課題設定がきちんと行われなかった選挙戦。不安を抱えながら漂う社会が続いていく……
2019年07月22日
参議院選挙が終わりました。そもそも政権選択の選挙ではないという性格もあるのですが、それ以上にかつてとは異なる「徒労感」が漂っていることを、まずは告白しなければなりません。
日本政治を振り返れば、この30年は、既得権益打破の権力闘争や、政治改革、野党の栄枯盛衰ともりだくさんの動きがある時代でした。自民党に代表されるアンシャン・レジームの破壊、官僚主導から政治主導へ等々、かつて日本に存在した「希望」は、いずれも「破壊」とセットでした。
しかし、2010年代以降、世界が激動の時代に突入するのと時を同じくして、日本政治は奇妙な安定期に入っていきます。改革や破壊の動きが一巡した結果、日本人の多くにとって、もはや破壊は希望たりえなくなったのです。
こうした状況について、安倍晋三政権がどうとか、自民党がどうとか、政治家の質を問題視する議論に結び付ける向きは強いでしょうが、私はもう少し根深い問題ではないかと思っています。それは、日本全体からいまや「変化」や「何かを打破すること」に対する希望が失われているということです。
安倍政権がスタートした2012年からも、日本政治には様々な希望がありました。震災からの復興、構造改革、改憲、人それぞれではありますが、さまざまな希望を日本社会は抱いていた。それがすでに食いつぶされ、年老いた社会へ移行したのではないか、と思うのです。
そのかわりに、変わらない日本社会に対するフラストレーションは、日々のワイドショー的話題に向けられ、解消されていきます。しかし、日本社会を象徴する体質への批判は、いったん盛り上がってもすぐに流れていってしまう。選挙もワイドショーでのニュース炎上も、既存の秩序を維持するための「ガス抜き」として機能しているのではないかと思われます。
課題設定とは、「日本の優先順位はこれである」という意思表明であり、それこそが政治の本質です。そのうえで、国会の勢力図や与党内の勢力図に基づいて、優先順位の高い課題を解決するための落としどころ、答えを探っていくべきものです。
日本には優先して取り組むべき課題がいくつかあります。大手メディアは、年金、憲法、消費税が争点という報じ方をしていましたが、それだけだと不十分な表現でしょう。たとえば消費税をどうするかというのは、与野党できれいに立場が分かれているということにすぎません。本当に消費税の是非が争われたのかと言えば、実はそうでもないからです。
年金問題はどうか。年金を含めた社会保障問題が重要な課題であることは論をまちません。日本社会の高齢化は他国に先駆けて進行し、人類が経験したことのない水準に達しつつあります。現役世代の負担が増し、年金や医療、介護の水準を切り下げざるを得ないなかで、どの水準が譲れないナショナルミニマムなのかという観点から、徹底的な議論が必要でしょう。
社会保障問題では、年金の持続可能性と世代間の公平性が、本来は子孫の繁栄を願うべき保守によって軽視され、他方で野党の多くは老後資金の自己負担を減らす方策についての具体策が不明なままです。また、その自己負担減が、どれほどの財産家、所得帯にまで適用されるのかという死活的な問いにも答えが与えられていません。
憲法はさすがにしっかりとした争点だろう、という人は少なくないと思います。でも、本当にそうでしょうか。自民党の多くの議員は、憲法を主張の根幹部分にはしていません。野党も安倍政権下での改憲への恐怖をあおる一方で、改憲をめぐる具体案を示していません。要するに、憲法も、「一応争点にしたよ」という程度の扱いしかされていないのです。
今回の選挙結果は結局、安倍政権をどれほど信任するかという、漠然とした意味合いにならざるをえません。そこで与党が勝利した以上、新たな課題に目が向けられたわけでもなければ、課題解決に向けた新たな方策の優劣を競った効果もなかった、ということになります。ほぼすべての党が、少子化対策、教育充実、生活者目線重視、年金の安心、経済成長を掲げた以上、どの分野でよりドラスティックな改革を行うというマンデートにもなりえません。
このような日本政治の奇妙な安定は、政治が相も変わらず安保・憲法をめぐる分断を軸として展開しているからに他なりません。しかもそれは、「トランプさんの無体な要求にどう対処するか」「米中貿易戦争が覇権競争に発展するなかでどのような方策を取るか」といった具体的な議論ではなくて、漠然とした価値観の分断をめぐる対立です。
日本の有権者の投票行動を分析すると、他国のように所得階層によって政党支持を説明するのは難しい。私が主宰する山猫総研の調べによると、2017年衆院選の比例代表で、自民党と立憲民主党はいずれも幅広い所得階層から支持を得ていました。安保・憲法は価値観やイデオロギーなので、経済階層とはかかわりがないのです。
安保や憲法の問題は、選挙のたびに正面から争点として打ち出されはしません。しかし、安保や憲法が選挙で重要な論点でないのかと言うとそうではない。無党派層がどのようにして投票する政党を選んでいるかを見れば、違いが際立つのはやはり安保・憲法だからです。
すなわち、他の政策よりも政党支持や投票行動を左右しやすいのが、安保・憲法に対する考え方なのです。具体的には、安保法制、同盟強化の必要性などに賛成と答える人ほど、自民党に投票する傾向にあります。このいわば安保リアリスト派が優勢である限りは、政府与党の優勢は揺らぎません。
これまでいくつかの選挙で、野党が安保・憲法をあえて持ち出さず、他の争点で投票してもらおうと試みたことがありました。それは、自民党を割った小沢一郎が1993年衆院選でとった戦略であり、2009年衆院選では民主党が「政権交代」そのものを争点にして勝利をおさめました。かつてのみんなの党、日本維新の会も、国内問題である構造改革を掲げて支持を獲得、躍進しました。
これは安保で戦わないことで、経済に対する不満票を幅広く取り込もうとする戦略として理解できますが、結果としては立憲民主党の票を食うにとどまったのではないでしょうか。安保を争点化しない経済階層に即した動員がどれだけの得票を得られたのか、今回の選挙結果をあらためて検討する必要があるでしょう。
しかしながら、ここまで述べてきた安保・憲法問題は、言ってみれば大本のイデオロギーであり、政策とは言えません。今回、どの政党の主張を見ても、戦後日本の平和と繁栄を担保してきた戦後秩序が、ほかならぬ同盟国の大統領の発言によって揺さぶられる時代にどのような方針を取るのかは見えてきません。それどころか、過去の政策の総括すらできていないのではないかと思わされます。
思い出してください。2017年の衆院選では、北朝鮮に圧力をかけ核放棄を促す路線への賛否が問われたはずです。あれからわずか1年半の間に、北朝鮮をめぐる状況も変化しました。外交問題の懸案は、北朝鮮よりも同盟維持と米中関係をめぐる論点に移行しています。今年に入ってからの日韓関係の悪化も本来は重要なはずですが、野党は政権の方針に対するロジック上の微修正に主張をとどめています。
与野党を見渡しても、前回選挙からの1年半の経緯を踏まえて考えた形跡がまるで見られません。安保・憲法が政党支持を分ける争点ならば、本来、ここでこそ政策論議が戦わされてもおかしくないはずですが、現実には政策論争はなかなか起きない。
つまり、日本人の政治的立場を分ける安保・憲法問題とは所詮、感情や表現をめぐるものであって、現実をめぐる立場ではない、ということです。であれば、どの政党が政権を取ったとしても、日本人はたいして外交安保政策を変えることはできないでしょう。
米国との距離を巡る議論も、おかしな推移を辿っています。
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