核軍縮に逆行する動きが目立つ世界で、核廃絶の機運を再び高められるのか
2019年07月28日
全世界で13億1300万人の信徒を擁するローマ・カトリック教会のフランシスコ法王(82)が11月下旬、原爆被爆地である長崎市と広島市を訪問する。報道によれば、天皇陛下との会見や安倍首相との会談も予定されている。キリスト教最大の教派、ローマ・カトリックのトップに立つ法王は、被爆地でいったいどんなメッセージを発するのだろうか。
現在の国際社会を見渡せば、米国とロシアの核軍拡競争、北朝鮮やイランの核開発、さらには核拡散防止条約(NPT)体制の形骸化など核軍縮に逆行する動きが目立っている。そんななか、法王はどれだけ強い核兵器廃絶へのメッセージを世界に発信できるか。核廃絶の機運をどこまで高められるのか。
筆者は7月17、18両日、公益財団法人フォーリン・プレスセンターが運営を担当する外国メディア対象のプレスツアーに参加し、広島と長崎を取材した。本稿では、広島、長崎の両市長をはじめ、日本カトリック司教協議会会長の高見三明・長崎大司教ら地元の期待や思いを紹介したい。
ローマ法王の訪日は1981年2月に法王として初めて訪日した故ヨハネパウロ2世以来、38年ぶりの2度目となる。
ヨハネパウロ2世は世界平和と核兵器廃絶を訴え続け、「平和の使者」としての国際的な名声を得た。1981年の訪日時には広島の平和記念公園、長崎の浦上天主堂や大浦天主堂などを訪問した。
この写真は、死亡した幼子の弟を背負いながら火葬場で順番を待つ1人の少年の姿をとらえたもの。少年は悲しみをこらえて、気丈に直立不動の姿勢を見せている。法王は、カードの裏側には「戦争がもたらしたもの」とのメッセージを添えていた。
6月26日付の長崎新聞の記事によると、フランシスコ法王は11月24日に広島と長崎を訪れ、翌25日に東京で天皇陛下や安倍晋三首相と会見する予定。法王は長崎市入り後、カトリックの大聖堂の浦上天主堂を訪ね、県営ビッグNスタジアムでミサを開催することが検討されているという。
日本政府、広島市や長崎市、教会関係者らは早くから法王の訪日実現に向けて尽力してきた。
7月17日の外国プレスとの会見で、広島市の松井市長は「ローマ法王が広島市と長崎市を訪問するという報道がある。実現すれば大変喜ばしいこと」と述べた。そして、「ローマ法王が来られるということであれば、被爆の経験をし、同じような惨禍を許さないための取り組みを続けている私たちを勇気づけることになる。さらに被爆者の思いに立脚した核兵器廃絶、そして、世界恒久平和の実現という被爆地の願いをしっかりと受け止めた上で何らかの力強いメッセージを発信していただけるのではと思っている」と期待を表明した。
長崎市の田上市長も、ローマ法王の来日について、「私たちもバチカンを訪れてローマ法王に直接長崎への訪問、広島への訪問をお願いした経緯がある。そういう意味では、この訪問が実現することは私たちにとっては大変嬉しいこと」と語った。そのうえで、「法王ご自身が核兵器廃絶を願っておられる方なので、そのメッセージをぜひ被爆地から発していただきたい」「『長崎を世界最後の被爆地に』というメッセージをぜひここから発信していただきたい」と述べた。
ヨハネパウロ2世は来日時に「平和アピール」を発し、「戦争は人間の仕業である」とのメッセージを残したことで知られている。
ヨハネパウロ2世のメッセージについて、田上市長は「原爆が神の仕業ではなく人間が引き起こしたことだという大きなメッセージだった。逆に言うと人間の手によってなくすことができるというメッセージでもあった。今回もフランシスコ法王の来日によって、再び歴史に残るメッセージを発信していただきたい。そして、それを多くの人々がずっと語り継いでいくことができる平和へのメッセージを残していただけることを期待している」と述べた。
また、田上市長は、2018年夏に世界文化遺産に登録されたばかりの「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本)の意味や価値について、法王に語ってもらうことにも期待を示した。
「潜伏キリシタン関連遺産という世界遺産が2年前に登録された。250年間ほど神父もいない中で隠れて信仰を守り続けた歴史が世界遺産として価値があるということが認められた。しかし、いまだの世界にはこの世界遺産の価値というのも十分に伝わっていない。その意味で、ローマ法王がこの長崎でその世界遺産の意味や価値を語っていただくことに私たちは大変期待をしている」
長崎・外海(そとめ)地方を舞台とする遠藤周作の小説「沈黙」は、禁教令の下、権力者による迫害を受けてきた潜伏キリシタンの受難の歴史を描く。そして、宗教の自由の大切さや信仰の崇高さを教えてくれている。フランシスコ法王はいったいどのようなメッセージを世界に発するだろうか。
38年前のヨハネパウロ2世同様、フランシスコ法王が今回訪問する予定の浦上天主堂のある長崎市浦上地区は、潜伏キリシタンへの弾圧と被爆という二重の苦難を経験した地として知られる。
旧浦上天主堂はもともと、浦上のカトリック信徒らが30年もの歳月をかけて、1925年に完成した。しかし、1945年8月9日の長崎原爆投下では、爆心地からわずか約500メートルの地点に位置していたこともあり、建物はほぼ倒壊。残骸(ざんがい)は撤去され、一部が現地や爆心地公園に残されている。長崎原爆資料館の中に、原爆で破壊された旧浦上天主堂の被爆当時の原寸大のレプリカが展示されている。
原爆では浦上地区に住んでいた約1万2000人の信徒のうち、約8500人が死亡した。
全国16の司教区をまとめる日本カトリック司教協議会会長の高見三明・長崎大司教(73)は「浦上天主堂の廃墟を残すかどうかは、長崎市でもいろいろと議論があった。広島の原爆ドームのように、原爆の痕跡を残すことと同時に、観光にもなるだろうとの目論見もあったようだ」と話した。
しかし、長崎市と米ミネソタ州セントポール市が1955年に姉妹都市提携締結をするにあたり渡米した当時の田川務・長崎市長は、帰国した後になぜか急に考えが変わり、壊すことになったという。
「何があったかは詳しくは分からない。おそらく
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