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「モリカケ」を凌いで令和を迎えた安倍政権の本質

平成政治の興亡 私が見た権力者たち(20・最終回)

星浩 政治ジャーナリスト

新元号「令和」の書を傍らに、記者会見する安倍晋三首相=2019年4月1日、首相官邸

それは森友学園への国有地売却から始まった

 2012年暮れに権力の座に返り咲いて5年。基本的に高い支持率を維持、国政選挙に連勝し、「一強」を謳歌(おうか)してきた安倍晋三政権の屋台骨を揺るがす事態が起きたのは、2017(平成29)年の年明け。発端は大阪だった。

 2月9日、朝日新聞朝刊の社会面に「特ダネ」が掲載された。大阪府豊中市の国有地が、学校法人「森友学園」に小学校用地として格安で売却されたという内容だ。土地を管理する近畿財務局が、売却額を公表していないことも判明した。

森友学園が小学校開設を予定していた土地。すでに空調の室外機などの設備が整えられていた=2017年11月22日、大阪府豊中市
 翌10日、報道を受けて財務省は一転して売却価格は1億3400万円であると公表。不動産鑑定士による土地の価格は約9億5000万円だったが、「地下に大量のごみがあったため」に約8億円を差し引いたという。

 前年の16年春、朝日新聞の特別編集委員からTBS系「NEWS23」のキャスターに転じていた私は、スタッフと「この問題は大きくなりそうだ」と話し合い、大阪の地元放送局と情報収集を始めた。その後、開設される予定の小学校では、安倍晋三首相の夫人、昭恵氏が「名誉校長」となることが明らかになった。森友学園が運営する幼稚園で、戦前の教育勅語を暗唱させるなど、偏った教育が続けられていたことも報じられた。

深まる疑惑、高まる批判

 メディアでの報道を受け、国会も動き出す。2月17日の衆院予算委員会でこの問題が取り上げられ、野党議員の追及に安倍首相は「(学校の設立認可や国有地払い下げに)私や妻が関係したということになれば、間違いなく総理大臣も国会議員も辞めるということは、はっきりと申し上げておきたい」と述べた。

 だが、国会での疑惑の追及はやまない。3月1日夜には、自民党の鴻池祥肇参院議員が記者会見を開き、森友学園の籠池泰典理事長と妻の諄子副理事長が3年前の2014年4月に面会に訪れ、小学校の設立許可に関連して「紙に入ったもの」を手渡そうとしたと証言。「一瞬で金だと分かった」ので突き返したと語った。

 森友学園をめぐる疑惑は深まる一方で、小学校建設に関して森友学園が提出していた建築費の見積もりに誤りがあったことが判明し、3月10日に森友学園は小学校の設立認可の申請を取り下げた。小学校の建設は見送られることになった。

衆院予算委での証人喚問で答弁する森友学園の籠池泰典氏=2017年3月23日
 3月23日、籠池理事長は衆参両院の予算委員会に証人喚問された。籠池理事長は①2015年9月5日に講演のために学園を訪れた昭恵夫人から現金100万円を寄付金として受け取った、②16年3月に財務省を訪れて小学校建設について陳情した際の財務省の対応から、「神風が吹いたと思った」、などと証言した。(籠池理事長は7月31日、小学校建設に関連して国の補助金をだまし取ったなどの容疑で、諄子夫人とともに大阪地検特捜に逮捕された)

 7月2日投票の都議選は、森友学園問題などで逆風を受けた自民党が57議席から23議席に激減。7月4日には、国会での森友学園問題の追及に「国有地売却交渉の関係資料は廃棄され、残っていない」といった答弁を続けた財務省の佐川宣寿理財局長が、国税庁長官に昇進。森友問題に対する世論の批判はますます高まった。

加計学園問題も政権を直撃

加計学園の新学部開設は「総理の意向」とする文書を巡り取材に答える前川喜平・前文部科学事務次官=2017年5月23日、東京都内
 同じ頃、森友問題とは別の問題も安倍政権を直撃した。加計学園をめぐる疑惑である。

