希望が感じられない参院選に漂うかつてない徒労感
課題設定がきちんと行われなかった選挙戦。不安を抱えながら漂う社会が続いていく……
三浦瑠麗 国際政治学者・山猫総合研究所代表

参院選の結果を受け、テレビのインタビューに答える安倍晋三首相=2019年7月21日、東京・永田町の自民党本部
ガス抜きの徒労感
参議院選挙が終わりました。そもそも政権選択の選挙ではないという性格もあるのですが、それ以上にかつてとは異なる「徒労感」が漂っていることを、まずは告白しなければなりません。
日本政治を振り返れば、この30年は、既得権益打破の権力闘争や、政治改革、野党の栄枯盛衰ともりだくさんの動きがある時代でした。自民党に代表されるアンシャン・レジームの破壊、官僚主導から政治主導へ等々、かつて日本に存在した「希望」は、いずれも「破壊」とセットでした。
しかし、2010年代以降、世界が激動の時代に突入するのと時を同じくして、日本政治は奇妙な安定期に入っていきます。改革や破壊の動きが一巡した結果、日本人の多くにとって、もはや破壊は希望たりえなくなったのです。
こうした状況について、安倍晋三政権がどうとか、自民党がどうとか、政治家の質を問題視する議論に結び付ける向きは強いでしょうが、私はもう少し根深い問題ではないかと思っています。それは、日本全体からいまや「変化」や「何かを打破すること」に対する希望が失われているということです。
安倍政権がスタートした2012年からも、日本政治には様々な希望がありました。震災からの復興、構造改革、改憲、人それぞれではありますが、さまざまな希望を日本社会は抱いていた。それがすでに食いつぶされ、年老いた社会へ移行したのではないか、と思うのです。
そのかわりに、変わらない日本社会に対するフラストレーションは、日々のワイドショー的話題に向けられ、解消されていきます。しかし、日本社会を象徴する体質への批判は、いったん盛り上がってもすぐに流れていってしまう。選挙もワイドショーでのニュース炎上も、既存の秩序を維持するための「ガス抜き」として機能しているのではないかと思われます。