相互理解へ小さな芽生え、13年続く
2019年07月29日
日中関係は冷え込んだり持ち直したり。そんな政治や外交の波風とは距離を置いて、地道に若者の交流を進める日中プロジェクトがある。
中国の高校から日本に来て1年間を過ごした26人が、留学体験を披露し、日本の恩師やホームステイの家族に別れを告げる「卒業式」が2019年7月18日、東京都内で開かれた。
独立行政法人・国際交流基金の日中交流センターが進めている「心連心」(ハート・トゥー・ハートの意味)という中国高校生長期招聘事業だ。
2006年から始まり、今年は第13期生。「青少年交流」のスタイルは政府や自治体主導であるにはあるが、この事業は、ほかにはない多くの特徴がある。
まず、高校生という若い世代が1年間の長期にわたって滞在すること。また、首都圏へ派遣されるのは数人だけで、北海道から沖縄、離島まで、派遣される地域が多岐にわたる。
中国の出身地も全国にまたがる。日本では学校近くの家庭にホームステイし、学校生活から部活動、家庭での食事、家事手伝いなど、日本式生活にどっぷりつかる。高校の寮に入る生徒もいる。
中国の中高一貫の外国語学校で数年間、日本語を学んできた生徒も、そう達者でなかった生徒もいる。でも1年たつと、みな上手な日本語を操る。
卒業式(帰国前報告会)では、高校の窓口になった先生や「日本の家族」、過去にこのプログラムで日本に滞在したことのある先輩たち100人以上であふれる会場で、一人ひとりが挨拶した。
型どおりの謝辞ではない。
「日本の一番の思い出は、人生で初めて入院したこと。ホームステイのお返しに中華料理を作ってご馳走しようとしたら足に熱い油がかかって…。全身麻酔もしました。クラスメートが心配してくれて、すっかり直りました」(岩手で学んだ上海の夏晗さん)。会場、笑っていいのかどうか微妙な雰囲気に。
秋田県で過ごした西安の王語馨さんは、部活でチアリーダーを経験し、「(中国ではまだ十分に知られていない)野球の楽しさが理解できました」と応援風景をはつらつと再現した。
やはり西安から東京に来た代恩鳴さんは、鉄道オタク。「名古屋と仙台に在来線で行きました。日本は時刻表通りに列車が来るので計画を立てやすかったです」
中国では基本的に高校の部活動はない。「日本での部活が来日前からの楽しみでした。練習前にしっかり挨拶をするなど、細かいけど楽しく面白かった。陸上が人生の一部になりました。ずっと続けて800メートルで2分以下の記録をめざします」と河南省から京都に来た周子薦さん。
洛陽から大阪に来た黄飛逸さんは「カレーうどんが大好きでした。めっちゃすばらしい。ほんまに」と関西弁までマスターしたようだった。
大分の胡澤兵さんは、プログラムが始まって以来、初めて貴州省から参加した。デジタルでないフィルムカメラで風景やクラスメートを撮りまくった1年だった。「1枚1枚、構図や角度を考えながら撮る行為は、私たちの人生とも重なるのではないでしょうか」
遼寧省から熊本に来た梁軒振さんは、熊本名物「いきなり団子」の宣伝。「食べたら、あ、うま!と。信じられない味だった」
浙江省出身の薛越さんは沖縄滞在中、英語の模擬試験で県内1位、全国5位になって周囲を驚かせたという。ひめゆり平和祈念資料館や平和の礎(いしじ)などモニュメントをたびたび訪れ、「沖縄の人の、平和を愛する心に驚き感動した」という。「学生として、人間として、まだまだ勉強したい。根性と思いやりのある人になりたいです」と話した。
日中交流センターの堀俊雄所長によると、13年間で派遣された中国の学生は416人を数える。これまでの390人はいったん中国に帰国したものの、日本の大学や大学院に進んだり社会人として日中関係の組織に勤めたり、懸け橋に育った体験者が多く、ほぼ半数の185人がいまも日本に滞在しているという。中国外務省にも3人が入省し、外務官僚として日中関係に携わる可能性がある。
「中国全土から選抜された高校生だけあって、際立った優秀さに驚いています。まだみなさん若いが、あと10年たてばそれぞれの組織の中核になり、日中関係に力を発揮してくれるでしょう。地道に、長く続けていくことが大事だと思います」と堀所長は話した。
「日本の家族」となるホストファミリー探しは簡単ではない。
ホストになると、部屋を用意し、3度の食事を提供する。月6万円の謝礼で「息子や娘」として迎えるのは、善意と熱意だけが頼りだ。
「始めた動機?
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