 この問題は、安倍首相の盟友である加計孝太郎氏が理事長を務める学校法人加計学園が、愛媛県今治市に獣医学部を新設することを計画したことが発端だ。2017年5月17日、朝日新聞は加計学園の新学部開設は「(安倍)総理の意向だ」とする文書などが文部科学省内で回覧されていたことを報じた。前日夜のNHKも同趣旨の報道をしていた。

 17日午前、菅義偉官房長官は定例の記者 会見で、この加計学園に関する文書について「怪文書みたいな文書」と切り捨てた。しかし、実際は「怪文書」ではなかった。17年1月まで文部科学事務次官を務めていた前川喜平氏が、メディアのインタビューに答えて、この文書が実在していたと証言。6月15日に松野博一文科相は一連の文書が存在していたことを認めた。

首相が襟を正さず、まかり通る「忖度」

獣医学部の入学宣誓式で告辞を述べる加計孝太郎理事長=2019年4月3日、愛媛県今治市いこいの丘
 加計学園問題はなぜ起きたのか。

 獣医学部の新設をめぐり、従来の規制を盾にとって反対してきた文科省に対し、経済産業省を中心とした規制緩和を狙う勢力は、安倍首相の「意向」を錦の御旗にして風穴を開けようとしていた。そこに、安倍首相の30年来の盟友で、首相就任後もゴルフや会食を続けてきた加計氏の学校法人が、獣医学部の新設を申請していたことが重なり合う。経産省から首相秘書官に出向していた柳瀬唯夫氏(後に経済産業審議官)が、加計学園側との連絡役になっていたのはそのためだ。

 一連の経緯から「忖度政治」という世論の批判が高まったのにもかかわらず、最終的に加計学園の獣医学部は認可され、2018年4月に開設された。

 安倍首相は国会での追及などに「李下に冠を正さず」と述べていた。それが本気であるならば、この獣医学部開設は見合わせるのが当然だろう。首相が襟を正さないまま、周辺の「忖度」がまかり通った。それが、加計学園問題の真相である。

小池都知事の台頭と衆院解散・総選挙

 このように2017年の前半は、森友学園と加計学園の問題、いわゆる「モリカケ」疑惑が世を騒がせ続けた。にもかかわらず、安倍首相は衆議院の解散・総選挙のタイミングを狙っていた。

 なぜ、一見不利にも見えるこの時期に、首相は選挙を仕掛けようとしたのか。ひとつの理由は、2016年7月に自民党衆院議員から東京都知事に転身した小池百合子氏の存在である。

 都知事就任後、小池氏は築地市場の豊洲移転に待ったをかけるなど数々のパフォーマンスで世論の支持を集めた。17年7月の都議選では、自らが率いる「都民ファーストの会」を圧勝させ、国政進出を狙う構えを見せていた。その勢いを抑え込むためにも、17年中の解散・総選挙が望ましいというのが、安倍首相の判断だった。

 「大義名分」として考えられたのは、19年10月に消費税を8%から10%に引き上げるのにあたり、幼児教育の無償化などに使途変更することの是非を問うこと。北朝鮮が弾道ミサイルの発射実験を繰り返すなか、「安全保障上の危機対応を問う」という狙いもあった。

新党に丸ごと合流の賭けに出た民進党の前原代表

会談を終え、報道陣の質問に答える希望の党の代表の小池百合子・東京都知事(左)と民進党の前原誠司代表=2017年10月5日、東京都新宿区

 一方、野党の民進党は「小池旋風」に押されて影が薄かった。自民党同様、都民ファースト躍進のあおりで、都議選に敗北した責任をとって蓮舫代表が辞任。後継には前原誠司氏が就いたが、党勢は伸び悩んでいた。

