトリンではさらに新たな方向性が示された。それは

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