 総選挙に突き進む安倍首相に対し、前原氏は「賭け」に出た。小池都知事と連合の神津里季生会長をまじえて会談。小池氏が結成する新党「希望の党」に民進党が丸ごと合流、「反安倍連合」を形成して戦うという作戦で合意した。都市部は無党派層に強い希望の党、地方は労組票を持つ旧民進党がそれぞれ力を発揮すれば、一気に政権交代も可能だという読みがあった。

 それでも安倍首相は9月28日、当初の方針通りに衆院を解散。10月10日公示、22日投票の日程が確定した。政局が緊迫するなか、解散翌日の9月29日、小池氏から致命的な発言が飛び出した。

 新党陣営では、公認候補の調整が進んでいた。民進党系の陣営は、候補者の大半を公認するよう求めていたが、憲法改正に反対し、「安保法制は違憲」と唱えるリベラル系勢力を念頭に、小池氏は「排除いたします」と明言したのだ。

 この発言にリベラル系候補者は強く反発。枝野幸男氏を代表に立憲民主党を結成した。新党・旧民進党の陣営は結局、希望の党、立憲民主党、無所属に分裂して戦うことになった。

失敗に終わった小池・前原両氏の戦略

「立憲民主党」の結成について会見する枝野幸男氏=2017年10月2日、東京都千代田区
 総選挙ではモリカケ問題が大きな争点となったが、安倍首相は正面から答えることはなく、野党も攻めきれなかった。投票の結果、自民党は改選前の284議席から1減の283議席。公明党は34議席を29議席に減らしたが、自民、公明の与党では312議席で、衆院全体の3分の2を上回った。

 野党は立憲民主党が改選前の15議席から54議席に伸ばし、希望の党は57議席から49議席に減らした。希望の党の大半の議員はその後、「国民民主党」を結成。玉木雄一郎氏を代表に選んだ。反自民陣営を一本化しようとした小池、前原両氏の戦略は失敗した。

 前原氏は、総選挙での敗北を受けて、私の取材にこう語った。

 「民進党の行き詰まりを打開するには、希望の党に合流するしかないと思ったが、博打だった。博打で政治をやってはいけないと痛感している」

公文書の書き換えが発覚

 年が明けて2018年、安倍政権の足元を揺るがす事実がまたもや明らかになる。

 3月2日、朝日新聞が「森友文書 書き換えの疑い」と報じる。森友学園への国有地売却に関する決裁文書が改ざんされていた疑いがあるという。3月7日には問題の国有地売却を担当していた近畿財務局の職員が自殺、衝撃が広がった。結局、財務省は改ざんの事実を認め、改ざん当時に財務省の理財局長だった佐川国税庁長官は辞任に追い込まれる。

佐川宣寿国税庁長官の辞任を受けて記者会見する麻生太郎財務相=2018年3月9日、東京・霞が関
 財務省の調査によると、決裁文書に昭恵夫人に関する記載が数多くあり、財務省の担当課長らが問題視して近畿財務局の担当者に削除・改ざんを命じたという。だが、安倍首相の「私や妻が関係していたなら、総理大臣も国会議員も辞める」という発言との関係や、佐川氏がどう関与したのかについて、この調査はつまびらかにしていない。また、公文書改ざんという前代未聞の不祥事にもかかわらず、管理責任者である麻生副総理・財務相は引責辞任を拒み続けた。

 4月10日には加計学園問題でも新事実が明らかになった。

 同日付の朝日新聞が愛媛県の内部文書をスクープ。そこには、県庁の担当者が2015年4月に首相官邸で柳瀬唯夫・首相秘書官(当時。その後、経済産業審議官)と面会した際、加計学園の獣医学部開設問題について「この件は、首相案件」と言われたことが書かれていた。

 柳瀬氏は5月10日、衆参両院の予算委員会に参考人として招致され、加計学園との関係を追及された。愛媛県や今治市の職員との面会は認めたものの、陳情を受けただけで「首相案件」という発言もしていないと答弁。疑惑の解明は進まなかった。

平成から令和へ

 2018年9月の自民党総裁選で、安倍首相は対立候補の石破茂元幹事長を大差で退け、さらに3年の任期を手にした。

 直後に開かれた秋の臨時国会では、外国人労働者の受け入れを「特定技能」などの形で拡大する法案が審議された。野党側は現行の「技能実習制度」で受け入れられている外国人労働者の失踪などが相次いでいることなどを指摘。特定技能制度でも外国人労働者の受け入れ態勢が十分ではないなどと反発したが、自民、公明両党は採決を押し切り、法案は12月8日に参院本会議で可決、成立した。2019年4月から施行され、外国人労働者の受け入れが拡大されることになった。

 4月30日には予定どおり天皇陛下の生前退位がおこなわれた。退位に先立ち、4月1日には菅義偉官房長官が新元号「令和」を発表。30日には退位の式典、5月1日には新天皇の即位の式典が、滞りなく執りおこなわれた。平成が終わり、令和が始まった。

 生前退位は、天皇陛下自身の意向を受けて進められた。2016年8月8日に陛下がビデオメッセージで退位についての考え方を表明。「象徴」としての務めを果たすためには、健康なうちに譲位する必要があると判断したという。これを受けて、政府と国会は退位のための特例法を定めることで合意。関連法の成立を受けて、退位、即位が行われた。

 天皇を「国民統合の象徴」と定めた現憲法下では初めての退位である。事実上、天皇の意向を受けた退位関連法の制定ではあったが、国会が慎重な審議を進めたこともあり、天皇は「国政に関する権能を有しない」と定めた憲法の規定に抵触しないぎりぎりの立法措置となった。

「改憲勢力」が3分の2を割った参院選

参院選を受けた安倍晋三首相(左端)の記者会見に出席する、自民党の(右から)甘利明選対委員長、岸田文雄政調会長、加藤勝信総務会長、二階俊博幹事長=2019年7月22日、東京・永田町の党本部
 7月には令和初の国政選挙となる参院選が実施された。4日公示、21日投開票で、結果は、改選数124のうち自民党が改選前の66議席から9減らして57議席。非改選と合わせて123議席で、単独過半数を割った。公明党は14議席を確保し、自公では71議席と改選過半数の63を上回った。自公に維新を加えた憲法改正に前向きな「改憲勢力」は、参院全体の3分の2に届かず、安倍首相のめざす憲法改正は再検討が迫られることになった。

 野党側は、立憲民主党が改選前の9議席を17議席まで伸ばし、国民民主党は8議席から6議席、共産党も8議席から7議席に減らした。自民党と野党統一候補が一騎打ちとなった32の「1人区」では、「自民」対「野党」が22対10だった。山本太郎・前参院議員が率いる「れいわ新撰組」は「消費税廃止」などを訴え、比例区で2議席を獲得した。

第2次安倍政権の三つの性格

 最後に、2012年12月から続く第2次安倍政権の性格について考えてみたい。

 第一に、「反民主党」政権である。

 第1次安倍政権が07年に崩壊した後、自民党は福田康夫首相、麻生太郎首相が政権を担ったが、いずれも野党・民主党の攻勢を受けて1年の短期で終わり、09年に政権を引き渡した。安倍氏がことあるごとに、第1次安倍政権の失敗が民主党政権を生んだと「おわび」を表明するゆえんだ。

 その意味で、第2次安倍政権の原点は、「第1次政権の失敗の轍は踏まない」という決意であり、民主党政権への強い反発に他ならない。安倍氏は民主党政権の3年を「悪夢」と公言。円高、失業率の高さ、米国との外交の停滞などを指摘している。

 確かに民主党政権は、鳩山由紀夫首相が約束した沖縄県の米軍普天間飛行場の「最低でも県外移設」がとん挫。新設した子ども手当などの財源確保はできなかったり、マニフェストになかった消費増税を提起して世論の反発を受けたり、混乱続きだった。

 だが、悪いことばかりかと言えば、そうではない。高校無償化などを進めたほか、「密約」とされてきた外交文書を公表するなど、一定の成果を上げたのも事実である。世界経済を揺るがしたリーマン・ショックのさなかに発足し、東日本大震災と原発事故への対応に追われたという事情も考慮されるべきだろう。過去の自民党長期政権が重ねた財政赤字も、国の財政運営の幅を狭めていた。こうしたもろもろの背景を抜きにして、民主党政権を「悪夢」と決めつけるのはフェアではない。

 第二に、「金融緩和」の政権である。

 第2次安倍政権の経済政策の一枚看板は「金融緩和」である。日銀に大胆な金融緩和策を迫り、総裁に緩和論者の黒田東彦元財務官を起用。2%の物価上昇を目標に掲げたが達成できず、ゼロ金利、マイナス金利を続け、大量の国債を買い入れた。

 この結果、為替は円安に振れて、輸出企業は潤い、株価も上昇した。だが、成長戦略や構造改革にための「時間稼ぎ」だったはずの金融緩和は、出口を探るタイミングを見失い、際限なく続いた。

 その副作用は深刻だ。日銀が持つ国債は増え続け、ゼロ・マイナス金利は金融機関の経営を圧迫した。円安によるガソリン価格の高騰は、自家用車に頼る地方の家計を苦しめた。持続可能とはいえない金融政策が続き、財政赤字が増え続けたことは、将来世代へのツケ回しとなった。

「G20」サミットでトランプ米大統領を出迎え握手する安倍晋三首相(右)=2019年6月28日、大阪市住之江区のインテックス大阪
 第三に、外交面では米国への傾斜を一層強めた政権である。

 民主党政権が米軍普天間飛行場の問題などで迷走、対米関係を損ねたしたことに鑑み、日米同盟強化のために集団的自衛権の一部容認を柱とする安全保障法制を整備したほか、異色の大統領・トランプ氏ともゴルフや会食を重ねて「信頼関係」を築いた。

 その結果、対北朝鮮外交では、当初はトランプ氏の方針に追随して「圧力の強化」を表明したが、トランプ氏が「対話」に舵を切ると、「金正恩委員長と無条件で対話する」と方針転換した。トランプ氏は「米国第一主義」を掲げ、自由貿易圏をめざすTPP(環太平洋経済連携協定)や温暖化防止のパリ協定から離脱したが、安倍首相が国際協調の立場から異議を表明することはなかった。

平成になって動き出した「政権交代政治」

 自民党内に強力なライバルがなく、野党も政権を奪う力量に欠けるなかで、安倍政権は「一強」と言われてきた。しかし、底流を探れば、民主党への政権交代が安倍政権の「トラウマ」となっているし、内政や外交でも民主党との差異化を意識した政策が打ち出された。結局のところ、安倍政権も、平成に入って動き出した「政権交代政治」の枠を超えることはできていない。

 平成の初め、政治家たちはもがき苦しみながら、衆議院に小選挙区制を導入した。必ずしも評判は良くないが、この制度による政権交代システムは、長い目で見れば、2大勢力が切磋琢磨して政策を競い合う場をつくる。それは、日本政治に活力をもたらすはずだ。選挙制度の不備を嘆くよりも、この制度を上手に使いこなして、政党や政治家が活発な論争を繰り広げる舞台を整える必要がある。

 政治記者として私が見てきた平成30年の政治を、20回の連載で振り返ってきた。確かに混乱続きではあった。だが、個性的な政治家による、幾つものドラマがあったとあらためて思う。政治家の強い覚悟と国民の賢明な判断があれば、政治を変えることができる。その可能性や潜在力が、かすかにではあるが、見えた時代でもあった。

 ほのかに見えた希望が、令和の政治にいかされることを祈りつつ、連載の筆をおきたい。

※連載「平成政治の興亡 私が見た権力者たち」は今回で終わりです。連載に大幅加筆し、10月に朝日新聞社から書籍化される予定です。長い間お読みくださり、ありがとうございました。